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夜明けの星 5-7(夏樹)
「さて……と」
「――ッ!」
隆文を追い出した夏樹は、ゆっくりと息を吐き出し、雪夜を見た。
隆文たちの手から逃れた雪夜は、全身の筋力が落ちているにもかかわらず、床の上を這うようにして必死に逃げようとしていた。
「雪夜、大丈夫。もう大丈夫だよ。こっち見てごらん?」
少し距離を取って雪夜に声をかける。
1m程進んだところで力尽きた雪夜は、恐怖と絶望と少しの諦めが入り混じった何とも言えない表情で振り向いた。
夏樹は、初めて見るその表情に思わず息を呑んだ……
「……っ……雪夜、何もしないよ。もう俺しかいない。俺は何も持ってないでしょ?ね?」
「……ッ!?」
夏樹を見る雪夜の表情は、先ほど目を覚ました時とは違って、完全に怯えていた。
俺のこと、わかってないな……
――目覚めた時、雪夜はまた周囲の人間が鬼に見える状態になっているかもしれない……
工藤たちと事前にその可能性についても話し合い、ある程度予想はしていたが……目の当たりにすると、結構……キツイものがある……
今、雪夜の目に世界がどう映っているのかはわからないが、この目と表情を見る限り、雪夜にとって優しくない世界であることはわかる……
夏樹は、雪夜の視界に入る位置で、“何も持っていないアピール”をしながらゆっくりと近づいていった。
警戒心丸出しの雪夜を刺激しないよう、そっと雪夜に手を差し出した。
「大丈夫。何もしないよ。でも……少しでいいから雪夜を抱きしめたいんだ。……だめ?」
夏樹が静かに話しかけながら頬に触れると、雪夜は一瞬ビクッと身体を竦 めた。
まだダメか……
「……わかった、じゃあ手だけ……いいかな?」
自分で自分を抱きしめていた雪夜が、右手をおろした。
夏樹に手を差し出すべきか迷っている様子だったので、夏樹の方から手を伸ばして指先を軽く握ってみた。
以前の雪夜なら、パニックになってもとりあえず夏樹が抱きしめて宥めれば、すぐに落ち着いていた。
でも……
今の雪夜にそれが通用するとは思えない。
雪夜が夏樹のことを認知していない今の状態でいきなり抱きしめてしまうと、余計にパニックになる可能性の方が大きいからだ。
それに、雪夜が喋れないので、何に怯えているのかも本当のところはわからない。
だから、少しずつ慎重に探っていく必要があるのだ。
「……っ?」
雪夜が困惑顔で、夏樹の顔と、触れている指先を交互に見る。
やっぱり……俺も、鬼さんに見えてるのかな……
鬼に触れられたら……怖いよね……
「手もイヤだった?ごめんね、それじゃあ……しばらくここに一緒にいても……っ?」
もう少し距離を保った状態の方がいいかと思い、ひとまず夏樹が指を引っ込めようとした時、雪夜が夏樹の指を握り返して来た。
まだ不安そうな表情ではあるものの、雪夜は何やら不思議なものでも見るように、じっと夏樹の指先を見つめていた。
「指だけなら大丈夫?……そっか、ありがとう。じゃあ、もう少しだけこのままでいさせてね」
全然触れさせてくれないよりはマシだな。
夏樹は、雪夜に指を握られたまま、根気強く待った――……
***
それから10分程経過した頃、急に雪夜の身体がぐらついてきた。
体力、気力の限界が来たのだろう。
半年ぶりに目覚めて、いきなり大暴れをしたのだ。
むしろ、今までよく持ったものだと感心する。
「雪夜、眠たいんでしょ?こっちにおいで……あ、大丈夫。何もしないよ。他の人にも雪夜が嫌がることはさせないから……」
思わずいつもの調子で声をかけてしまい、慌てて言葉を足した。
夏樹が手を差し出すと、雪夜は目を擦り、ほとんど目が開いていない状態で、夏樹に向かって両手を広げた。
ん?寝惚けてる?
あまりに見慣れた雪夜の反応が返って来たので、逆に戸惑ってしまう。
えっと……これは……いつものやり方でいいのかな……?
それとも……
まぁいいか。ダメだったら、やり方を変えて様子を見ていこう。
「よし、おいで」
夏樹が膝の上に抱き上げると、雪夜はハッと目を開け、少し驚いた様子でキョロキョロと周囲を見回した。
「雪夜、イヤ?おろそうか?」
夏樹が声をかけると、雪夜は夏樹をじっと見つめ、小さく首を傾げながらポスンと夏樹の肩に顔を埋めてきた。
んん゛~~~……雪夜さん、それはどういう意味なんだ!?
とりあえず……このままでいいってことかな?
「……っ」
雪夜の反応に少々困惑しつつも、半年ぶりの雪夜の温もりと重みにホッとして、また目頭が熱くなった。
「もう大丈夫だよ。怖かったね。疲れたでしょ?少し眠ろうか……」
雪夜を抱きしめていつものようにあやすと、すぐに雪夜は寝息をたて始めた。
ゆっくり眠って……でも、ちゃんとまた目を覚ましてね?
***
夏樹は、雪夜の髪に軽く口付けてから、外にいた隆文たちにもう入ってきていいと合図を送った。
力尽きて眠った雪夜は、爆睡しながらも夏樹にしっかりとしがみついていた。
また先ほどの状態になるのを恐れたのか、隆文も今度は無理やり引き離そうとはしなかった――……
***
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