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夜明けの星 6-3(夏樹)
「あの時……私たちも、きみのように雪夜を抱きしめてやれば良かったのか……?」
隆文が、夏樹の胸元にしがみついて眠っている雪夜を見ながらポツリと呟いた。
――昨夜、当日の見送りは出来そうにないから、その前に……と雪夜の様子を見に来た時のことだ。
あの時……というのは、たぶん三歳の頃のことだろう。
「あの頃の雪夜は天使みたいに可愛くて、大人しく賢い子だった」
「……はい?」
隆文が突然、何時 ぞやかの達也たちと同じようなことを言い出した。
昔の雪夜はよほど可愛かったらしい。
……って、だからその頃の写真を見せろよ!!
可愛かった、天使だったと言いながら、親子揃って、その頃の雪夜の写真は夏樹には見せてくれない。
ほんと上代親子はいい性格してる……
「――その雪夜が……傷だらけの瀕死の状態で私たちの元に帰って来た時……とにかく、生きていてくれればそれでいいと思った。だが、半年後、母親にさえ怯えて泣き喚く雪夜の姿は……あまりにも狂人じみていて……若い頃、海外の病院で見た薬物中毒者やアルコール中毒者と雪夜の姿が重なって見えた。雪夜の変貌ぶりに……あぁ、この子はもう……通常の治療じゃダメなんだと思った。だから、工藤くんの提案に縋るような思いで研究所に入れた――……」
隆文が軽く顔を撫で、手のひらを見つめながら昔を思い出すように遠い目をした。
狂人……ねぇ……。
天使のイメージが強すぎたせいで、余計にショックだったのかもしれないな……
夏樹も、客船での事故の後、病院でパニックになった雪夜を初めて目にした時は一瞬怯んだので、隆文の言いたいことは何となくわかる。
それでも抱きしめることが出来たのは、雪夜が夏樹を呼んでいたからだ。
なら、あの時、雪夜に拒否られていたら俺はどうしただろう……?
……そんなこと、考えるまでもない。答えは一つだ。
「……その時のあなたの判断が良かったのか悪かったのか、医師でも学者でもない俺にはわかりません。ただ、俺は雪夜を独りにしたくなかった。怯えて泣く雪夜を独りにしたくないから手を差し伸べた。今回はたまたま雪夜がその手を取ってくれただけかもしれない。でも、もし雪夜が俺の手を取ってくれなくても……俺は傍に寄り添い続けるつもりでしたよ」
今回、雪夜が夏樹だけを受け入れた理由はわからない。
たまたま、あの時最初に手を差し伸べたのが夏樹だったから、夏樹に懐いてくれているのかもしれない。
でも、あの時雪夜に必要だったのは無理やり押さえつける手でも、鎮静剤でもなく、そっと寄り添ってくれる存在だったことは確かだ。
「雪夜の記憶を弄ったことは……当時の幼い雪夜の精神 を守るためには必要だったのかもしれない。それに……そういう過去を経て今の雪夜があるし、俺が雪夜と出会えたのも、ある意味そのおかげです」
隆文たちが、雪夜にゲイだと思い込ませたおかげで、雪夜が夏樹に興味を持ってくれた……その可能性は、ないとは言い切れない。
それに、工藤が考えた記憶を弄る治療法、それがなければ、雪夜は今も母親と同じように研究所から一歩も出られない状態だったのかもしれない。
夏樹には専門的な難しいことはわからないが、雪夜が笑って、泣いて、怒って……いろんな感情を持って、普通の子と同じように生活出来ていたのは、工藤の治療法の成果だと言わざるを得ないと思う。
「そうか……」
隆文は、少し考えるように目を閉じた。
「雪夜は……私たちのことを許してくれるだろうか……?」
「それはご自身で雪夜に聞いて下さい。でもまぁ……時間はかかるかもしれませんが、気持ちは届くんじゃないですか?ただ、愛情があれば何でも許されるというわけではないので、雪夜があなたたちのことを許せるかどうかは別問題ですけど――……」
***
「……っ!」
「っぉわ!?……ん?どしたの?」
昨夜の隆文とのやり取りを思い出していると、急に目の前に雪夜の顔が現れた。
夏樹が驚いて少しのけぞると、雪夜が不服そうに頬を膨らませた。
「お前がボーっとしてるから、心配してるんだろ」
「あぁ、ごめんね。ちょっと考え事してただけだよ」
「……っ」
夏樹が笑いかけると、雪夜がホッとした顔をして目を擦った。
チラッと時計を見ると、病院を出てから約一時間経っていた。
別荘まではまだかかるな。
「疲れた?ちょっと寝る?」
「……っ!」
雪夜はイヤイヤと首を振りつつも夏樹に抱きついてきた。
眠たいがまだ遊びたいらしい。
「はいはい、眠たいんでしょ?寝ていいよ」
「~~~っ……」
「起きたらまた遊ぼうね」
眉間に皺を寄せながら頑張って目を開けていた雪夜だったが、夏樹が背中をトントンと撫でると、あっという間に眠りに落ちた。
「遊び疲れたか?」
雪夜の頭を撫でながら斎が笑った。
「そうですね。今日は朝から興奮気味でまだお昼寝してなかったし……というか、こんな車初めて乗ったでしょうから、はしゃぎ疲れたんでしょうね……」
「はは、気に入ってくれたみたいで何よりだ。詩織さんが聞いたら喜ぶぞ」
「あ~……詩織さんにお礼しておかないと……」
何を持って行こうか、と夏樹が顔をしかめると、雪夜の頭を撫でていた斎がその手で夏樹の頭を軽く小突いた。
「別に、お前が電話一本すりゃそれで十分だよ。詩織さんもお前の親代わりなんだ。たまには連絡してやれ」
「はい」
今度のことでは、詩織には世話になりっぱなしだ。
一応詩織が持っている別荘は他にもあるので、あの別荘を長期間夏樹が使うことについては問題ないらしいが……兄さん連中の話だと、雪夜のために別荘の中をだいぶリフォームしてくれているらしい。
やっぱり、一度ちゃんとお礼しにいかなきゃだよな……いつになるかわからないけど。
とりあえず、今夜お礼の電話しておくかな……
***
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