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夜明けの星 6-21(夏樹)

 雪遊び以降、リハビリの一環として新たに始めたことがある。  夏樹は雪夜と向かい合って、発声の練習をしていた。  と言っても、声を出すと言うよりは、表情筋を鍛えるのが目的だ。  だいぶ表情が出て来たとは言え、まだ笑顔はぎこちない。  雪夜は声が出ないのであまり口を動かさない分、表情筋も衰えている。  表情を出すためにも、話すためにも顔の筋肉は必要なので、少しずつ鍛えて行こうということになったのだ。 「よし、始めるよ~。俺の真似してね?……コホンッ……『あ~っ!』」 「ケホッ……~~っ!!」  雪夜が夏樹の真似をして、ちょっと咳をしてから何もない空間を指差してビックリした顔をした。 「いや、咳まで真似しなくていいからね!?……はい次、『い~』」 「~~!」  『い~』の形にグイッと口の両端を人さし指で引っ張る。 「うん、上手。次、『う~』」 「~~……」  雪夜は『う~』の口をする時だけなぜか目を閉じる。  まぁ……恋人にキス待ち顔をされてスルーできるわけもなく……  ちょっと突き出た口唇に軽くキスをした。 「っ!?」  雪夜がパチッと目を開けて両手で口元を押さえると、フフッと小さくはにかむように笑った。  んん?あ~……、もしかして確信犯ですか?    一瞬込み上げた押し倒したい衝動をグッと堪えて深呼吸をした。 「んん゛……ごめんごめん、可愛い口してたから、つい……ね。はい、次いくよ次!!『え~!?』」 「~~!?」  『え~!?』は、嫌だ~、とか、面倒臭い……の時の表情。  この表情がまたやけに上手い…… 「そうそう、はい次、『お~!』」 「ォ~~!」  雪夜が小さく声を出して元気よく拳を上に突き上げた。  最初は表情と声だけでしていたのだが、雪夜がなかなかノッて来なかったので、半分やけくそでジェスチャー付きでしてみたところ、どうやらそれが気に入ったらしく、それ以来このやり方になっている。  夏樹も結構楽しんでいるのだが、ジェスチャーのバリエーションを考えるのが大変だったりする。  雪夜は、テンションが上がって来ると、ちょっと笑い声や小さい声が出て来るようになった。  本人は意識していないので、どのタイミングで声が出るかはわからないため、この練習をする時は毎回こっそりボイスレコーダーで録音している。  お、声が出て来たかな?  う~ん、次どうしようかな~…… 「っ!!」 「ん?なぁに?次これ言うの?」 「!!」  基本的には母音で口の形を練習するけれど、声が出て来ている時や雪夜の機嫌が良い時は、か行以降も練習する。  今日は雪夜があいうえお表を手に、自分が言ってみたい言葉を伝えてきた。    今日は積極的だな~。 「なになに?え~と、か行ね。ちょっと待って、ジェスチャー考え中……」  あ行はだいたい驚いた時に出て来る声だからジェスチャーも付けやすいが、か行以降はジェスチャーが難しい……  うん、思いつかないね!よし、思いついたやつだけにして、残りは適当に誤魔化そう! 「はい、それじゃいくよ~、――……」 *** 「お、雪ちゃん上手だな~!」 「あれ?浩二さんどうしたんですか?」  た行を終えたところで、浩二が入って来た。  今日別荘にいるのは裕也だけのはずだが……  「マダムからお前に依頼が来たんだよ」  そう言いながら、何やら書類をテーブルの上に放り投げて来た。 「あぁ、そんなの別にメールでいいのに」 「ちょっと急ぎ。急遽明日の午後にパーティーが入ったんだと。で、仕方ねぇから俺が直接持ってきた」 「たんに仕事をサボる口実でしょ?」 「バレたか」  浩二が夏樹をチラッと見ると、ニッと笑った。 「仕方ないですね、じゃあ、雪夜、後は浩二さんにやってもらおうか!浩二さんはジェスチャー付けるの上手いよ~?ねぇ、浩二さん?」 「おぅ、任せとけ!え、何が?」  何をやっているのかわかっていないのに二つ返事で引き受けるところは、いかにも浩二らしい……  でも、本当にこういうのは浩二の方が得意なのだ。 「雪夜が指差す文字をジェスチャー付きで声に出すだけですよ。それじゃよろしく」 「ああ、なるほど。よ~し、雪ちゃん、次はなんだ~?――」  雪夜を浩二に任せると、浩二が持ってきた書類に目を通しながら裕也に電話をかけた。 「はいはーい?どしたの~?」 「あ、すみません、今って、手空いてますか?」 「忙しいけど大丈夫だよ。何かあった?そっち行こうか?」 「いえ、今こっちに浩二さんが来てるんですけど……」 「あぁ、マダムの件ね、わかった、データ送る」 「お願いします――」  通話を終えると仕事用のデスクに座ってノートパソコンを開いた。  電源を入れると、もうすでに裕也からいくつかのデータが送られてきていた。  さすが裕也さん、仕事が早いな~。  マダムからの依頼というのは、パーティーなどでのBG(ボディーガード)のことだ。  だが、夏樹は以前のようにマダムの出席するパーティーに一緒に出て直接ガードするということが出来ないので、その分、マダムの専属BGたちを鍛えて欲しいとお願いされてしまい、現在夏樹はマダムのBGたちの専属トレーナー兼警備アドバイザーのような肩書きをつけられている。  一応、マダムに雇われていることになるらしいので、依頼をこなせば給料も貰えるため、今の夏樹にはちょうどいい副業になっている。  ファイルを開くと、明日マダムが出席する予定のパーティー会場がある建物の写真や内部の図面、周辺地図などが入っていた。  それらをしばらく眺めていた夏樹は、浩二が持ってきた書類に赤ペンでみっちりと文字を書き込んでいき、1時間程で仕事を終えた。 「浩二さん、終わりましたよ」 「え、早くね?もうちょっとゆっくりしろよ!!」 「浩二さんが急ぎだって言ったから急いだのに!?」 「急ぎすぎだバカ!」  頑張って早く仕事を終えたのに罵られるこの理不尽さ…… 「これマダムのところに持って行くんでしょ?ほら、早く行って来て下さい!」 「なんだよ~!せっかく雪ちゃんと遊んでたのにぃ~!」 「はいはい、仕事が休みの時にまた来て下さいね~!」 「ぅ~……雪ちゃん、またな~!」 「ほら、雪夜、浩二さんにバイバーイって!」 「~っ!」  雪夜は浩二の頭をヨシヨシと撫でると、バイバイと手を振った。 「へいへい。んじゃ行ってきま~す!」 「行ってらっしゃ~い!」 「~~っ!」   ***  

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