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夜明けの星 6-23(夏樹)
――4月上旬のある日。
「明後日、みんな来るってよ」
「え?」
お絵描きボードでひらがなを書く練習をしている雪夜の相手をしていた斎が、タブレットを弄りながら夏樹に声をかけてきた。
「ちょうどいい具合に咲いてるし、明後日は晴れだからな」
「あぁ……そうですね」
夏樹は昼食を作る手を止めて天窓を見上げ、今朝見た風景を思い浮かべた――
***
今年は3月に入って暖かい日が続いていたので、例年よりも桜の開花が早いと予想されていた。
だが、蕾が開き始めてからは花冷えの日が続いたせいで、結局例年よりも遅い開花になったのだ。
今朝、夏樹がいつものストレッチをしながら見た感じでは、池の周囲に植わった桜は、もうほぼ満開になっていたので、お花見にはちょうどいい具合だ。
お花見か~……雪夜は……
「雪ちゃんもお花見するか?」
「?」
「ピンク色の桜の花がい~っぱい咲いててキレイだぞ~」
「!?」
「ちょ、斎さん!?」
斎が雪夜をお花見に誘っていることに驚いて、思わず大きな声が出た。
「まぁ、いいじゃねぇか。せっかく満開なんだ。ちょっと見に行くくらいなら大丈夫だろ」
「でも……雪で隠れてた時と違って、周囲が……」
大雪が降った翌日、一面真っ白なら山の中だと気がつかないかもしれないからと雪夜を連れて外に出たことがある。
その時は、真っ白な雪に感動して周囲の風景など気にしていなかったので何事もなかったが……
いまは桜が満開とはいっても、周囲には普通に木があるのが見える。
それに、池だって……雪の下に隠れていた時とは違う……
「ナ~ツ。お前は心配しすぎ。今からそんなだとハゲるぞ~?」
「いや、でも……」
ようやく落ち着いてきて、声も出るようになってきたところなのに……
ここが山の中だと気が付けば、監禁されていた時の記憶がどういう風にフラッシュバックするのかわからない。
兄さん連中とも、やっと普通に接することが出来るようになってきたのに、また周囲がオニに見えるようになったら?
俺のことも……わからなくなったら?
「ナツ、んな情けない顔すんなって。俺らがついてんだから、大丈夫だ。それに、俺がノリだけで外に出そうなんて言ったことあるか?」
「何か考えがあるんですか?」
「まぁな。とりあえず昼飯食おうぜ。話は後だ」
「……はい」
***
夏樹もわかっている。
斎がすることにはちゃんと意味がある。
ふざけているように見えても、兄さん連中は雪夜のことを考えて行動してくれている。
それでも……心配なものは心配だ。
「雪ちゃんは、俺たちよりもよほど強いよ。身体が小さくて弱く見えるけど、精神 の根っこの部分は強い。それはたぶん、ナツの存在がだいぶ大きいとは思うけどな。コージも前に言ってただろ?」
「え?……あぁ、あのゾンビのやつですか?」
ある夜、浩二が適当にテレビを観ていると、古いゾンビ映画をしていたらしい。
普段なら即チャンネルを変えるが、他に観るものがなかったので何となく観てみることにした。
内容はごくシンプル。
――ある日突然、主人公の村の人が次々にゾンビになっていく。
家族も、恋人も、友人も、親しかった人たちがみんなゾンビになって主人公を襲ってくる。
最終的には主人公だけになって、絶望した主人公は自害して結局村人全員ゾンビになるという、原因解明も救いも何もない、唐突に始まって唐突に終わる、いわゆるB級映画だ。
全然面白いものではなかったらしいが、この映画を観ながら、雪ちゃんもこの主人公と同じ状態なのかなと、ふと思ったのだとか。
「俺らがこの主人公だったら、お前らがゾンビになって襲ってきたら迷うことなく頭ぶっ飛ばしてるよな。いや~、雪ちゃんの戦闘能力が低くて助かったよな。じゃないと、俺ら今頃雪ちゃんにボッコボコにされてたかも!?」
これを聞いて、浩二さんが錯乱したら、バズーカでも持ってこないとこっちが危ないな……と本気で思ったのを思い出した。
それはさておき、目を覚ました途端に人間がみんなオニに見えて、自分の家族までオニになってしまった雪夜の世界は、まさに救いのないゾンビ映画の世界と同じなのかもしれない。
ただ、そんな状態でも、雪夜はその映画の主人公と違って、生きている。
工藤たちの話では、3歳の頃は、さすがに雪夜も錯乱して自害しかけたことがあるらしいが……(ベッドでの拘束や、退院するまでペンなどを持ったことがなかった理由もそこにある)
だが、現在の雪夜は、拘束も鎮静剤もなしで、自分の意思で生きている。
夏樹がいるとは言っても、それ以外の人がオニに見えているのは3歳の頃と同じだ。
一見、3歳に戻って兄さん連中に甘やかされまくって自由奔放に生きているように見える雪夜だが、今でも毎日恐怖と戦っているのは変わりない。
だから……誰よりも、精神 の根っこの部分は強い……というのは、本当にそうだと思う。
オニに囲まれていても、笑えるようになっている雪夜はある意味最強かもしれない――……
***
「だろ?だから、お前ももうちょっと雪ちゃんを信じてみろよ」
「信じてはいますけど……」
「まぁ、心配ならテラスから少し見せてやるだけでもいいよ。俺も……確認できればいいなと思っただけだし」
斎が少し考えながらボソリと呟いた。
「確認?」
「あぁ、桜を見た時の雪ちゃんの反応をな」
「……反応……?」
「それはまぁまた明後日話す。さぁ~て、みんなが来るなら花見のメニュー考えて食材も買って来ないとな!!」
そう言うと、斎は早速タブレットに花見用のメニューと、それに必要な食材を書き出す作業に入った。
桜を見た時の雪夜の反応で何を確認するんだ……?
斎の考えがよくわからないが、今話しかけると怒られそうだったので、大人しく雪夜のひらがな練習の相手に戻った。
***
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