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夜明けの星 6-47(夏樹)
「夏樹さ~ん、入っても大丈夫そうですか?」
看護師がそっと扉を開けて、室内を窺って来た。
「あ、はい。今なら……」
夏樹は雪夜をチラッと見た。
雪夜は今、壁とベッドの間に座り込み、こちらに背を向けた状態で佐々木たちと動画を観ている。
基本的には夏樹と一緒にベッドにいるが、他の人が来て相手をしてくれる時は、クッションマットを敷いた床に座り込んで遊ぶことが多い。
佐々木が他の音が聞こえないようにと雪夜にヘッドセットを付けてくれているので、大きい音を立てなければ気づかないはずだ。
夏樹が口元に人さし指を当てながら手招きすると、看護師が頷いて素早く車椅子を持って来てくれた。
看護師に肩を借りながら、なるべく音を立てないように、そっとベッドから下りる。
「大丈夫ですか?ゆっくり……」
***
入院してから二週間近く経つ。
今日は夏樹の検査の日だ。
医師にはこの状態で自分で動けていることの方に驚かれるけれども……夏樹にしては治りが遅い。
なかなか治らない原因はわかっている。
雪夜は夏樹がケガをしていることを知らないので普段通りに抱きついてきたり、ちょっと上に乗ってきたりを平気でしてくるので、夏樹は入院してから全然静養出来ていないのだ。
もちろん、今は具合が悪いからやめて欲しいと言えば、雪夜は上に乗ってきたりしないはずだ。
ただ、以前別荘で寝ている夏樹の上に雪夜が飛び乗って来たことがあって、もろに鳩尾に入ったので注意をしたところ、その後一週間は抱きしめさせてくれないどころか、近寄ってもくれなくなったことがあるのだ。
結局夏樹がお願いしまくって何とかまた抱きしめさせてくれるようにはなったが、ガチガチに固まられてしまって、元のようにリラックスして傍にいてくれるようになるのに更に一週間くらいかかった気がする。
雪夜はもともと甘えるのが苦手なので、一度ダメだと言われれば、次にどう接していけばいいのかわからなくなるらしい。
そこらの加減が難しいので、今回は敢えて雪夜には何も言っていないのだ。
ゆっくりなら動けないこともないが、痛みはそれなりにあるし、自力での歩行移動はちょっとキツイ。
そこで、看護師が車椅子を持って来てくれたわけだが……
「わぁ~!なつきしゃん、にゃんこしゃん!みてみて~!かわい~の!……なつきしゃん?」
夏樹が看護師と部屋から出ようとした瞬間、夏樹を呼ぶ雪夜の声がした。
あ~……気づいちゃったか……
扉を開けようと取っ手に手を伸ばしていた看護師もビクッとしてそのまま固まり、「どうしましょう?」という顔で夏樹を見てきた。
「雪夜!夏樹さんはトイレに行ってるだけだから、気にすんな!あ!ほらほら、観て?こっちのネコも可愛いぞ~!?」
「お?雪ちゃん、このネコ面白いぞ!?」
佐々木と相川が必死に雪夜の気を逸らそうとする。
「……やら……」
「え?」
「ぃや……ぃやんよ!ばいばい、ないの!!ゆちやもいっちょよ!!……ねぇね、おにしゃんは、いやんよっ!!……」
「雪ちゃん?どうしたの?ちょっと落ち着こう?――」
ん?
雪夜の様子がおかしい。
イヤな予感がして、夏樹が車椅子の向きを変えて振り向こうとした瞬間、背後から勢いよく雪夜が首に抱きついて来た。
「ぅ゛っ……っっ!?」
え~っと……言っていい?息が出来ないくらい、くっっっそい゛っっっっったいっっ!!!
背筋や背骨を痛めているので、今の衝撃はかなりキツイ。
さすがに夏樹も眉間に皺を寄せて、心の中で痛みに悶絶した。
あ゛~~~~……涙出そう……
夏樹の背中の状態を知っている看護師も、自分がされているかのように痛そうに顔を歪めて思わず一緒に息を止めた。
「あ、あの、雪夜くん?ちょっとそれは……」
「めっ!!あっちよ!!あっち!!」
看護師が遠慮がちに助けに入ろうとしてくれたが、雪夜は片手を振り回して看護師を夏樹から遠ざけ、抱きついている腕に更に力を込めた。
「~~~~~~っっっ!!!……ちょ……ごめっ……っ……ちょっとだけ……待って……」
夏樹は痛みを堪えつつ、看護師に、少し離れるよう合図を送った。
「雪……ごめ、前っ……前に来て?」
「らめよ!!めっ!おにしゃんは、あっちよ!!」
「雪夜、鬼さんはいないよ?大丈夫だから、抱っこさせて?」
とりあえず、痛すぎて痺れる手に何とか力を込めて雪夜の腕を解くと、気合で膝の上に抱き上げた。
看護師が少し離れたところからハラハラした様子で見ていたが、佐々木たちが「雪夜が落ち着いたら連絡をする」と伝えて、一度ナースステーションに戻るように促してくれた。
「雪夜、どうしたの?鬼さんがいた?」
「おにしゃん、あっち!ゆちや、ねぇね、ばいばい、ないよ!?いっちょよ!!ゆちや、ねぇね、にゅ~!ちて、おにしゃん、ばいばいね――」
興奮している上に半泣き状態なので呂律が回っておらず、言葉はほぼ聞き取れないが、どうやら夏樹と姉が重なって見えているらしい。
マズいな……
看護師に連れて行かれる俺が姉と重なって見えたってことは、姉が鬼に連れて行かれるところを思い出したということだ……
姉を連れて行く鬼は……雪夜を監禁していた犯人で、姉の命を奪った相手……
今までも恐らく夢の中では何度も犯人が出て来ていたのだろうが、起きている時に雪夜がここまでハッキリと犯人のことを思い出して、それを言葉にしたのは初めてだ。
「大丈夫、鬼さんはもういないよ。俺は雪夜と一緒にいるからね」
夏樹が雪夜を抱きしめて落ち着かせている横で、佐々木と相川が斎たちに連絡を入れてくれていた。
大丈夫……大丈夫だから……
雪夜に囁きながら、自分自身にも言い聞かせる。
もう背中の痛みなど、どこかに吹っ飛んでいた。
***
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