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夜明けの星 6.5-12(夏樹)
「ただいま~~……」
「お疲れ様です」
出迎えてくれた若頭の神川 が、帰宅するなり玄関で大きく息を吐いた夏樹に苦笑した。
「だいぶ絞られましたか?」
「マジ疲れた……ったく、こちとら病み上がりだっつーのに……」
「ハハハ……」
神川が頬を引きつらせながら乾いた声で笑った。
愛華の特訓を受けた後は、大抵みんなその場にぶっ倒れる。
動けるようになるまでにしばらく時間がかかり、新入りたちは別棟の新入り用の宿舎までお互いに助け合ってようやく辿り着く有り様だ。
どうしても動けないやつは、白季組の組員が回収しに行ってやることもある。
そんな中で、夏樹は特訓が終わるなり即行帰宅している。
ブツブツ言いながらも一人で普通に歩いて帰ってきている時点でスゴイのだが、夏樹本人はあまりそのことに気付いていない。
ちなみに、愛華は本日の特訓終了を告げると、ケガをした若い衆を担 いで一足先に山を下りている。
***
「あ~もう!2~3時間で終わるって言ったのに~!!っつーか、何だよあの特訓メニュー!夜間するなんて聞いてねぇし!」
お昼頃雪夜に電話をした時はすぐに戻れるようなことを言っていたが、結局夏樹が戻って来れたのは、夜空に月が昇ってからだった。
夜間の訓練は特殊なので、普通一日目からはしない。
つまり……今日一緒に受けた若い衆の訓練自体はもう佳境に近付いているということだ。
そんなところに放り込まれたのだから、ブランクありまくりの病み上がりの身としては堪 ったもんじゃない。
が、弱音や文句を吐いたところでどうにもならない。
早く雪夜の元に戻りたいなら、愛華に課されたメニューを淡々とこなしていくに限るのだ。
「ところで、雪夜は?」
「あぁ、それなら今……あ゛」
「な~ちゅしゃあああああああああああああん!!!」
夏樹が靴を脱いでいると、遠くから雪夜の声が近付いてきた。
ん?雪夜にしては声が近付いてくるのが早……
「なちゅしゃああああああん!!!」
「ぶはっ!!」
夏樹が声のする方を見ると、玄関から大広間に向かって延びているくそ長い廊下を、台車が超高速で走って来た。
台車の上には、ニコニコ笑顔の雪夜が乗って手を振っている。
待って、ここ家の中なんですけど!?
っていうか、勢い凄くね!?それ停まれるの!?
「おい、ナツ!受け止めろよ!」
「へ?」
受け……?え、マジ!?
斎の言葉を理解して、思わず神川と顔を見合わせた夏樹に、容赦なく台車が向かって来た。
「はい、到着っ!」
「ちょ、危なっ……!?」
夏樹の手前で台車がキュッと急停止した勢いで、雪夜が前に飛び出してきた。
間一髪それを正面で受け止め……ようとしたが、あまりに勢いがつきすぎていてそのままだと双方にかかる負担が大きすぎるので、雪夜を受け止めつつ衝撃を逃がすためにその場でクルクルと回って床に倒れこんだ。
「……っぶね~……!雪夜、大丈夫!?」
「なちゅしゃん!クルクル~!たのしいね!!」
夏樹の胸の上で、雪夜が顔を起こして笑った。
「え?あぁ、今の?楽しかったの?あははは、それは良かった」
こっちは肝が冷えたけどね……!?
疲労困憊 のところにコレは勘弁してほしい。
楽しそうな雪夜を見るのは夏樹も嬉しいが、さすがにこれは……
「お帰り。遅かったな」
「ただいま戻りました。って、斎さぁ~ん、なんつー遊びしてんですか!?」
上から覗き込んでくる斎に向かって恨めしそうに顔をしかめる。
「ん?『台車でゴーゴー!』のことか?」
「台車でゴーゴー?」
「雪ちゃん命名。だよな~雪ちゃん?」
「あい!なちゅしゃんもゴーゴー!」
「え?あ、うん、ありがとう。俺はいいよ」
雪夜が夏樹に台車遊びを勧めてきたので、苦笑しながら丁重にお断りする。
「っていうか、ずっとあれで遊んでたの?よくケガしなかったね」
「クッションがない時にあんな無茶苦茶なことするかよ。普通に安全運搬してただけだ」
「そうですか」
ん?クッションって俺のこと!?
「それにしてもお前ドロドロだな」
「え?……あ゛!」
斎に言われてふと自分の恰好を見ると、あちこち泥だらけだった。
一日中山の中を走り回れば、嫌でも汚れる。
そう言えば大量に汗も掻いているし……
「ごめん雪夜!ちょっと離れてもらっていいかな?」
「ふぇ?……なちゅしゃ……?」
ガバッと起き上がり雪夜を引きはがすと、雪夜の顔から笑顔が消えた。
夏樹を見つめる大きな瞳がうるうるとしてきて、顔がくしゃっと歪む。
「え?あ~~、いや、違うよ!?あのね、ほら、俺汚いでしょ?ドロッドロだから先に風呂入ってこないと雪夜まで汚れちゃうし……だから、ちょっとだけ待っ……」
「ぅ゛~~~っ……」
雪夜がギュっと口唇を噛みしめて、泣きながら俯いた。
え、俺風呂入っちゃダメなの!?そんな泣くほどイヤ!?
「あ~あ……この馬鹿たれ!」
斎がため息を吐きながら夏樹の後頭部をスパーンと叩いた。
「痛っ!?ちょ、何ですか!?」
「何ですか?じゃねぇよ!!今日一日雪ちゃんがどれだけお前のこと待ってたと思ってんだ!」
「……え?」
「呆けてねぇで、まずはハグ!!」
斎の言葉にハッとして慌てて雪夜を抱きしめ直した。
「雪夜、おいで……ごめんね」
え、でも俺汗臭くない?これで雪夜に嫌われたらマジでへこむんだけど……
「大丈夫?俺臭くない!?雪夜さん、あの、服ドロドロで汚いからあんまり顔はつけないほうがいいと思われ……」
「~~~~っ!」
夏樹に反発するように雪夜が顔をグリグリと押し付けてきた。
「あ、うん……雪夜がイヤじゃないならいいんだけどね」
雪夜が汚れると思って焦って離れてしまったけれど、考えてみればこのまま一緒に風呂に入ればいいだけだ。
あ~ホント馬鹿だ。疲労と空腹のせいで思考力が低下してんな……
夏樹は心の中で自分に舌打ちをすると、雪夜の背中をトントンと撫でて落ち着かせながら、もう一度「ごめんね」と囁いた。
***
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