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夜明けの星 8-6(夏樹)
「なっちゃん、大丈夫~?」
「……はい、なんとか……」
裕也のいつもののんびりした声に、若干心配そうな響きが混じっていた。
昨夜、学島が連絡を入れてくれていたものの、裕也はすぐに連絡をしても雪夜の状態によっては夏樹が電話に出られないだろうからと、朝まで待ったらしい。
「雪ちゃんの様子は?」
「朝方、ようやく眠りました」
「暗闇になっちゃったせいで、何か思い出した感じ?」
「そうですね……」
昨夜、雪夜は風呂上りに停電になったせいで、久々に酷いパニック状態になった。
「まぁ、状況的には恐らく監禁されていた頃の……だとは思いますが」
「そうだねぇ、可能性が一番高いのはそうだよね」
「久々だったので最初はちょっと焦りましたけど……」
パニックになっていた雪夜は、夏樹を認識出来ていなかった。
脱衣所で一瞬夏樹に見せたあの表情が、昏睡状態から目覚めた時に周囲の人間に見せた怯えた表情と同じだったので、もしかしてあの状態に戻ってしまったのかと心配したのだが、その後の雪夜の様子を見ていると、どうやらそういうわけではなさそうで、むしろ……
「昨夜の雪夜は、まだ雪夜の過去を知る前の……よく不安定になっていた時の状態と似ていたんですよね――」
***
「――~~~っ!……いやぁああ!!やだぁああ!!こわいいいいいっ!……」
雪夜は夏樹が近付くと怯えてベッドの端に逃げた。
頭からバスタオルを被って耳を塞ぎ、大声で泣き喚く。
「いたい、いたい、いたい、いやだああああっ!――」
「雪夜……?」
「くらいのはいやだああああっ……だれかっ!……たすけて……っ!」
「雪っ!大丈夫だよ!……雪夜、大丈夫だから!もう暗くないよ。もう痛いことをしてくるやつもいない。大丈夫、俺が傍にいるからね――」
雪夜が過呼吸を起こしかけていたので、夏樹は雪夜をタオルケットで包み込んで、軽く抱きしめた。
夏樹のことは認識出来なくても、タオルケットの肌触りや、夏樹の匂いで無意識に安心するらしく、こうやって包み込んでやるだけでも落ち着きやすいからだ。
「怖い」「痛い」「暗い」「助けて」……雪夜が以前からパニックになるとよく口走っていた。
その時は、ただキャンプ中に遭難した時のことを思い出しているのだろうと思っていたが、雪夜の過去を知った今では、この言葉の本当の意味がわかるので、夏樹も泣きそうになる。
犯人の調書によると、監禁中、雪夜はほとんど声を出さなかったらしい。
悲鳴さえほとんどあげず面白みがなかったが、そのおかげで周囲に気付かれずに済んだのでそういう点ではいいおもちゃだったと……
(後に、酔っ払った雪夜の話しから、犯人に脅されて声を出せなかったのだとわかったが……)
これは、雪夜の心の声。
当時は口に出すことが出来なくて、ただひたすらに頭の中で心の中で叫んでいた言葉だ。
きっと、本当はもっといろんな……複雑な感情があったと思うが、当時3歳の雪夜が言語化出来た感情がこれらの言葉だったのだろう。
「よしよし、怖かったね……痛かったよね……もう大丈夫だよ……もう大丈夫なんだ……俺も佐々木たちも兄さんたちも、みんな雪夜の傍にいるよ。みんなが雪夜を守ってくれる。もう雪夜はひとりじゃないんだよ。だから……泣かないで……っ」
雪夜が泣き疲れて眠るまで、夏樹は雪夜を抱きしめてあやしながら、ずっと囁き続けた。
***
「――う~ん……滅多に停電しないから無停電電源 を用意してなかったんだけど……やっぱり用意しておいた方がいいね」
話しを聞いた裕也が受話器の向こうで唸った。
無停電電源とは、簡単に言うと、停電になった時に予備電源が起動するまでの時間稼ぎをしてくれる装置で、それをつけていると、停電になっても真っ暗にならずにすむらしい。
実は兄さん連中がこの別荘をリフォームした時に、その話も出たのだとか。
だが、滅多に停電になることがないので、その話はまた後日ということになって、そのままになっていたようだ。
「予備電源の起動まではせいぜい1分程度でしょ?だから、それくらいなら大丈夫かなって思ってたんだけど……」
「俺もそう思ってたんですけどね……」
自分だけなら、1分くらい早い。
体感でだいたいの時間を計ることができるので、敵がいるような場所でもなければただじっとしていればいい。
だが、昨日は……
真っ暗闇の中で雪夜と離れている1分は物凄く長く感じた。
雪夜に呼びかけても返事がなかったあの瞬間感じた不安、恐怖、焦り……
きっと雪夜は夏樹の何十倍、何百倍も不安だったに違いない。
せめて、一緒に風呂から出ていれば……停電になった時に夏樹がすぐ雪夜を抱きしめてやれていれば……雪夜があそこまでパニックにならずにすんだかもしれない……
「うん、わかった。天気予報ではしばらくは大丈夫そうだけど、急に雨が降って来ることもあるから……なるべく早く無停電電源 を用意するね!」
「すみません、お願いします」
「いえいえ。放置してた僕らが悪いんだよ。……それで、とりあえずこっちは何とか今日中にはケリがつきそうだから、明日にはそっちに行けると思うけど、他に何か必要な物はある?」
「そうですね……じゃあ――」
***
裕也との通話を終えると、雪夜を起こさないようにそっとベッドに横になった。
「っ!」
雪夜に引っかかれた痕が引きつってピリッとした痛みが背中を走り、夏樹は思わず顔をしかめた。
着ていたTシャツを脱ぐと、あちこちに血が滲んでいた。
姿見に背中を映してみると、歯型や、引っかき傷だらけだった。
ちょうど爪を切ってすぐだったので、切っていなければもっとひどいことになっていたはずだ。
もっと色っぽいことでついた痕なら嬉しいんだけどね……
夏樹はため息を吐きつつ、鏡に映る自分の顔に向かって苦笑いをした。
***
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