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夜明けの星 8-11(夏樹)

 (たらい)風呂に入るようになってから、雪夜はまたよく笑うようになった。  兄さん連中も、「これならまた近いうちにお出かけを再開できるかもしれないな!」とホッとした様子だった。  だが、夏樹は…… 「――で、ナツは何がそんなにも気になってるんだ?」  夏樹の膝で昼寝をしている雪夜に聞こえないよう、斎がソファーの背もたれの裏側に椅子を置いて座り、背後からそっと話しかけて来た。 「え?」 「気になることがあって夜も眠れない~~って顔に書いてあるぞ?」 「ぅにぇ!?」  斎に頬をムニっと挟まれて、変な声が出た。   「雪ちゃんが行く気になってくれるかどうかはわからないけど、そろそろ次のお出かけの予定を立ててみるか!」  と盛り上がっている兄さん連中に水を差したくないので、表情には出さないようにしていたのだが…… 「何が……気になるんでしょうかね……?」 「あ゛?」 「自分でもハッキリとはわからないんですよ。ただ……」  夏樹は少し考えるように言葉を切った。  停電でパニックになる前から、雪夜はうなされることが増えていた。  そして、パニック後、不安定で一日中ぼんやりしていた時よりも、落ち着いて来て元気に笑っている今の方が、うなされる頻度は多くなっている。  これを一体どう(とら)えればいいのか……  雪夜がいろんな経験をして楽しい思い出をいっぱい作った方がいいと思っていたけれど、もしかしてちょっと新しい刺激を与えすぎなのだろうか……  もう少し抑え気味でゆっくりと慣らしていく方がいいのかも……?    人間は自分にとって辛い記憶、都合の悪い記憶を“忘れる”ことができる。と言われている。  もちろん完全に消えるわけではないので、ふとした瞬間に思い出してしまうことはあるが、それでも普段は記憶の奥に閉まってしまうことができる。  そして、楽しい記憶はいつでも取り出せる場所に保管していく。  楽しい記憶、幸せな記憶は、生きていくための心の支えになってくれるからだ。  でも、雪夜のように鮮烈に印象に残るような記憶の場合は、なかなか“忘れる”ことができない。  特に、楽しい記憶の量と辛い記憶の量があまりにも違いすぎる場合は余計に難しい。  だから、雪夜にも楽しい記憶、幸せな記憶をもっと増やしてあげたいと兄さん連中も佐々木たちもいろいろと頑張って考えてくれているのだ。  ただ、 雪夜の記憶が未だ混濁した状態である以上、一気に新しい刺激を与えてしまうとさらに記憶が混濁してしまう可能性はないわけではない。  一応、斎たちもそのことは考慮してくれているらしいが、なんせお祭り好きな人たちなので、いざ始まってみると自分たちもテンションが上がって楽しんでしまうため、結構歯止めが利かなくなっていることも……  全力で楽しむのは良い事なのだが、雪夜のキャパを超えている気がするのだ。 「まぁ、たしかに……一気に刺激を与えすぎてるかもしれないが……お前が気になってるのはそのことだったのか?」 「ああ、いや……ですから、そんな風に気になったのは、昼間楽しそうにしていた時程、夜になると雪夜がよくうなされているからなんですけど、そのうなされている時のうわ言が……」 「聞き取れたのか?」 「少しですが、最近頻繁に呟いている言葉があって……」  夏樹は斎にタブレットを見せた。  斎には、雪夜がうなされている時のうわ言や寝言を、出来る限り記録しておけと言われている。  今どの記憶を整理しているのか、整理がどのくらい進んでいるのか、雪夜の頭の中で、混沌とした膨大な記憶がどうなっているのかを知る手掛かりは、寝言の中にもあるからだとか。  本当に整理なんて出来ているのかな……  ただ繰り返し悪夢を見て辛い思いをしているだけなんじゃ……? 「これはつまり……姉のことを思い出してるってことか?」  斎が寝言の記録を読みながら顎を撫でた。 「はい……たぶん」  最近雪夜はうわ言で「ねぇね」「なんで?」「ごめんなさい」を繰り返すことが増えている。  他にも何か言っているようなのだが、残念ながら聞き取ることは出来なかった。 「まぁ、この寝言自体は以前から度々口にしていた言葉ではあるんですよ」 「でも今までのとはちょっと違う気がする……ってことか?」 「それが分からないんです。ただ、何となくニュアンスっていうか……雪夜のうなされている時の様子が違う気がして……」  夏樹は自信なさそうに頭を掻いた。  雪夜がうなされて姉に関するような言葉を呟くことは以前からあった。  と言っても、工藤らによって、監禁事件の記憶とともに、姉の存在も記憶の底に沈められていたので、普段は雪夜は自分を一人っ子だと思っていた。  そのため、発作を起こして不安定になっている時くらいしか姉のことを口にすることはなかったのだが……姉へのうわ言が……以前と最近とでは、何となく…… 「具体的にはちょっと説明できないんですけど……」  完全に感覚的なものだ。  どこが違う、とハッキリ言えないので、夏樹としても口に出すのをためらっていたのだ。  言語化できない感覚。  でも、本当に“何となく”……今までと違うような気がする。 「ずっと雪ちゃんと一緒にいるお前がそう思うなら、間違いないと思うぞ?微妙な違いとか、違和感とか、そういう些細な変化っていうのは傍にいる人間にしかわからないからな。そしてそういう些細な変化が実は結構重要なサインだったりする」 「重要なサイン……ですか?」 「う~ん……雪ちゃんの動向に注意しておいた方がいいかもしれないな……」  斎の提案で、しばらく寝室にもカメラを設置することになった。  さすがの裕也も、寝室にまで隠しカメラを設置するような野暮なことはしない。  だが、理由を話すと二つ返事でさっさと取り付けてくれた。  寝室をずっと見られていると思うとちょっと居心地が悪いけど、まぁ別に今は寝ているだけだしね…… ***

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