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夜明けの星 8-15(夏樹)

 昏睡状態から目を覚ました雪夜は3歳頃の状態でしばらく固定されていて、途中から2~10歳辺りを行ったり来たりしていた。  それ以上の年齢の雪夜が出て来るのはほんの一瞬だ。  もし昨夜のような雪夜が出て来る頻度が増えて、その状態でいる時間が長くなってくれば……どんどん良くなっていくかもしれない。  だが…… 「昨夜の雪夜が……今言ったみたいに、ただ記憶の中の俺と違うから戸惑っていただけならいいんですけど……」 「……ん?」  戸惑っていたのは確実だが、頑なに夢の中だと思い込んでいたことが気になる……  いくらパニクっていたとしても、夏樹の髪型が違うとしても、さすがにあれだけ抱きしめていれば生身か夢かくらいはわかるものではないだろうか? 「……俺、間違ってるんですかね?」 「何がだ?」 「隆文たちにはもう雪夜の記憶を弄らないでくれって言いましたけど……でも、それは俺のエゴで、雪夜自身が望んで決めたことじゃない。そう言う意味では、俺のしていることは、工藤や隆文と何ら変わりないですよね……」  昏睡状態から目覚めた時には、完全に記憶が混濁している状態だったため、雪夜の精神状態は最悪で……夏樹たちのことも完全にわからない状態だった。  それでも夏樹だけは雪夜の傍にいることが出来たし、雪夜の様子も少しずつ落ち着いて来ていたので、それなら無理に雪夜の脳に負担をかけてまで記憶を弄らなくても、これからゆっくりと時間をかけて雪夜が落ち着くのを待っていればいい。  雪夜のためには、その方がいいだろう……そう思っていた。  雪夜のため……  夏樹はいつだって、雪夜のことを考えて、雪夜のために一番いい方法を考えて来たつもりだ。  だけど、果たして本当にそれでよかったのか?  雪夜自身が乗り越えるのを待つというのは、一見聞こえはいいけれど、結局は雪夜任せだ。  幼い頃とは違って、雪夜はもう大人だから、時間はかかっても乗り越えられる。と勝手に決めつけて……もしかしたら俺は一番酷いことをしているのかもしれない。   「俺はただ待てばいいだけですけど、雪夜にしてみれば、ずっといろんな記憶が混濁した状態で……工藤たちは寝ている間に少しずつ記憶を整理していると言っていたけれど、それだってどれくらい進んでいるのかわかりませんし……本当に整理出来ているのかもわからない……」 「はい、そこまでっ!」  パンッ!という大きな音と、微かな風を感じて夏樹はハッと我に返った。  顔の前に斎の手があった。  今の音は斎が手を叩いた音らしい。 「ぐるぐるするのはわかるが、聞いてる方は同じことの繰り返しでつまんねぇからそこまでっ!」 「ええっ!?」  ちょ、酷いっ!俺めちゃくちゃ悩んで…… 「で、結局お前はどうしたいんだ?」 「……え?」 「雪ちゃんを見捨てて、工藤のところに連れて行くか?」  雪夜を見捨てる……? 「そんなことはしませんよ!!ただ……例えば、全部じゃなくて、一部の……監禁事件のこと、母親にされたこと……それと……姉のこと……そういう雪夜にとって特に辛い記憶だけでも、奥に沈めることって出来ないですかね?」 「無理だな」 「即答!?」 「だって、それが出来りゃ最初から工藤たちがそうしてるだろ。普通はわざわざ何年分も上書きするより、一部だけ消した方が簡単だろうしな」 「それはそうですけど……」  夏樹も……本当はわかっている。  自分がどれだけ無茶苦茶なことを言っているのか……  工藤たちが施した治療の詳しい方法はわからないが、雪夜は当時まだ現実と空想が混在している幼い年齢だったにもかかわらず、あれだけ長期的に大掛かりな治療をしなければいけなかったのだから…… 「お前が気にしているのは……姉のことか?」 「まぁ……そうですね……たぶんそうなんだと思います」  自分でもどうして今更こんなことを言い出したのかわからなかったのだが、斎に言われて腑に落ちた。  そうだ……たぶん雪夜の寝言だ……  雪夜は最近うなされている時にやけに姉のことを呟いていた。  その様子に違和感を覚えて何となく気になっていたところに昨夜の雪夜だ……  何か関係があるのかもしれないと思っても仕方ないだろう? 「でも、昨夜の雪ちゃんは姉のことは口に出してねぇんだろ?」 「そうなんですけど……あ~もう!ダメだっ!最近、言葉に出来ない感覚的なもやもやが多すぎて気持ち悪いっ!!」  夏樹は両手でガシガシと髪を掻き乱して、頭を抱えた。 「だったら、考えるな」 「ええ~……?」    それが出来ればどんなに…… 「あのな、人間の感情や感覚なんて複雑なんだから言語化出来ないことなんていっぱいあるんだよ。気持ち悪いのはわかるけど、ぐだぐだ考えてもどうにもならないから、考えるだけ無駄だ。無駄なことに頭を使うな」 「無駄って……」 「でも、忘れるな」 「え?」 「考えなくてもいいけど、何か気になる感覚があるってことは忘れるなって言ってんだよ。前も言っただろう?些細な変化が実は重要なサインかもしれないって。雪ちゃんに何か変化があった時に、すぐに気づいてやれるようにしておけ」 「……それは……もちろんですけど……」 「よし、いい子だ」  斎が夏樹の頭をポンポンと軽く撫でた。 「まぁ……部分的な記憶をどうにかすることついては、俺も工藤たちに相談してみるよ。もしかしたら何かいい方法が見つかるかもしれねぇしな」 「はい。お願いします」 「さてと、それじゃ昼飯作るか~――」 ***  斎に話を聞いて貰って、少し気がラクになった。    そうだよな……ぐだぐだ考えるのは止めよう。  いくら考えても言語化出来ないものはあるし、雪夜の治療法だって何が正解かなんて、誰にもわからない。  後になって、あの時こうしておけばと思うことはあるかもしれないが、その時その時で夏樹が、夏樹たちが出来ることを精一杯していくしかないのだ。  ひとまず……今日雪夜が目を覚ましたら……思いっきり抱きしめよう。  髪も切ろうかな……偽物に間違われないように…… ***

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