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夜明けの星 8-18(夏樹)
「……で、結局何もしなかったのか?」
昨夜の雪夜の様子を聞いた斎が、信じられないという顔で夏樹を見て来た。
「しませんよ!!出来るわけないでしょう!?」
***
――昨夜、ようやく目を覚ました雪夜は、夏樹に向かって……「抱いてください」と呟いた。
つい最近まで「なちゅしゃ~ん」とか言っていた雪夜の口からそんな言葉が出て来るとは夢にも思っていなかったので、パニクった夏樹は……
とりあえず、お粥を作って食べさせ、軽いキスで雪夜を落ち着かせて、そのまま寝かしつけた。
それに対する斎の感想が「何もしなかったのか?」だ。
出来るかあああああああああああっ!!
「ん?あぁ、そっか。そうだよな。俺としたことが!悪いな、気が利かなくて。そうだ、ちょうどいいからユウに頼むか」
「へ?何をですか?」
「いやいや、そうだよな~。ここにいたんじゃ手に入らねぇもんな~……」
斎はひとりで納得すると、急に電話をかけ始めた。
「……あ、ユウ?あのさ、今日こっち来るんだろ?んじゃ、ついでに、ヤる時に必要なもの持ってきてやって。……あ?違う違う、そっちじゃねぇよ。ベッドの方……そそ……」
待って、一体何の話をしてるんですか!
「ん?あ~……どっちだろ……ちょっと待て。……おぃナツ~!」
「え?何ですか?」
「ユウが『ソフトとハード、どっちのプレイするの~?おもちゃいる?』って……」
「普通です!!ノーマルです!!っていうか、しませんよ!?出来ないっていうのはそういう意味じゃなくて……」
「ノーマルだってさ。おぅ、んじゃよろしく~」
聞いてぇえええええ!!
夏樹の言葉を無視して斎はさっさと裕也との会話を終えた。
「斎さん!!出来ないっていうのは、その……抱くのに必要なものがなかったからというわけではなくてですね!?」
……いや、それもちょっとはあるけど……でも、それよりも……
「なんだよ。抱きたくねぇの?」
「はあああっ!?そんなことあるわけないでしょ!?俺がこの数年間……一体どれだけ頑張って、我慢して……日々煩悩を滅却することに命かけてたと思ってんですかっ!!俺の心頭滅却っぷりには坊さんもビックリですよっっ!?」
夏樹が震え声で手をわなわなさせていると、斎がハハハッ!と軽く笑った。
「だったら、抱いてやればいいじゃねぇか」
「だからっ!!……そんな……簡単なもんじゃないんですよ……」
「簡単なことじゃねぇか。だって、雪ちゃんがそれを望んでるんだろ?精神年齢が子どもの状態ならさすがに俺も止めるけど、大学生でちゃんとお前のことがわかってるならいいじゃねぇか」
そう……昨夜の雪夜は大学生だった。
夏樹のこともちゃんとわかっていたし……だからこそ、あんなことを言ってきたわけだし……
「でも……どう考えても普通の状態じゃないでしょう?……急にそんなこと言い出すっていうのは何かあるんだろうし……」
だいたい、雪夜とする時はいつも誘うのは夏樹からで……
焦らして無理やり言わせたことはあるが、雪夜が自分から誘ってくるようなことはなかった。……と思う。
つまり、大学生に戻っていたとしても、雪夜は急にあんなことを言い出すような子ではないのだ。
それに、昨夜のあの時点では大学生だったとしても、その状態がいつまで続くかわからないし……
「そりゃ雪ちゃんはまだ不安定だよ。そんな急に元に戻るわけないし、むしろ大学生の頃の雪ちゃんなら、ナツの前だと真っ赤になって俯いてるのがデフォだしな」
「そうなんですよ!」
「だけど、ナツに抱かれることで安心できるっていうなら抱いてやるのが優しさなんじゃねぇの?雪ちゃんが何か心に不安を抱えてるっていうことをお前がちゃんとわかっていればそれでいいと思うけど?」
斎が真面目な顔でそういうと、ふわりと微笑んだ。
「それは……そうかもしれませんけど……」
でも、いくら誘惑されたとしても、夏樹は昨夜の雪夜を抱くことはなかったと思う。
理由はいろいろあるが、何より……数日間の昏睡状態から目覚めた恋人をいきなり抱くとか無理があるだろっ!?
ただでさえ雪夜は体力がないから、抱く時はいつも無理をさせないように気を使っていたのだ。……これでも一応ね。
だから、せめて雪夜の体力が戻らないと……
「まぁ、それは言えてるな」
「でしょ!?」
「で、お粥は食えたのか?」
「渋々ですが、少しは……」
最初は食べたくないと言っていたが、「ちゃんと食べて元気にならないと抱けないよ」と言うと、渋々食べてくれた。
「今日もまだ寝てますけど、朝薬を飲むときには起きてくれたので……ひとまず昏睡状態からは脱却したみたいです」
「そうか。とにかく、雪ちゃんの状態は、本人が目を覚ましてから観察していくしかないな。昨夜の行動も気になる点が多いし……」
「はい……」
昨夜の雪夜の言動には謎が多すぎる。
もし、今日、これから目を覚ました時も大学生の状態なら、昨夜何を思ってテラスへ行ったのか、外は怖くなかったのか、どうして夏樹に……抱かれたいと思ったのか……聞きたいことはたくさんある。
だが、雪夜が過去の記憶や、この数年間の自分の状態などを覚えているのかどうかもわからないので、何をどういう風に聞けばいいのかが難しい。
夏樹は、斎と雪夜への対応を相談しながら、ひとまず検査のために病院へ連れて行く準備も始めた。
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