526 / 715
夜明けの星 8-25(夏樹)
――雪夜は出すものがなくなって胃液だけになってもしばらく嘔吐 いていた。
「……ごめっ……ぅっ……汚しちゃ……っ」
ゴミ箱に突っ込む前に堪えきれなかった分が手からこぼれたらしく、床が少し汚れていた。
夏樹がそれを掃除しているのを見て、雪夜が涙まじりに謝ってきた。
「えっ!?」
夏樹は謝られたことに驚いてマジマジと雪夜を見てしまった。
なんせ昏睡状態から目覚めたばかりの時にはパニックになって嘔吐することはよくあったし、そんな雪夜を落ち着かせるために抱きしめていて服を汚されることもよくあったので、夏樹にしてみればもう汚物処理 は慣れたもので……
そして、そういう時の雪夜はパニクっていてそれどころじゃないので、片づけている夏樹に謝ったりお礼を言ったりすることは、まずない。
だから、雪夜にこんなことで謝られるのは新鮮で……一瞬反応に困ってしまった。
「あぁ……これくらいどうってことないよ」
掃除なんて後回しでもいい。
ただ、ちょうど雪夜の足元だったので踏んでしまうといけないと思って、軽く拭いておこうとしただけなのだが……ちょっとタイミングが悪かったらしい……
夏樹は自分に舌打ちをしながら、手を止めた。
「それより、手と口を洗いに行こうか。そのままだと気持ち悪いでしょ?」
「……ぁぃ……」
「おいで。あ、ゴミ箱 は俺が持つよ」
夏樹は雪夜が持っているゴミ箱を受け取って、雪夜が手を引っ込める前に、素早く手を握った。
「あっ!夏樹さ……俺、手、きたな……い……っ」
「どうせ俺も一緒に洗うから大丈夫だよ」
自分が苦しくても夏樹の手が汚れることを気にしている雪夜に、少し苦笑した。
変わってないな……
「洗面所はこっちだよ」
夏樹が洗面所に連れて行こうとすると、だんだんと雪夜の足が重くなった。
「……雪夜?」
「……ぁの……えっと……」
夏樹が振り向くと、それ以上進めないように夏樹に繋がれた手を引っ張って必死に足を踏ん張る雪夜の姿があった。
「あ……あの……そっちは……や……だ」
雪夜が、夏樹に向かって半泣きで顔を横に振る。
「手を洗うのが嫌?」
「違っ……わからないけど……でもそっちはなんか……こ、こわぃ……」
雪夜自身もなぜかはわからないという顔をしつつ、それでもそちらには行きたくないと拒んだ。
洗面所の奥には脱衣所、そして浴室がある。
つまり、脱衣所か浴室かそれとも両方か……トラウマに反応しているということかな?
「……わかった。じゃあキッチンで洗おうか」
「ごめ……なさぃ……」
「大丈夫だよ」
つい数か月前、落雷による停電のせいで雪夜が浴室に近寄れなくなった。
それからは、専ら洗顔も歯磨きも手洗いもキッチンで済ませていたので、キッチンにもちゃんとハンドソープや洗顔石鹸などが置いてある。
「――あ、その歯ブラシ雪夜のだから使っていいよ」
「え?あ、はい」
雪夜は、なぜ台所に歯ブラシが……?と首を捻りつつ歯磨きをした。
***
「雪夜、顔見せて?」
夏樹はソファーに座ると、少しさっぱりした様子の雪夜を膝に抱き上げた。
「ほぇ?あ、あの夏樹さん!?俺重いから……っ」
いや、全然軽いよ?
昏睡状態から目覚めてしばらくは固形食も食べることが出来なかったので、雪夜の体重はかなり落ちていた。
いっぱいご飯を食べられるようになってきた今でも、まだ平均体重よりは全然軽い。
「はは、それより、気分はどう?」
夏樹は軽く笑い飛ばして、雪夜に話しかけた。
「え?あ、えっと、もう大丈夫ですっ!あの、本当にすみませんっ!夏樹さんまで汚しちゃって……俺……すごいご迷惑を……っ」
雪夜が何度も頭を下げてきて、しょんぼりとうなだれた。
ん?俺雪夜に何か汚されたっけ?
あぁ、もしかして手を繋いだやつか?
「あれは気にしなくていいから。雪夜、ちょっと落ち着こうか」
夏樹は雪夜を落ち着かせようと、両頬をそっと包み込んで額をくっつけた。
「おおお落ち着いてますよっ!?あの、あの、なつ……ちょ、近いぃいいいっ!!」
首まで真っ赤になった雪夜が、必死に顔を背けようとする。
「んん?」
可愛いっ…じゃなくて!
しまった……!
そういえば、大学生の頃の雪夜は……
俺のドアップに耐えられないんだっけ!?
え、じゃあ俺どうやって落ち着かせてたんだっ!?
夏樹は、久々に会う大学生の雪夜の反応があまりにも子どもの時とギャップがありすぎて、どう接すればいいのかわからず混乱していた。
まぁ、俺に照れている間は余計なことを考えられないだろうから、それはそれでいいけど……
たすけてぇええっ!数年前の俺ぇえええっ!!
***
ともだちにシェアしよう!