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夜明けの星 8-28(夏樹)
雪夜の体調をみながら、数日間かけてゆっくりと状況と記憶のすり合わせをしていったところ、どうやら今の雪夜は、昏睡状態から目覚めた後のことも、子どもの頃の記憶も全て覚えているらしい。(思い出していると言った方が正しいかもしれないが……)
もちろん、監禁事件の記憶から、上書きされていた嘘の記憶まで、全てだ。
ただ、それらのほとんどの記憶や、子ども雪夜になっていたこの数年間のことは全部夢だと思っていたらしい。
夢だと思っていたなら……その方が良かったのかもしれない……
夢ではなかったと知ってから、雪夜の表情は日に日に曇っていき、口数が減った。
あやふやになっていた部分が徐々に鮮明になってくるにつれて、激しい頭痛による嘔吐と発熱で寝込むことが増え、一気に体重が落ちた。
子どもの頃のこと。
もう過ぎたこと。
だから、気にしなくていい。
口で言うのは簡単だけれど、雪夜にしてみれば約20年分の記憶が偽物だったのだ。
そんな一言で済ませられるものじゃない。
それに、上書きされた記憶と、研究所で“上書きされている時”の記憶も思い出してしまったらしく、自分が研究所で受けていた治療と言う名の実験も……夏樹たちには詳しくは話してくれないが、雪夜の様子から察するに、きっと思い出しているのだと思う。
雪夜……大丈夫なのかな?
俺、やり方間違えた?
どうすれば良かったんだろう……?
一気に説明し過ぎた?
監禁事件のことや、家族のことは……無理に言う必要なかった……?
夏樹は、寝込んでいる雪夜の隣で頭を抱えた。
何をどこまで話すのか、加減が難しい。
雪夜がどれくらい思い出しているのか、どんな状態なのか……確認していくうちに結局は辛い記憶にも触れざるを得なかった……
「いや、夢だと思っていたにしても、俺らの想像以上に鮮明に覚えてるみたいだし……遅かれ早かれ雪ちゃんには真実を話してあげなきゃいけなくなってただろ。後からそのことだけを説明するよりも、他のことと一緒にサラッと流した方がまだマシな気がするけどな……なんせ衝撃的な内容ばかりだから、ひとつだけに驚いている場合じゃなくなるだろ?」
隣に座った斎があえて軽い口調で言いつつ夏樹の頭を撫でた。
夏樹が考えすぎないように気を使ってくれているのだろう。
「そうならいいんですけど……」
何が正解なのかなんて、誰にもわからない。
工藤たちも、雪夜がこの数年間のことまで覚えていることや、全てを思い出した状態で元の大学時代の状態に戻るとは思ってもいなかった。
工藤たちは、この数年の雪夜の退行現象から、ある程度年齢を退行させて現実から逃避した状態で過去の記憶を整理し、雪夜にとって嫌な記憶の上に夏樹たちとの楽しい記憶を重ねて行くことで、ゆっくりと精神年齢を戻していくのではないか……と考えていたらしい。
だから、夏樹たちとあちこち出かけて楽しい思い出を作るのは雪夜にとっていいだろうと賛成してくれていたのだ。
「さすがにもう昏睡状態にはならないとは思うけど……ただまぁ、これ以上衰弱が激しければ雪ちゃんが何と言おうと入院させるしかなくなるよな」
「ですね……」
雪夜は高熱でフラフラになりながらも「病院には絶対に行きたくない」と懇願してきた。
子どもの頃のことを思い出してしまったので、病院に行くのが怖いらしい。
隆文に相談すると、発熱も嘔吐も精神的なものから来ているため、栄養さえどうにか摂取出来れば無理に入院することはないだろうとのことだった。
今病院に連れて行けばパニックになるのは目に見えている。
雪夜自身も、少しでもお粥を食べたりイオン飲料を飲んだりと、何とか自分で栄養を摂ろうと頑張っているので、なるべくなら無理強いはしたくない。
だが……
「――ゃめてぇえええっっ!!」
「雪夜っ!!」
叫び声を聞いて夏樹は慌てて雪夜を抱き起こした。
「夢だっ!雪夜!起きて!」
「――ごめ……なさぃっ!ごめんなさいっ!ねぇね、やめてぇええっ!!」
「雪夜!!夢だよ!!もう大丈夫だ……大丈夫だから……っ」
「やっ……!……え?……ゆ……め?……」
「夢だよ……もう大丈夫、俺がついてるからね。怖くてもちゃんと俺が傍にいるから大丈夫……ひとりじゃないよ……」
「そば……に?」
「うん、傍にいる。何があっても助けに行くからね。大丈夫だよ」
「なつ……さん……?」
「うん」
虚ろだった雪夜の視線が夏樹を捉えた。
雪夜が夏樹の存在に気付いてくれたので、ホッとして微笑み返した。
夏樹を認識できれば、ひとまずは安心だ。
雪夜は記憶が鮮明になってくるにつれて、眠れなくなった。
眠りはするが、うなされてすぐに目を覚ます。
うなされている時はいろんなことを口にするが、その中でも「ねぇね」「ごめんなさい」と、姉のことを口にすることが多い。
数ある嫌な記憶の中から、なぜ“姉”なのか……今はそれが一番の謎だ……
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