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夜明けの星 8.5-4(夏樹)
家に帰って来て数日経った。
その間、雪夜はずっと落ち着かない様子だった。
夏樹が抱きしめると落ち着くのだが、どうしても照れるので硬くなってしまい毎回落ち着くまでに時間がかかるし、夏樹が何か用事をしようとするとすぐに離れてしまう。
でも、ひとりになるとやっぱり不安らしく、少し離れて夏樹についてくる。
う~ん……何だろうな~、この微妙な距離間……
雪夜なりに邪魔をしないようにしているのかもしれないが、フラフラしながらついてこられると転ばないかと心配になるし、仕事をしていても背後からの視線が痛い。
いっそのこと、不安定になっていた頃のようにべったりひっついて来てくれた方が……
夏樹はしばらく考えた後、室温を少し下げた。
「雪夜、ちょっとおいで」
「……はい!」
「はい、これ。暑くなったら外してね」
夏樹は雪夜の首に自分のマフラーをふんわり巻きつけた。
「え?マフラー……ですか?」
「そそ。俺のマフラー。なくさないようにね」
「え、あの……どこか出掛けるんですか?」
「ううん?家にいるよ?」
「え?」
「家にいるけど、雪夜が持ってて」
「あ……はい」
なぜ室内でマフラー?と雪夜はキョトンとしていたが、しばらくして視線を感じなくなったので振り向くと、ソファーの上で膝を抱えた雪夜がマフラーに顔を埋めていた。
「雪夜、どした?眠たい?」
「んぇ?あ……はぃ……だいじょぶれしゅ……」
「ここで寝る?ベッド行く?」
「なつきしゃんと……いる……ましゅ」
雪夜が目を擦りつつ夏樹に手を伸ばして来た。
可愛っ!……って、寝ぼけてるね、うん。
「わかった。それじゃ、ベッド行こうね」
雪夜を抱きあげベッドに連れて行く。
「雪夜、マフラー外すよ」
「ん~ん!」
夏樹がマフラーを外そうとすると、雪夜が怒って夏樹の手をペチン!と叩いた。
「でも、そのままだと首が絞……痛くなっちゃうでしょ?」
「首が絞まるよ」と言いかけて、慌てて言葉を変えた。
雪夜は帰宅してから、まだほとんど寝込んでいない。
斎は「今はこの家の違和感に慣れることに必死で、記憶の整理に集中していないせいかもしれないな」と言っていた。
一時的なものだとしても、少しでも気が紛れているなら環境を変えた甲斐があるというものだ。
なんなら、このまま過去の記憶の方はあやふやになってしまえばいいとも思う。
だから、なるべく母親や姉に繋がるようなワードや、トラウマに繋がるようなワードは口にしないように気を付けている。
「だって、なつきさんが……」
「ん?あ~……うん、そうだね。俺が雪夜に預けたけど、ずっと巻いてなくてもいいんだよ?枕の横に置いておけばなくさないでしょ?ね?」
「……ぁぃ」
雪夜は渋々マフラーを外すと、チラッと夏樹を見て、マフラーをギュッと胸に抱きしめた。
あ、ギュッてして 寝るのがいいの?……へぇ~……
そか、まぁ……うん……雪夜がそれで安心するなら……いいんだけどね?
でもそれだと……俺にぎゅ~って出来なくないですか!?
夏樹の持ち物を渡しておけば少しは安心できるかなと思い、持ち運びしやすいマフラーを渡したのだが……思った以上の効き目にちょっと自分のマフラーに嫉妬した。
***
「ほぉ~、匂いねぇ……?」
画面の向こうで浩二が腕を組みながらドサッと背もたれにもたれかかり足を机の上にあげた。
ちょっと仕事のことで話があったので会社に連絡しただけなのだが、メインの連絡は約5分で終わったのに、そのあと超絶ヒマを持て余している社長 に捕まってしまったのだ。
「はい。まぁ、俺の予想ですけどね?ところで、浩二さんの顔はいつから汚い靴の裏になったんですか?」
「あ゛?汚くねぇよ!これは室内用だっ!」
……はい、皮肉が通じな~い……
夏樹はチベットスナギツネのような冷めた目で浩二を見た。
浩二は足を退ける様子もなく、そのまま話を続けて行く。
「うん……まぁ、雪ちゃんはたしかに匂いに敏感だよな。爆睡しててもナツの代わりに俺らが抱っこしようとするとすぐに目を覚ましてたし。ああ、そう言えば前に、誰が一番長い時間気づかれずに雪ちゃんに添い寝できるかを試したことがあったな~……」
「……はあ!?」
なんだそりゃ……
「いや、子ども雪ちゃんの時だぞ?お前の代わりに俺らが交替でみてた時があっただろ?さすがに今の雪ちゃんにはしてないから心配すんな」
「まぁ、それはたしかに……兄さん方にはしょっちゅうお世話になってましたけど……」
言われてみれば、斎や裕也はよく子ども雪夜に添い寝をしていた。
もしかすると、あれも?
「いや、斎と裕也はナチュラルに添い寝してただけだな。試してたのはあいつら以外。だって、あいつら入れたら、斎が一位なのはわかってるしな――」
「ははは、でしょうね」
雪夜が言うには、斎と夏樹は何となく雰囲気が似ているらしい。
まぁ、夏樹にはよくわからないが……
「俺なんて布団に入ろうとした瞬間気づかれた……」
「浩二さんは香水がキツイから……誰だってすぐにわかりますよ」
「一応雪ちゃんに会う時はあんまりつけてねぇんだけどな~」
「もう沁みついてるんじゃないですか?」
浩二に向けて言いながら、ふと、自分の匂いもそういうことなのかもしれないと思った。
雪夜に出会う前は香水も整髪料も自分が気に入ったものを使っていたので、それがこの部屋にも沁みついていたのかもしれない。
だとすれば、もう前と同じ匂いに戻すのは無理ってことだな……
一緒に暮らしつつ、これから新たに雪夜が安心できる匂いに変えて行くしかないか……
「え~……?俺そんなに臭いか?」
「はい、そうですねっ!」
「元気よく答えるなっ!傷つくわっ!」
「あはははっ……!」
「ところで、雪ちゃんは?」
「あぁ、俺の隣でまだぐっすり眠ってますよ。お昼寝をしたのはここに来てから初めてで――……」
夏樹は、ふっと苦笑すると、夏樹のマフラーを抱きしめて眠る雪夜の頭を優しく撫でた。
***
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