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夜明けの星 8.5-9(夏樹)
「ねぇ、雪夜。昨日……何か俺に話したいことがあったんじゃないの?」
ようやく笑いがおさまった夏樹は、雪夜をやんわりと抱きしめて囁いた。
「……え?」
雪夜は夏樹につられて笑ったおかげでいい感じに緊張が解れ、肩の力が抜けていた。
今なら話してくれるかもしれない……
「あ……えっと……」
「あ、違ってたらごめんね?ただ、何となく話したいことがあるのかなって思って……」
「違ってないです!……あの……違わなくて……えっと……」
話したいことがあるが、うまく内容がまとまらないのか雪夜が視線を泳がせた。
「焦らなくていいよ。雪夜が話したくなったら話してくれればいいから。時間はたっぷりあるからね」
「は、はい……あの……えっとね……」
「うん」
「さ、佐々木にね、ちゃんと夏樹さんに言っておいた方がいいって言われて……」
「何を?」
「あの……俺記憶が……」
雪夜がポツリポツリと話し始めた。
今の状態に戻った時に記憶のすり合わせをした際、雪夜は過去の記憶を全て覚えていると言っていた。
子どもの頃の記憶は本当の記憶も上書きされた記憶も全部覚えていて、昏睡状態から目覚めた後の子ども雪夜になっていた間のことも、おぼろげに覚えているとのことだった。
その言葉には嘘はない。
実際記憶のすり合わせでも、大まかな内容だったとはいえ、ほとんど合っていたのだ。
ただ、バラバラなのだと言う。
「バラバラ?」
「えっと……だから、今までの記憶が……」
例えば、生まれてからの記憶がコマ送りの映画のフィルムのようにどんどん繋がって巻き取られているとする。
普通はそのまま上映すれば、記憶はほぼ時系列通りになっているはずだ。
でも、今の雪夜はそのフィルム全体がジグソーパズルで出来ているようなものらしい。
部分的にフィルムの1コマ、もしくは、コマの中の1ピースがバラバラになって抜け落ち、下に山積みになっているせいで、時系列がぐちゃぐちゃになっているのだとか。
「……時系列がぐちゃぐちゃってことは、それが一体いつの記憶なのか、何歳の記憶なのかがわからないってこと?」
「……はぃ」
子どもの頃のことはもちろんだが、子ども雪夜になっていた間のことや、大学時代の記憶も一部バラバラになっている。
そのせいで、夏樹たちと話していても、ちぐはぐになってしまうことがあるのだ。
子どもの頃の記憶については、夢だと思っていたことも多いので、余計に時系列がおぼろげだ。
それに、実際の子どもの頃の記憶と、この数年間の子ども雪夜の頃の記憶もごちゃ混ぜになっているのだとか。
「あのっ、あのね?……佐々木にね、夏樹さんや斎さんたちがこの数年間、子ども返りしてた俺にずっとついててくれたんだよって教えてもらって……俺もそれは何となくは覚えてて、みんなにスゴイいっぱい迷惑かけたのも覚えてて……それなのに、なんか記憶がごちゃごちゃになってて、夏樹さんたちとのことをちゃんと覚えてないのが申し訳なくて……」
頭の中のことを言葉にして伝えるのは難しい。
雪夜はつい最近まで子どもの状態で、言葉だってうまく喋れなくなっていたのだから余計に大変だと思う。
それでも、何とか伝えようと頑張ってくれているのが嬉しかった。
ジグソーパズルや映画のフィルムの例えは、佐々木が考えてくれたらしい。
***
「はい、ちょっとお茶飲んでおこうか」
思いつくままにひたすら喋っていた雪夜がちょっと咳き込んだので、夏樹は雪夜の背中を撫でながら、ベッドサイドに置いてあったお茶を渡した。
「う~んと……時系列がバラバラにはなってるけど、記憶自体はあるんだよね?」
「は、はい。記憶自体はあります!でも、バラバラになってるとその……ピースをちゃんと埋めるのに時間がかかってすぐに反応できないから……申し訳な……」
「はい、ストップ」
「んにゅ?」
「うん……なるほどね。そかそか……ジグソーパズルね……」
ネガティブ思考は雪夜のお得意だが、一度陥るとなかなか抜け出せないので夏樹はだいたいの話しがわかった時点で雪夜の口に指を当てた。
つまり、今の状態に戻ってから夏樹たちとあまり話してくれなかったのは、夏樹たちに記憶がごちゃごちゃになっていることを知られたくなくて、密かに思い出そうと頑張っていたから……ということらしい。
「雪夜」
「……はい」
「あのね、申し訳ないとか思わなくていいんだよ」
そもそも、雪夜はこの数年間ずっと記憶が混濁していたのだ。
夏樹も兄さん連中も、雪夜が混乱していることはわかっているし、雪夜が覚えてないからと言って怒るようなこともない。
「わからない時は、わからないって言っていいんだよ。そしたら、あることないこと何でも教えてあげるからね?だから、何でも聞いてきて?」
「あ……はぃ……って、ないこと!?」
「何が知りたい?俺らのこと?そうだな~、雪夜は夏樹さんのことが大好きで~、毎日30回はキスをしていて~……」
「え、それは嘘ですっ!あ、違くて、だ、大好きはホントですけど、でも、でも、さ、30回もキスしてませんよぉ~!」
「そう?……じゃあ、それも真実にしちゃおうか!」
「……え?」
「これから毎日30回以上キスしてれば真実になるでしょ?」
「そ……れは……えっと……え?あれ?」
夏樹のどさくさ紛れの屁理屈に雪夜が困惑して首を傾げた。
「それとも、俺とのキスはイヤ?」
「イヤじゃないですっ!」
食い気味に否定してきた雪夜と顔を見合わせて、思わず揃って吹き出した。
夏樹は笑いながら雪夜を抱きしめて、顔中に軽くキスを落としていった。
毎日30回なんて全然足りないよ?
雪夜はくすぐったそうにクスクスと笑っていたが、28回目のキスで寝落ちした。
***
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