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夜明けの星 8.5-10(夏樹)

『ジグソーパズルですか……』 『その表現自体は佐々木が考えてくれたみたいですけどね』 『ヤングですね。でも、雪ちゃんの今の状態を表すのにはわかりやすいと思いますよ』 『とりあえず、俺らによそよそしかった理由の一つはそれみたいです』 『なるほど……』  コーヒーを飲みながら斎が寝室に目を向けた。 ***  斎は雪夜が寝落ちしてすぐにやってきた。  家に戻ってからも別荘にいた時と同じように、昼間はだいたい斎か裕也が来てくれて雪夜についていてくれるので、夏樹はその間しばらく仮眠をしている。  だが、今日は先ほど雪夜から聞いたことを斎に話しておきたかった。  裕也のカメラがほとんど設置されていないこの家では、雪夜の様子がわかりそうでわからない。  リビングと寝室の距離が近いため、寝ていると思っても聞こえている場合があるかもしれないので、雪夜の過去のことについてあまり声に出しては話せない。  声に出す時は雪夜が聞いても大丈夫な話題だけにして、主にチャットで話している。  つまり、同じ空間にいながら……  斎はダイニングテーブルで、夏樹はソファーでそれぞれノートパソコンを開いてチャットをしているのだ。  ちなみに、斎はカウンセリングと副業を、夏樹は年末年始パーティー三昧のマダムの警護について現場のリーダーとリモート通話をしながらのチャットだ。  斎は仕事モードのせいか、チャットまで仕事モードだ。   『雪ちゃんが今気にしているのは、私たちと出会ってからの出来事ということですよね?』 『そうですね、俺らと出会ってからのことも部分的に時系列がバラバラになってるみたいで、そのせいで話がうまく繋がらないことが申し訳ないと……』 『それが当たり前なんですけどね。過去のことを全部覚えている人間なんて少ないですよ。ほんの数年前、数日前のことでも、記憶があいまいになることはあります。だからそれは別に気にすることはないんですけどね』  そもそも記憶はあいまいなものだ。  ボーっとしていても時間は過ぎ、それらは全て思い出になる。  一分一秒がかけがえのないものだが、普通に過ごしている日々のうち後々まで覚えておきたい思い出がどれだけあるかと言うと、ほぼない。  そのため、記憶として残っているのはほんの一部なのだ。  でも、雪夜の場合は……  工藤の治療の影響で記憶力が悪く忘れっぽい(と本人は思わされていた)だけで、実際は記憶力が良く、忘れてしまうことに慣れていない。  だから、“記憶としてはあるが時系列がわからない”という今の状態が怖いのかもしれない。 『そうですね。あとは、子どもの頃の記憶も混濁してるんでしたっけ?』 『はい……』 ――「あの、落ち着いて考えれば俺の子どもの頃の記憶に夏樹さんたちがいるはずはないんですけど……でも、なんか子どもの頃から知ってるような感覚になっちゃってて……」  夏樹たちが子ども雪夜と過ごした日々が、実際の子どもの頃の記憶と混濁してしまっているせいで、余計に混乱しているらしい。 『でも、それに関しては……いいんじゃないかと思うんですよね』 『ん?』 『今の雪夜には、工藤に上書きされた偽りの記憶と、監禁事件や研究所での真実の記憶が両方あるわけで……その中で、俺らとの記憶も子どもの頃の記憶に入ってるんだとしたら……俺らとの記憶は偽りじゃないから少しは雪夜にとって救いになるかな~と……』 『あ~……』  雪夜が記憶を整理するとして、恐らく最初に記憶の底に沈めるのは偽りの記憶の方だ。  自分の記憶だと思っていたことを忘れるのは難しいと思うが、いくらそれが優しくて無難な記憶だとしても、雪夜にとってその記憶は偽りで、何一つ自分が経験してきたことはないのだ。  すると残るのは、最悪の記憶だけ。  でも、そこに夏樹たちと過ごした日々が子どもの頃の記憶として混ざってくれれば……  雪夜が子どもに戻ってみんなと過ごしていたこの数年間……笑って、はしゃいで、初めての経験をたくさんしたこの数年間も子どもの頃の記憶として残ってくれれば、少しは……支えになれるかもしれない。 『無茶苦茶なことなのはわかってます。それは雪夜の記憶を混乱させるだけだって。でも……』 『ナツが言いたい事はわかりますよ。でも、それは私たちじゃどうにもできない。雪ちゃんが自分でうまく記憶のバランスを取るしかないですね』 『……はい』 『ところで、姉については何か聞き出せましたか?』 『あ~、それについては何も……一度寝ぼけている時に話してくれそうな時があったんですけど、すぐに目を覚ましてしまって……』  雪夜が夏樹たちに距離を取っていた理由はわかったものの、姉については未だ何もわかっていない。  取り越し苦労ならいいが、斎も気にしているところを見ると、やはり楽観視は出来ない。 『クマさんもダメですか……』 『そうですね……』  リビングに鎮座(ちんざ)するどでかいクマのぬいぐるみは、雪夜が佐々木たちと初めて遊園地に遊びに行った時の戦利品だ。  雪夜にとっては思い入れが強いぬいぐるみで、よく抱きついては話しかけていた。  この家に戻って来ようと思った一番の理由は、このぬいぐるみがあるからだ。  夏樹には話せなくても、ぬいぐるみには話せるかもしれない……そう思って……  だが…… 『この家に戻って来てから、雪夜はまだ一度もこのクマさんに触れていないんですよね……』 『一度も?』 『はい。もしかしたら、クマについての記憶もあやふやになってるのかもしれないですね』 『だとすれば、クマさんについての思い出話でもしてやればいいんじゃないですか?』 『思い出話……』  そうか……思い出話ね~……  子どもの頃のことは忘れてもいいから、大学生になってからのことは完全に思い出してもらえるように…… 『プレゼンしろってことですね!了解です!』 「仕事かよ!!あ、思わず(口調が)戻っちまったじゃねぇか!」  静かに仕事をしていた斎が、突然ソファーにいる夏樹に向かって声を出してツッコんだ。 「ははは、すみません」  夏樹も声に出して笑った。  斎が声を出したのは、雪夜が起きたという合図だ。  この話は一旦切り上げて、夏樹は寝室に雪夜を迎えに行った。 ***

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