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夜明けの星 8.5-25(夏樹)

「あのね、ゆきやのねぇねはね……ゆきやがころしたの」  雪夜が静かに呟いた。 「……はぁっ!?……モゴッ」   夏樹は思わず大きな声を出しそうになって、慌てて口を押さえた。  夏樹が起きて聞いていることを雪夜に悟られてはいけない。  もし今、雪夜がちゃんと目を覚ましてしまえば、二度とこの話は聞けない……そんな気がした。 『裕也さん、今のは一体どういうことですか!?』 『いや、僕も初めて聞いたからわからないよ~!え、雪ちゃんは一体何の話をしてるの!?』 『雪夜の姉は……あいつに殺されたんですよね!?』 『うん、それは間違いない。それは絶対に間違いないんだけど……』  珍しく裕也が慌てていた。  姉は犯人に殺されたはずなのに、雪夜が殺したことになっているのはどういうことなのか……  そう思い込んでるだけ?犯人に思い込まされた? 『あ、待って。まだ何か言ってる。とりあえず最後まで聞いてみようよ』 『わかりました……』  イヤホンから、雪夜が『ねぇね』について語っている声が聞こえて来た。  夏樹は焦る気持ちを抑えて、雪夜の声に耳を澄ました。 ***  イヤホンをつけた夏樹の耳に飛び込んで来た雪夜の声は口調も精神年齢も不安定で、子どもになったり大人に戻ったりと忙しないが、声も喋り方も淡々としていて落ち着いていた。  キャンプで初めて姉に会った時の様子は、達也たちから聞いていた話と同じだった。  問題はその先だ。  隆文たちが帰る支度を始めた頃、姉が「あっちにいこう」と誘って来た。  ようやく姉が遊んでくれると勘違いした雪夜は、喜んで姉についていった。  ところが、姉はキャンプをしていた場所からだいぶ離れた場所まで雪夜を連れて行くと、途端に堰を切ったように雪夜に罵詈雑言を投げかけた。  姉は数年間母親と引き離されていたのも、母親が自分に会いに来てくれなかったのも、全部雪夜のせいだと思っていたようなので、恨みつらみをぶつける機会を狙っていたのだろう。 「笑顔が気持ち悪い」というのもこの時に言われたのだろうと思う。  今まで誰かに悪意を直接ぶつけられたことのない雪夜には、急に暴言を吐き出した姉の姿は異様で恐ろしく映った。 「ねぇねがね、おこってたの。パパがしんだのも、ねぇねがママにあえなかったのも、ゆきやのせいだって。ゆきやはみんなをふこうにするからね、ゆきやがしねばよかったのにって……」  当時は姉もまだ子どもだ。  雪夜に投げつけた暴言の半分以上、意味などわかっていなかったはずだ。  母親が会いに行けなかったのは雪夜のせいではなく、祖父母が会わせてくれなかったからだが、当然、姉はそのことは知らない。    だが、だからと言って雪夜を傷つけていいわけでもない。  夏樹にとっては雪夜が世界で一番大事なので、雪夜を傷つけた姉にはあまりいい印象は持っていなかった。  ところが…… 「――ゆきやがね、ねぇねにごめんなさいしてるとね、“まっくろくろのおにさん”がきたの」  雪夜が言う「おにさん」は恐らく雪夜と姉を監禁していた犯人のことだ。    あれ?何か変だな……犯人の供述では確か……  姉が雪夜を崖から突き落とすのを見て、姉に近付いて行ったと…… 「ゆきやね、。おにさんがきてね、ねぇねに『そんなにいらないなら、おとうともらってあげるよ』っていってたの。でもねぇねがね、えっとね、『だめ』って。あのね、『ゆきやはでぜんぜんかわいくないけど、だからだめ』って。それでね、おにさんがおこってね、えっとね、こらーっていってね、ねぇねがね『はやくにげろ』ってドンってしてね、ゆきやがおちて……」  たどたどしい言葉を整理していくと、どうやら姉に罵倒されているところに犯人が来て、力尽くで雪夜を捕まえようとしたらしい。  犯人の狙いは最初から雪夜だったようだ。  雪夜は日頃から達也たちに「変な人が来たら逃げるんだよ!」と教えられていたのだが、直前まで姉に散々暴言を吐かれてショックを受けていたところに、“まっくろくろのおにさん”がやって来たので、状況を理解できずに固まってしまった。  姉は、そんな雪夜の前に立つと、大きな声で奇声をあげて犯人を威嚇しつつ「はやくにげろばか!」とドンと雪夜の胸を押したのだとか――……  つまり、雪夜の記憶が本当なら、姉は不審者から雪夜を守ろうとしていたことになる。  姉はただ必死に雪夜を逃がそうとしていただけで、まさか押された雪夜がよろめいて崖側に足を滑らせるとは想像もしていなかったということだ。  だが、当時の雪夜の記憶に強く残ったのは、姉の罵倒と「姉に押されて落ちた」という事実だけだった。  そのため「ねぇねにドンってされた」という部分しか工藤たちにも話すことができず、犯人の「姉が突き落としたのを遠くから見た」という供述とあわせて『雪夜は姉に突き落とされた=姉に殺されかけた』という解釈に至っていたわけだ。  姉が守ろうとした?  これでもかと雪夜を罵倒して傷つけたくせに、犯人から身を挺して弟を守ろうとする。  完全に矛盾している姉の言動の真意は、今となってはわからない。  でも、少なくとも、姉が雪夜を殺そうとしたわけではないということがわかって、少しホッとした。 『やられた……そっかぁ、そういうことね。これは……つまり、あの犯人が嘘吐いてたってことだね……』 『そうですね……』  犯人がなぜそんな嘘を吐いたのかはわからないし、ぶっちゃけ今更なのでどうでもいい。  それよりも…… 「――だからね、ゆきやがねぇねをころしたんだよ」  雪夜がもう一度呟いた。  いやいや、だからどうしてそうなるの!?  もしかして今の間に何か喋ってた!?  何も聞こえなかったけど……   「……うん、そうだよね。クマさんもそうおもう?」  え、何が!?  急に雪夜がドアップになって話しかけて来たので、思わず心の中で返事をした。 『え、ちょっと待って!クマ()は何も言ってないからね!?』 『わかってます。雪夜の妄想というか、独り言のようですね』 『どうしようか!?僕、何か言った方がいい!?何て言おうか?クマ~?』 『いや、もうちょっと様子を見てから……』 「うん、そうなの。ゆきやは“―――”なの……“―――”はね、ここにいちゃいけないの――……」  ……っ!? ***

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