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夜明けの星 8.5-26(夏樹)

 ――雪夜は、語りたいだけ語るとプツンと糸が切れたようにクマに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。  カメラを通して雪夜の様子を窺い、完全に寝落ちしているのを確認した夏樹は、イヤホンを外して雪夜を迎えに行った。  雪夜を起こさないように、そっと抱き上げてベッドに運ぶ。   『ひとまず、話は明日しようか。雪ちゃんはもう朝まで起きないだろうから、なっちゃんはしっかり寝ること!いいね!?』 『……はい』  裕也に念押しされたものの、横になっても眠れるわけがない。  雪夜をやんわりと抱きしめて、雪夜の髪に顔を埋めた。  雪夜がうなされていた理由。  姉に謝っていた理由。  そして、ずっと感じていた違和感……  知りたいと思っていたのに、心のどこかで知らなきゃ良かったと思う自分もいて、心の中で自分に舌打ちした  もし夏樹が知らないままだったとしても、雪夜の中では何かが確実に変化していく。  知らないままのんきに構えていたら、気が付いた時にはもう雪夜が手の届かない所にいるかもしれない……    俺が(現実から)逃げてどうすんだっ!  早めに知ることが出来て良かったじゃないか……  今なら……まだどうにか対処できる……考える時間はある……  でも……    もう雪夜の記憶を弄らせないと決めた時……今まで別の記憶で隠されていた真実を知ることで、雪夜がたくさん傷つくのはわかっていた。  だが、夏樹はどれだけ時間がかかっても、傷ついた雪夜にずっと寄り添って二人で一緒に乗り越えていけばいいと思っていた……  真実を知った雪夜が、追いつめられた雪夜が……なかなか周囲に助けを求められるような子じゃないということもわかっていたはずなのに……それでも、夏樹にだけはきっと頼ってくれると根拠のない自信があった。  本当に……根拠なんてなかった……  根拠なんてないけど……俺だって、生半可な気持ちで雪夜の傍にいるつもりはない。  だけど、雪夜にとって……俺は何なんだろう?  これだけ一緒にいても、雪夜は俺に「たすけて」の四文字さえ口に出来ない……  この数年間、俺は何をしてたんだ……?  俺の気持ちは全然届いてなかったのかな……?  俺は――……  とりとめのない考えが浮かんでは消えて……  やるせなさに、そっとため息を吐いてはギュっと雪夜を抱きしめた――…… *** 「――どうして雪夜はあんなこと考えちゃったんですかね……やっぱり犯人に洗脳された?」  夏樹はクマのぬいぐるみにもたれて、裕也にだけ聞こえる声で話した。  雪夜がなぜ自分が姉を殺したと思い込んでいるのか…… 「まぁ……雪ちゃんにはねぇねの最期が記憶にないからだろうね」 「姉は犯人に()られたんですよね?」 「うん、でも、雪ちゃんが崖から落ちて気を失っている間の出来事だから、雪ちゃんは犯人がねぇねを殺したことを知らないわけでしょ?」 「そうなりますね。だけど、姉の最期を見てないのにどうして……」    雪夜が気が付いた時にはもう姉は亡くなっていたはずだ。  姉の最期を見ていないはずなのに自分が殺したと言い切るのはなぜだ? 「見てないからだよ。犯人は目を覚ました雪ちゃんに『ねぇねが死んだのはきみのせいだよ』って言い続けてたらしいから、雪ちゃんは犯人の言葉を信じちゃったんだよ。で、ずっと言われてるうちに『自分のせいで死んだ=自分が殺した』って思っちゃったんじゃない?犯人に捕まってから雪ちゃんは栄養失調状態だったし、他にも……まぁ、ギリギリの状態だったわけだし……極限状態になると思考はどんどん狂っていくものだからね。正常な状態なら考えないようなことも考えるし、判断力も低下する。ましてやまだ3歳の子どもだ。犯人の言葉を素直に受け入れてしまってもおかしくはないよ」  普段なら平気でグロいことも口にする裕也が、さすがに言葉を濁した。 「俺以外の人間が鬼に見えていたのと同じような状態ってことですね」 「そうだね」 「じゃあ、昨夜のあの言葉も……」  昨夜、雪夜は眠る直前…… 「――ゆきやは“ひとごろし”なの……“ひとごろし”はね、ここにいちゃいけないの――……おりにはいらなきゃいけないんだよ。それに……みたいな“人殺し”が夏樹さんの傍にいちゃダメだよね……わかってる。わかってるんだよ……でもね?……でも……ゆきやはね……なつきさんがだいすきなの。だからね……だから……もうすこしだけ……あとすこしだけでもいいから……そばに……いたい……な~……って……おも……――」  と呟いた。   「檻に入らなきゃって言ってましたけど、もしかして……この檻って……」 「刑務所っていうよりは、たぶん監禁されてた時に入れられてた檻の事だろうね」  雪夜は発見された時、犬用のケージに入れられていたらしい。  手首や足首に鎖で繋がれていたような痕はついていたが、発見当時には鎖に繋がれておらず、ケージには鍵もかかっていなかった。  警察は、雪夜はもう瀕死の状態だったので、逃亡する恐れがないと思ったからだろうと考えていたようだが、もしかすると、犯人による精神支配(洗脳)のせいで『自分は人殺しだから檻の中にいなきゃいけない』と思い込んで、逃げることが出来なくなっていたのかもしれない。  階段から落ちて二度目の昏睡状態から目覚めた時、雪夜がまた人間が鬼に見える状態になっていたように、監禁事件の内容を細かく思い出すことで犯人による精神支配まで思い出して今の雪夜に影響を与えているとすれば……かなり厄介だ。 「う~ん、そういうのは僕よりいっちゃんとか、まこっちゃんの方が専門だけど……まこっちゃんがやったっていう研究所での記憶の上書きも、ある意味洗脳みたいなものだろうし……」 「その洗脳って解けないんですか?」 「解けるとは思うけど、それにはまず雪ちゃんがどういう洗脳をされてるかを知らなきゃいけないでしょ?だけど、雪ちゃん自身も無意識に洗脳されてる部分もあるみたいだし、何より雪ちゃんは昨夜みたいな状態にでもならなきゃ、不安や恐怖を素直に口にしないから……」 「そうなんですよね~~……そこが問題ですよね……」  傍にいていいんだよ?  雪夜は人殺しなんかじゃないし、どこにでも行けるし、ずっと俺の傍にいていいんだよ!?  せめて、姉を殺したのが雪夜じゃないという真実だけでも伝えることが出来れば……  そうすれば、俺の傍にいちゃいけないだなんて思わないはずだ。    だけど、今回のことにしても、雪夜はほとんど眠っている状態の無意識の言動だから、恐らく目を覚ました雪夜に話したら、「どうして夏樹さんはそのことを知ってるんだ?」と不審に思うだろう。  雪夜にしてみれば、自分が姉を殺したということは誰にも知られたくない秘密だ。  きっと雪夜は、必死に隠そうとしている秘密をすでに夏樹が知っているということの方に衝撃を受けて、夏樹が「雪夜は殺してないよ」と言っても、素直に真実を受け入れられないと思う。    雪夜に話すタイミングが難しい……  雪夜の方から言ってくれれば、即座に否定できるのに……  でも……内容が内容だし、そんなこと俺に言えるわけないか……  だって、もし俺が雪夜の立場だったら……やっぱり雪夜にだけは絶対に隠したいと思うかもしれない……  俺なら……雪夜を巻き込みたくないから、そっと雪夜の前から――……  って、ダメじゃねぇかっ!!  それ一番ダメなやつっ!! 「あ~もう!!」  夏樹は低く唸ると自分の頭をガシガシとかき乱した。  目を閉じて深く息を吸ってゆっくりと吐き出す。  深呼吸をしながら、今出来ることを考えた。   「……うん、よし!」 「お?決まった?」 「はい、とりあえず裕也さんは――」  夏樹は裕也にこの家の中にも寝室以外は“裕也カメラ”をあちこちにつけてもらって、玄関と掃き出し窓にはセンサーをセットしてもらうことにした。 「オッケー!んじゃ、雪ちゃんが寝てる間にちょちょいとやっちゃうね」  そして…… 「後は、今まで通り過ごしつつ雪夜を見守っていきます……」  雪夜がもっと俺の傍でいたいと思ってくれるように……  俺から離れたくないって思ってもらえるように……   ***

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