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夜明けの星 9-4(夏樹)
「はい、いいですよ~!それじゃ~、次は……ルームランナーでお散歩しましょうか!」
「はーい!」
雪夜が、学島の言葉が終わりきる前に手を挙げて元気よく返事をした。
パソコンで仕事をしていた夏樹は、その様子をチラ見すると、ブルーライトカットのメガネを外して大きく伸びをしつつ一息ついた。
子ども雪夜の時は夏樹が傍についていないとリハビリが出来なかったが、さすがに今は夏樹がずっとついていなくても大丈夫だ。
夏樹は、身体遊びを取り入れたリハビリをする時など、人手が必要な時だけ手伝っている。
「夏樹さ~~ん!」
リハビリルームから出て来た雪夜が、若干ふらつきつつも早歩きで一直線に夏樹に向かって来た。
夏樹は、椅子から立ち上がって雪夜を抱き留めると、そのまま抱き上げた。
「お疲れ様!二階 に行くの?」
「はい!お散歩します!」
雪夜の前髪が、汗で若干湿っていた。
「そか、じゃあ、その前にちょっと水分補給しておこうか」
「はーい!」
「雪夜は汗拭きながら待っててね。そのままだと風邪ひいちゃうよ?」
「はい!」
夏樹は雪夜の頭にタオルを被せると、キッチンへと向かった。
***
雪夜が機嫌良く学島と二人だけでリハビリをしているところを見るのは少し妬けるし寂しい気もするが、ひとつひとつのメニューが終わるごとにこうやって夏樹に報告に来ているところを見ると、やっぱり本当は雪夜もまだ夏樹に傍にいて欲しいのかもしれない……と自惚れそうになる。
「はい、どうぞ」
夏樹はコップにお茶を入れるとソファーに座っている雪夜と学島の前に置いた。
「ありがとうございます」
「いただきま~す!」
「雪夜、ゆっくり飲……」
「ゲホッ!ゲホッ!」
夏樹が声をかける前に、雪夜が一気に飲もうとして咳き込んだ。
「あ~ほら、慌てなくて大丈夫だから、ゆっくり飲んで?」
「ゲホッ!は、はい……すみません……」
雪夜は運動をしたり楽しいことがあったりしてテンションが上がっている時などは、よくそのテンションのまま飲み食いしてしまって咳き込むことが多い。
子ども雪夜になっている間、トラウマの影響であまり硬いものは食べられなかったので、咀嚼や嚥下の機能がまだ十分に回復出来ていない状態だからだ。
そんな状態でいきなり大学生の頃のように飲み食いしてしまうと、うまく飲み込めなくて咳き込むのは当たり前だ。
雪夜もわかっているはずなのだが、テンションが上がると忘れてしまって繰り返す。
「いや、謝らなくていいから……よしよし、大丈夫?」
夏樹が軽く抱き寄せて背中を撫でると、雪夜がそっと夏樹の胸を押して離れようとした。
「ゲホッ……だ、大丈夫……です……ごめんなさ……ゲホッ……」
あ~……一気に下がっちゃったな……
雪夜はテンションが上がってくると、子ども雪夜に戻っているような時がある。
ちょうどさっきまでの雪夜がその状態だった。
完全に子ども雪夜になるわけではないのだが、ごくわずかな時間だけ、表情や言動が子どもっぽくなるのだ。
その状態になると、ゆっくり飲むということを忘れてしまって同じことを繰り返してしまう。
リハビリの時でもいつもそういう状態になるわけではないので、夏樹も久々にテンションの高い雪夜が見られて嬉しかったのだけれども……
せっかくご機嫌だったのに、雪夜は咳き込んだことで我に返ってしまったようだ……
「おいで、ちょっと休憩しよう」
夏樹は学島に目配せをすると、咳が止まらなくなってしまった雪夜を抱き上げて寝室に連れて行った。
学島も、雪夜が不安定だったり具合が悪くなったりするのはもう慣れているので、特に慌てることはない。
夏樹から連絡が入るまでは、そのままリビングでお茶を飲みながら休憩をしているはずだ。
夏樹はベッドに座ると、雪夜を抱きしめてしばらく背中を撫でていた。
雪夜の咳が小さくなってきて、呼吸が落ち着いてきて……やがて規則的な寝息が聞こえて来るまで……
寝たかな?
雪夜が眠ったのを確認すると、夏樹は携帯で学島に連絡を入れた。
「寝ましたか~?」
学島は声を潜めながらそっと寝室に入って来た。
「はい。すみません、先生。とりあえずお昼まで休憩ということで……」
「わかりました。これ、雪夜くんのタオルです。まだ髪が湿っているみたいですから」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、部屋に戻ってるので、何かあれば連絡してくださいね」
「はい」
手短に話すと、学島は自分の部屋へと戻って行った。
***
正月明けから別荘に戻って来ておよそ一ヶ月。
だいたいリハビリはこんな状態だ。
雪夜は一生懸命取り組んでいるのだが、たいてい途中で何らかの理由でダウンしてしまい、こうやって夏樹に半強制的に寝かしつけられている。
夏樹が気を付けているのは、
焦 らせないこと。
頑張らせないこと。
無理をさせないこと。
――……
リハビリも記憶の整理も、ゆっくりでいい。
ゆっくりでいいんだよ……?
***
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