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夜明けの星 9-17(夏樹)

 リビングに戻ってからも、雪夜はしばらく泣き続けた。  夏樹に抱きついたまま、静かに、声を押し殺すようにして……  雪に埋もれて笑っていたと思ったら急に泣き始めたので、最初は雪に放り投げたのが怖かったのかと心配したが、そうではないらしい。    子どもの頃の記憶だと思っていたのが、最近の記憶だったってわかってショックだったのかな……?  でも……雪の記憶自体は悪いものじゃないと思うんだけど……  だって、あの時雪夜は喜んでたし……子ども雪夜になってから初めて雪夜が笑ってくれたのが雪遊びだったんだよ……?  それとも……雪夜は本当は楽しくなかったのかな……  雪夜が泣いている理由がわからず、夏樹はただ抱きしめることしか出来なかった。 *** 「……ごめ……しゃぃ」  ようやく泣き止んだ雪夜が、涙と鼻水でべちょべちょになった夏樹の肩を気まずそうにタオルで拭きながら謝ってきた。 「ん?あぁ、大丈夫だよ。なんせこれ撥水・防水加工されてるからね!」  夏樹がちょっとおどけて言うと、雪夜がキョトンとした顔で夏樹を見て、ふにゃっと力が抜けたように笑った。 「……ふふっ……でも……汚れちゃったから……ごめんなさぃ」 「大丈夫だよ。どうせ後で洗うし。服はいいから、雪夜は顔洗っておいで」 「……はぃ」  雪夜を見送りながら上着を脱いで確認すると、涙も鼻水もキレイに落ちていた。    さすが、撥水・防水加工がいい仕事してる。  まぁ、泣いている雪夜に服をべちゃべちゃにされるのは慣れてるし、別に汚されたとも思ってないから、どうということはないんだけどね。  それより……  もう一度上着を着て、どさりとソファーの背にもたれかかった。  何で泣いてたのか聞いてもいいのかな……  雪夜に、泣いていた理由を聞くべきか迷う。 「……ん?雪夜、おいで?」 「……ぁぃ」  顔を洗った雪夜が、タオルを持ったまま気まずそうに立ち尽くしていたので、両手を広げて呼びよせた。 「ちょっとは落ち着いた?」  隣に座った雪夜を膝の上に抱き上げて、顔を覗き込む。 「……はぃ、すみません」 「落ち着いたならいいよ。雪夜、なんで泣いてたのか聞いても大丈夫?話したくなければ無理に話さなくてもいいけど……」 「……わかんなぃ……」 「ん?」  雪夜が困惑した様子で呟いた。 「自分でも……なんで泣いたのかわからなくて……何か急に……涙が出て来て……ごめんなさぃ……」 「謝らなくていいから。そか……う~ん……雪遊び、イヤだった?寒かった?」 「イヤじゃなかったです!あんなにいっぱいの雪見るの、初めてだから……あ、初めてじゃないけど、えっと、あの……」 「うん、今の雪夜は初めてだよね」 「ぁ、はい!だから、だからね?えっと……真っ白でいっぱいですごくて、あの、キラキラしてて、キレイだな~って思って……雪が冷たくて、えっと……空がキレイで……」 「うん」  子ども雪夜の時の感情と先ほどの自分の感情が混じって、雪夜も混乱しているらしい。  視線が宙を彷徨い、心ここにあらずという感じで、ひたすら思いついた言葉を口に出していく。  夏樹は余計な口を挟まずに、雪夜の言葉に耳を傾けていた。 「……えっとね、嬉しくて、楽しくて、夏樹さんの顔が見えてホッとして、えっと、あ、ちょっと寂しかったんだけど、でも大丈夫だって思って……」 「うん」  寂しかった?  ちょっと気になったが、そのまま続きを促す。 「あの、それでね?えっと……え、俺何言ってるんですか?」  自分でも何を言っているのかわからなくなったのか、雪夜は困り果てた顔で夏樹を見た。 「ふはっ、ははは……なんだろうね?」  夏樹は、急に我に返った雪夜が可愛くて、思わず笑ってしまった。 「う~ん……でも、雪遊びがイヤじゃなかったっていうのは伝わってきたよ?」 「あ、はい……えっと……だからね?えっと……」 「雪夜がイヤじゃなかったならいいんだよ。どこか痛かったとか、怖かったとか、辛いとか……そういうので泣いてたんじゃなければいいんだ」 「……はぃ、ごめんなさぃ」 「うん、次謝ったら雪夜からキスね」 「……はい……へ?」  夏樹は、雪夜ににっこり笑いかけると、一呼吸おいてもう一度雪夜に向き合った。 「あのね、雪夜。雪夜が子どもの頃の記憶だと思ってた、前回の雪遊びの時はね……」 「あ、はい」 「雪夜が笑ってくれた記念日なんだよ」 「……え?なんですかそれ?」 「雪夜はそれまでほとんど表情がなくてね……声も出すことができなくて……だけど、雪遊びをした時に初めて雪夜が笑ってくれたんだよ。ほんの少しだったけど、笑い声もあげて。それでね、俺も、斎さんたちも、みんな大喜びしたんだ。雪夜が笑ってくれたってだけで、みんな本当に嬉しかったんだよ」 「……俺が笑っただけで?」  雪夜がキョトンとした顔をする。    うん、そうだよね。  笑っただけでなんでそんなに?って思うよね……  だけどね、俺たちにとっては……俺にとっては……それこそ涙が出るくらい嬉しかったんだよ。 「俺も兄さんたちもね、別に雪夜に子ども雪夜になってた時のことを思い出させたかったわけじゃないんだ。ただ、あの時雪夜が笑ってくれたから、喜んでくれてたから、また今の雪夜とも雪遊びがしたいって、一緒に楽しみたいって思ってやってきてくれたんだよ」 「……ぇ」 「正月のパーティーと一緒だよ。雪夜といっぱい思い出が作りたいんだ。楽しい思い出をいっぱい作っていきたいんだよ。それだけなんだ」  雪を見た雪夜が、子ども雪夜の時のことを思い出す可能性を考えなかったわけじゃない。  だが、思い出したとしても、あの時の雪夜は楽しそうだったし、悪い思い出じゃないから大丈夫だろうと。  それよりも、今の雪夜にも雪で思いっきり遊ぶ楽しさを味わってもらいたいと……  本当に悪気はなく、ただそれだけの想いだった。  夏樹たちにとっても、雪夜がこんなに混乱するとは予想外だったのだ。      「ごめんね。子ども雪夜の時にも雪で遊んだよって先に言っておけば良かったよね。いつの記憶かわからなくて辛い思いさせちゃったね」 「ぇ、あの、全然ですっ!あのね、俺も本当にあの……イヤじゃなかったの……なんて言えばいいのかわからないけど……俺が泣いたのは……泣いたのは……っ」 「ん?」  雪夜が急に黙り込んで俯いた。 「……大好き」 「……ぇ?」 「俺、夏樹さんも、お兄さんたちも、みんな……大好きです」 「うん、俺も大好きだよ!」 「……へへ、嬉し……」 「俺も嬉しいよ。でも、兄さんらと同じってのはちょっと解せないけどね?」 「え、あの、夏樹さんが一番大好きですよ!?」 「ははは、うん、ありがとう。俺も一番大好きだよ!」  夏樹は笑いながら雪夜を抱きしめた。  抱きしめながら……  ねぇ、雪夜?  今……本当は何を考えてたの……?  聞きたい言葉をぐっと飲み込んだ。  「大好き」と言った雪夜は、今にも泣きだしそうな表情をしていた。  みんなのことが大好きだという気持ちに嘘はないと思う。  でも、それだけじゃない気がする。  雪夜から「大好き」と言ってくれたのに、こんなに不安なのはどうしてなんだろう…… 「俺も……大好きだよ……」  腕の中の雪夜の存在を確かめるかのように、もう一度強く抱きしめた――……     ***

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