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夜明けの星 9-28(夏樹)

「なぁ、ナツ。それ、無理に雪ちゃんに言わなくても良かったんじゃねぇの?」  夏樹から話を聞いた浩二が、ちょっと眉をひそめた。   「そりゃまぁ、雪夜がぶん投げたのが浩二さんの携帯だったなら俺も雪夜には黙っておきますけど……今回は学先生の携帯だったので……」 「あ~……まぁそっか……って、おいっ!」 「ははは……」  浩二だけでなく、兄さん連中の携帯だったなら、無理に雪夜に話す必要はない。  夏樹が頭を下げればいいだけだし、夏樹が弁償すればいいだけだ。(もっとも、兄さん連中は笑いながら、「謝罪も弁償も(そんなこと)しなくていい」って言うと思うが……)  まぁ、身内の中ではそれくらい大したことのない出来事だと言うことだ。  でも、今回は学島の携帯だった。  もちろん、学島が初めて会った時には子ども雪夜の状態だったので、雪夜が不安定なことはわかっているはずだし、雪夜が入院中、夏樹の携帯やタブレットをぶん投げた話も裕也たちから聞いているはずだ。  だが、わかっていても、実際にされるとイラ立つこともある。  夏樹が恋人兼保護者として代わりに謝るのは簡単だが、場合によればそれは逆効果にもなり得るわけで……    夏樹もこのことを話せば雪夜が気にすることはわかっていたので迷った。  それでも……学島にはまだこれからも雪夜のリハビリをしてもらいたいし、これからも雪夜の良き相談相手でいて欲しい。  だからこそ、夏樹はちゃんと雪夜の口から学島に「ごめんなさい」をして欲しかったのだ。  この先の付き合いに少しのわだかまりもないように……  まぁ、さすがに土下座をするとは思いもしなかったけどね!? 「なるほどな~……で、がくちゃんは?」 「それは……」 「そうですね~。たしかにビックリはしましたけど、あれくらいで雪夜くんのことを嫌いになったりしないので大丈夫ですよ。携帯は裕也さんが直してくれましたし、わざとじゃないってわかってますから、気にしてません。それよりも、今後はもっと反射神経を磨いて、次は投げられる前に阻止できるように頑張ります!!」  学島がリビングの入口でガッツポーズをした。  みんな学島が入口で聞いていたことには気づいていたため特に驚くこともなく、学島に向かってニッと笑いかけた。 「よぅ、がくちゃん。ゲーム終わったのか?」 「はい。あ、裕也さん、あの裏技の出し方って……――」  学島が、何事もなかったかのように、裕也とゲーム談義を始めた。  夏樹は、そんな学島を見て、少しホッとしながら口元を綻ばせた。 ***    バレンタイン当日も雪夜は朝から大忙しだった。  菜穂子と一緒に母屋のキッチンで、昨日焼いたマフィンをラッピングしていく作業に追われていた。  一方、娯楽棟のリビングは、正月並みにごった返していた。  事前に来ていたのは、斎、裕也、浩二の三人だったが、今朝になって(たかし)(あきら)玲人(れいじ)もやって来たからだ。  もちろん、材料は先に来ている兄さんらに託してあったので、隆らの分もマフィンは焼かれている。  昼になって、隆と斎が昼飯を作り始めた頃、菜穂子から斎に連絡が入った。 「お~い、そこらの手が空いてる暇人共、向こうに行って手伝って来い。ラッピング出来たってよ」 「お!?よっし、行きますか!」  かつてない身軽さで、我先にと兄さん連中が母屋へと走り出した。    いや、だから……必死過ぎるっ!!    夏樹はそんな兄さんらの後ろから早歩きで向かった。 「え、みんな来てくれたの!?1~2人くらいでいいよって言ったんだけど……」  わらわらと押しかけた兄さん連中を見て菜穂子が苦笑する。 「まぁいいや。人手が多い方が助かるし。それじゃこの段ボール箱持って行って貰える?渡すのはお昼ご飯食べてからね!それまで開けちゃダメだよ!」 「はーい!!」  2人くらいでいいと言いつつ、結構な大きさの段ボール箱が5~6箱あった。    まぁ、兄さん連中なら余裕だろうけど……  夏樹の予想通り、兄さんらは空箱でも担ぐかのようにヒョイヒョイと担いで持って行く。   「はい、これで終わり~!」  夏樹まで回ってくることなく段ボール箱は無くなった。 「おや……?そんじゃ俺は……のを貰って行きましょうかね」  夏樹はそう言うと、エプロンを外してキッチンの隅っこでぐったりと座り込んでいる雪夜を抱き上げた。 「ふぇ?え、あ、夏樹さん!?」 「お疲れ様。昨日からよく頑張ったね!」 「あ、いえ。俺はあんまり……あの、俺だいじょ……」 「俺、昨日からずっと雪夜の邪魔しないように我慢してたから、雪夜不足なんだよね。ちょっと補充させて?」 「ぇ?……ぁ……は、はいっ!!」  雪夜は、夏樹の言葉を聞くとはにかんだように笑って遠慮がちに夏樹に抱きついて来た。  夏樹はそんな雪夜をぎゅっと抱きしめて、背中を軽くポンポンと撫でると、そのまま菜穂子に声をかけた。 「なお姉も、昨日からお疲れ様でした。……大丈夫ですか?斎さん呼んで来ましょうか?」 「あ~……いや、いいわ。ありがとね。斎さん、今みんなのお昼ご飯作ってくれてるんでしょ?……大丈夫だけど、ちょっと休んでからそっち行くって言っといてくれる?」  菜穂子が疲れた顔で微笑んで、椅子に座り込んだ。    どう見ても大丈夫じゃなさそうだよな。  なお姉もあんまり身体が強くないし、今回のはかなり大変だったはず……   「わかりました。じゃあ、斎さん呼んで来ますね。昼飯は俺が交替すれば大丈夫ですから」 「え?いやいや、呼ばなくていいよ~!?」 「でも……」 「おいおい、何だよ、誰を呼ばなくていいって?ひっどいな~、せっかく迎えに来たのに?」  夏樹の肩をポンと叩いて、斎が横をすり抜けていった。    俺が呼ぶまでもなかったか…… 「あら……斎さん、お昼ご飯は?」 「タカが作ってるよ。ほら、どうせ立てねぇんだろ。お疲れさん」  斎がぶっきらぼうに言いつつ菜穂子を慣れた様子でお姫様抱っこした。   「ナツ、向こうに戻ったらタカを手伝ってやってくれるか?俺らちょっと休んでからそっち行くから」 「はい」  夏樹は軽く頷くと、雪夜を抱っこしたまま娯楽棟へと向かった。 ***  夏樹は、母屋と娯楽棟を繋ぐ渡り廊下の途中で、ふと立ち止まった。 「どうしたんですか?」  雪夜がちょっと身体を起こして夏樹の顔を見る。 「ん~?まだ雪夜を補充してないなと思って」 「……へ?」 「向こうに行ったら兄さんたちに取られちゃうから、ちょっとだけ……先に味見していい?」 「ぇ、味見って……ちょ、夏樹さ……ぁっ……」  夏樹は廊下の壁にもたれかかって片膝を上げ雪夜を支えると、うなじに手を当てて引き寄せ、口唇を軽く()んだ。 「……マフィン味見した?」  ゆっくりと口唇を離し、額をくっつけたまま雪夜に話しかける。   「……っん、え?あ、あの、ちょっとだけ……おいしかったですよ!」 「そか、食べるの楽しみだな」  目を開けた雪夜が顔の近さに驚いてちょっとのけ反りかけたが、夏樹が雪夜の後頭部に手を添えていたのでほとんど動かせずに、少しプルっと顔を振っただけになった。  喋る度に吐息がかかって互いの口唇が微かに触れる。  雪夜はそれが気になるようで、視線を泳がせながら口唇をなるべく動かさないようにもじょもじょと喋っていた。 「あ、あの、いろんな味のマフィンがあってね?それで……」 「うん」 「それで……えっと……あの……な、なつきさん……」 「ん?なぁに?」 「……ちゃんと……して……?」 「を?」 「だから……さっきの……」 「さっきの?」 「ぅ~~~……もぅ!いぢわるヤダぁ!……ちゅぅ!してっ!」  真っ赤になった雪夜が潤んだ瞳でキュッと夏樹を睨んで、頬を膨らませた。 「ふふ、喜んで!」  夏樹は、焦れた雪夜の可愛い催促に思わず苦笑しつつ、さっきよりも長く甘いキスをした。 ***

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