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夜明けの星 9-36(夏樹)

「おはよ~ございま~す……って、今日も無理っぽいですね」  朝のトレーニングを終えてリビングに入って来た学島が、夏樹に抱っこされている雪夜を見て苦笑した。 「あぁ、おはようございます。そうですね、少なくとも午前中は……」 「天気予報でも「爆弾低気圧が~……」って言ってますからね~。お茶もらいますね~」 「しばらくは低気圧が続きそうですね。あ、先生の分、そこに置いてあるやつです。スープとご飯は好きなだけどうぞ」 「あ、これですか?ありがとうございます!いただきます!」  学島は、夏樹の留守中にパニックになった雪夜にうまく対応することが出来なかったことを気にしているらしく、あれ以来、雪夜が不安定になっている時にもよく顔を出すようになった。  夏樹や兄さん連中が、パニックになっている雪夜にどう接してどんな対応をしているのかをちゃんと勉強したいそうだ……  まぁ、ぶっちゃけ俺のはあまり参考にならないと思うけどね……  だいたい、雪夜がパニックになった時の対処の方法なんて……  抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってやることしか出来ない。  ……俺に出来るのはせいぜいその程度だ。  でもたしかに、俺がいない時にパニックになったらどうしたらいいんだろう?  雪夜がパニックになった時、発作を起こした時……すぐ傍に夏樹以外の信頼できる誰かがいるとは限らない。  ……結局、夏樹が到着するまでは雪夜自身に頑張って耐えてもらうしか……  俺がいない時……か……  「いつも雪夜の傍にいるよ」と言いつつ、俺がいない時のことを考えてるなんて矛盾してるよな――…… ***   「雪夜~、薬飲むよ。はい、あ~ん……」 「……」 「ふっ、……こ~ら!寝たふりしないの!口開ける!さっきまで口開けてたでしょ!?」  朝飯は寝ながらでも口を開けていたくせに、薬と聞いた途端貝のように口を閉ざした雪夜に、思わず軽く吹き出した。 「雪夜くんは本当にお薬嫌いなんですね~。毎日大量に飲まなきゃいけないから大変ですね」  頑なな雪夜の様子に、学島が感心したように呟いた。 「ええ、まぁ……」  さすがに毎日大量に薬を飲んでいるので、雪夜も薬を飲むこと自体は慣れてきている。  だが、それは仕方なく飲んでいるだけで、薬が好きになったわけじゃない。  だから、たまにこうやって薬を完全拒否することがある。  ……薬が苦手なのは監禁事件の時のトラウマからきているらしく、工藤たちからは「記憶が戻っているにも関わらず経口摂取出来ていることがスゴイ」と言われた。  そりゃ俺だって、雪夜が飲んでくれるように、食べてくれるように、必死に工夫してますからね!?  だって、薬が飲めないと、食事が摂れないと、退院出来なかったから…… 「……ゆ~きや?飲まない?そっかぁ、寝ちゃったか~。じゃあ、プチシュークリー……」    夏樹がわざとらしくため息を吐くと、雪夜がガバッと顔をあげた。 「しゅ~くりみゅっ!?」 「はい、おはよ~」 「しゅ~くり~みゅは!?」  寝ぼけて舌が回っていない雪夜が夏樹の手元やテーブルの上をキョロキョロと探し回る。 「雪夜~、こっち向いて~?先に(これ)飲もうか。はい、あ~ん」 「あ~ん……っんぇ、のんら~!」 「よ~し、いい子だ」 「くだしゃい!」 「うん、今はないです!」  夏樹は空っぽになった器を置いて、何も持っていない手をヒラヒラして見せた。 「……んぇ?」 「今日の昼頃に浩二さんが来るから、雪夜が頑張って薬飲んだら、浩二さんにプチシュークリームを買ってきてってお願いしようかなって……」 「おくしゅり、のんだよ!?」 「うん、そうだね。じゃあ、浩二さんにお願いしておくね!」 「くだしゃい!!」 「え、今?……わっ!ちょ、雪夜!?」  雪夜が携帯を探して夏樹の服を(まさぐ)った。  あ、今すぐ浩二さんに電話しろってこと!? 「ちょ、こらこら!待って!ははっ!……あ~もう!わかった、わかったから!携帯はこっち!」  遠慮なく服を(まさぐ)って来るので、くすぐったくて笑ってしまう。  雪夜とじゃれるのは楽しいが、服の中にまで手を突っ込んでこようとしたので、慌てて携帯を出した。  まったくもう!油断も隙も無い!その積極性はベッドの上で出してよね!? 「――もしもし、浩二さん?すみません、今……大丈夫ですか?」  テレビ電話をかけると、浩二は珍しく渋い顔で、声を潜めた。 「なんだよ?今会議中なんだ。どうでもいい内容なら後にしてくれ」 「え?会議中?あぁ、それよりこっちの方が大事です」 「それより大事なことって何だ?」 「今日こっちに来る時に、プチシュークリーム買って来て下さい」 「……あん!?おまえ、それわざわざ電話で言う必要ねぇだろ!?メールして来いメール!」 「え?だって、どうしても今すぐ電話しろって……」 「誰がだよ!?」 「雪夜ですけど?」  夏樹が浩二と話していると、雪夜が下からにょきっと顔を見せた。 「こーじしゃん!ぷちしゅー!おくしゅりのんだ!がんばったの!」 「おお!?なんだ雪ちゃんいたのか~!そっかそっか、お薬頑張って飲んだのか!それなら、もっと美味しいやつ持っていってやるよ。楽しみに待っててね~!」  雪夜の言動から、今日は子ども雪夜になっていると判断したのか、浩二の口調がちょっと子ども向けに変わった。   「あい!」 「あ、浩二さん、美味しいやつもいいですけど、プチシューも買って来て下さいね。お薬飲んだ後のご褒美にちょうどいいので」 「わ~ったよ!んじゃまた後でな――」  浩二は普段なら雪夜からの電話、しかも子ども雪夜からの電話の場合は、仕事など放置してしばらく雪夜と話している。  だが、今日は珍しくすぐに切った。  どうやらサボれない会議だったらしい。    邪魔してサーセン!  夏樹は心の中で軽く謝って携帯をテーブルに置くと、雪夜を抱っこしたまま立ち上がった。 「さてと、雪夜、まだ寝る?それともお顔洗ってリハビリする?」 「ん~~……」 「まだ無理?わかった。んじゃもう少し寝て来ようか」  もうだいぶ目は覚めているようだが、頭が痛いらしい。  薬が効いてくるまではしばらくかかるので、それまではベッドの上でゴロゴロして過ごすことにした。  夏樹は学島に少し待っていてくれと目配せをすると、雪夜を寝室に連れて行った。 ***

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