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夜明けの星 9-46(夏樹)
ある程度睡眠が安定してくると、雪夜が薬を欲しがるのは夜だけになった。
もともと昼寝の時にはビタミン剤を渡していたので、服用量としては変わらないのだが、斎の言っていたようにやはり精神的なものもあるらしい。
「もう少し様子を見て夜も少しずつ薬の種類を変えて、そのうちにビタミン剤にしてみるのもいいんじゃねぇか?」
「そうですね。でも、ようやく眠れるようになったところなので……もうしばらくは今の薬でいってみます」
雪夜が眠るために薬を飲むと言った時は「俺よりも薬の方が安心できるってことか……」と落ち込んだが、それから2週間近く経った今では、
「優先すべきは雪夜の精神 と身体の安定。雪夜がそうすることで安心できるなら、薬に頼るのも悪くない」
と割り切れるようになった。
あの時はやっぱり俺も疲れてマイナス思考になってたんだな……
いつだって雪夜の一番でいたい。
雪夜にとってカッコいい存在、頼れる存在、安心できる存在……
そして何よりも、雪夜を愛して守れる存在、雪夜に愛される存在でいたい。
だけど、よく考えてみたら夏樹の存在なんてもともと大したことない。
壮絶な経験をしてきた子ども時代の雪夜を支えたのは紛れもなく上代家の義父の隆文 や義兄である達也と慎也だ。
大学に入ってからの雪夜を支えたのは、佐々木と相川だし、この数年間だって、夏樹だけじゃどうにもならないことばかりで、兄さん連中や詩織さん、愛ちゃんたちの支えがあって今ここにいるわけで……むしろ夏樹がしてきたことなんて傍にいることだけで……一番ラクな役回りだ。
ほんと……大したことねぇな俺……
自分がどれだけちっぽけな存在なのか、役立たずな存在なのかを実感したことで、いっそいろいろ吹っ切れた。
グダグダ考えても仕方ない。
俺は俺で出来ることをしていくしかないのだ。
雪夜の傍にいるために、精一杯出来ることを……
「な~つきさん?」
ぼんやりと考え事をしていた夏樹の目の前に、雪夜のドアップ。
うん、可愛い。キスしたい……じゃなくて!!
「あ、ごめんごめん。えっと次何だっけ?」
具合が良くなってきてからはリハビリも再開した。
今は雪夜と久々に折り紙をしていたのだ。
「疲れましたか?」
「いや、大丈夫だよ?ごめん、ちょっと考え事してた。んん゛、それで、この次ってどう折るの?」
夏樹が自分の折り紙を持ち上げて聞くと、じっと夏樹を見ていた雪夜がちょっと言葉を探すように視線を泳がせた。
「……夏樹さん、えっと……ちょっと休憩していいですか?」
「え?あぁ、うん、いいよ?あ、何か入れようか?喉渇くよね」
「あ!自分で入れるから大丈夫です。夏樹さんは座っててください!」
「……ぁ、うん……」
立ち上がろうとした夏樹を押しとどめて、雪夜がキッチンへと向かった。
睡眠不足が解消されると、雪夜の精神年齢もまた安定してきた。
眠ろうとしなかった間のことは、うろ覚えらしい。
そのせいで、どうして急に薬を飲む気になったのかもまだわかっていない。
雪夜は丸二日間爆睡して目覚めたあと、オニのことは口にしなくなった。
兄さん連中からは、「爆睡したせいで、夏樹がオニになるかもしれないという不安は消えたのかも?」という希望的意見も出たが、夏樹はそうではないと思っている。
ただ単に、その不安はまた雪夜の心の奥底に仕舞い込まれただけだ。
薬を飲んで眠っても、完全にうなされなくなったわけではないので、“まっくろくろのオニさん”の夢を見なくなったわけじゃない。
せいぜい、その頻度や内容が少し変わる程度だろう。
きっと今も……雪夜は“オニさん”との恐怖と戦っている。
いつか、その恐怖を忘れられるくらい楽しい記憶で埋め尽くすことが出来れば……夏樹がオニになるかもしれないという不安もなくなるのだろうか……
***
「はい、どうぞ!」
雪夜の弾んだ声がして、ふわっとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
「ん?あ……え、俺の分も淹れてくれたの?」
「はい!夏樹さんも休憩してください!」
あ……そうか……
夏樹はようやく合点がいった。
夏樹に笑顔でコーヒーカップを差し出している雪夜を見る。
休憩は、雪夜がしたかったわけじゃなくて……
「そっか……うん、ありがとう!……ん!美味しい!」
雪夜からカップを受け取り一口含んだ瞬間、ふっと顔が綻んだ。
「良かった!まぁ……俺はボタン押しただけですけどね」
雪夜が、へへっと苦笑いをしながら頭を掻いた。
雪夜が言っているのは、コーヒーマシンのことだ。
新しいもの好きな兄さん連中が、斎たちがいない時でも美味しいコーヒーを飲みたい!と新しい全自動のコーヒーマシンを購入して持って来たのだ。
ボタンを押すだけなので、誰でも同じ味のコーヒーを愉しむことができる。
「でも雪夜が淹れてくれたから特別美味しいよ!うん、本当に美味しい!」
「そ、そうですか?……ふふ、良かったぁ~」
「美味しいからちょっと抱きしめていい?」
「へ?」
夏樹はコーヒーカップを置くと雪夜を抱き寄せた。
「わっ!夏樹さん、待って!ジュースが……っ!」
「おっと……」
雪夜の手からオレンジジュースの入ったコップを取るとテーブルに置いた。
「はい、これでOK!」
改めて雪夜をぎゅっと抱きしめる。
「わっぷ!……もぉ~!コーヒーくらいで大袈裟ですよぉ~!」
雪夜はそう言いつつも、嬉しそうに笑った。
「大袈裟じゃないよ。ありがとね!」
「ふふっ!どういたしまして!」
コーヒーが嬉しいんじゃなくて、雪夜の気持ちが嬉しかったんだよ……
これじゃホントに……どっちが支えられてるのかわかんないな……
雪夜に甘えて欲しいのに、結局いつも夏樹の方が甘やかされている。
あ~……ダサっ……
でも、雪夜も愉しそうだし……ま、いっか。
こういうところがダメなんだろうな。
と自分で思いつつも、夏樹は雪夜の肩に顔を埋めた――……
***
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