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夜明けの星 9-53(夏樹)

「片付けはやっておくから、お前らはもう休め」  別荘に着くと、兄さん連中は静かに荷下ろしを始めた。   「すみません、それじゃ後のことはお願いします」 「はいよ~。おやすみ~」 「おやすみなさい」 「雪ちゃんもおやすみ~」  夏樹に抱っこされている雪夜はぐっすり夢の中だ。  兄さん連中はそんな雪夜に向かってほぼ口パクで「おやすみ」を言うと、順にそっと頭を撫でていった。  普段はやかましい兄さん連中だが、雪夜の扱いには慣れているので、こういう時はちゃんと起こさないように配慮してくれる。    出来るなら普段から静かにしていただきたいものだが…… ***  リビングのソファーに寝かせ、汗を拭いて服を着替えさせている間も、雪夜は爆睡していた。  ひとまず雪夜はそのまま寝かせておいて、急いでシャワーを浴びる。  洗面所からチラチラ雪夜の様子を窺いつつ髪を乾かすと、雪夜をベッドに運んだ。   「はい、ちょっと失礼しま~す」  小声でひとり言を言いつつ雪夜の熱を測る。   「微熱だな。まぁはしゃいでたし……今日は外にいる時間が長かったからこんなもんかな?」  夏樹は安堵の息を吐いて、少し火照っている雪夜の頬を撫でた。  雪夜は初めて花火を見た時と同じくらいはしゃいでいた。  最初のうちは感動して言葉もなく花火に見入っていた雪夜だったが、途中から余裕が出て来て「小さいのがいっぱいでキレイでしたね!」「ハートみたいな形してましたね!!」と花火の種類や形に注目し、変わった花火を発見する度に手を叩いて喜んでいた。  そんな雪夜の反応が可愛いからと兄さん連中も一緒になってはしゃいでいたので、雪夜のテンションが更にあがってしまい……  結局、雪夜は肝心の一番盛り上がる終盤を見る前に寝落ちしてしまった。 「一番いい所見逃しちゃったね……」  花火もお弁当も楽しんでいたみたいだし……兄さん連中のおかげでトラウマにも影響しなかったみたいだし……またどこか花火大会がないか探してみるかな……  昼間外出出来るようになったのも、最近のことだ。  そんな雪夜を夜連れ出すことに不安しかなかったが、どうやら杞憂だったらしい。  まぁ、兄さん連中がいろいろと用意をしてくれたのと、“花火”という雪夜の全神経を集中させてくれるアイテムがあったからこそ大丈夫だったのだとは思うが…… 「ふぁぁ~~……」  トラウマが出ないかとずっと気を張りつめていたせいか、夏樹もさすがにちょっと疲れていた。  仕事をしてから眠ろうと思っていたのだが、潔く諦めて大きく伸びをすると雪夜の隣に寝転がった。 ***  雪夜に変化があったのは、夏樹が横になって2時間程経った頃。  夏樹は雪夜がうなされている声で目が覚めた。    やっぱりうなされちゃうか……  雪夜はまだ夜眠る前には薬を欲しがる。  ようやく安定して眠れるようになってきたところなので、夏樹も雪夜のリズムを崩したくなくて一応夜は薬を飲ませている。  少し弱めの薬に変えてはいるものの、やはり飲んでいる時と飲まない時とでは、睡眠の長さが違う。    花火が終わる前に眠っちゃったから……一応4時間くらいは眠れてるのかな?  薬を飲んでいないにしては眠れた方か……  時計をチラッと見てぼんやりとそんなことを考えていると、雪夜が叫び声をあげてガバッと起き上がった。  夏樹も慌てて起き上がり、雪夜の様子を窺う。 「……雪夜?どした?」 「……っ……しゃぃ……」 「ん?」 「ごめ……しゃぃ……ごめんなしゃぃ……」  両手で頭を抱えて一点を見つめる雪夜が、涙交じりの声でひたすら「ごめんなさい」を繰り返す。  また夢の中で「ねぇね」に何か言われたのかな……?  雪夜がうなされて謝っている時はたいてい「ねぇね」が関係している。  薬を飲むようになってからはオニのことは口に出さなくなったが、姉と“まっくろくろのオニさん”はセットになっているはずなので、きっとオニも出て来たはずだ。  雪夜は“まっくろくろのオニさん”によって、自分が「ねぇね」を殺したと思い込まされているせいで、持たなくてもいい罪悪感を抱えてしまっている。  工藤が記憶を弄っていた数年間は忘れることが出来ていたが、今はその記憶も罪悪感もまた思い出してしまっている。  もう記憶を弄らないという選択肢をしたのは夏樹だ。  雪夜にそんな辛い思いをさせているのは夏樹なのだ。    夏樹はそっと雪夜を抱き寄せた。   「おいで。大丈夫。謝らなくていいんだよ。雪夜は何も悪くない。悪くないんだ……」  夏樹に出来ることは、雪夜の中の「ねぇね」に対する罪悪感を少しでも軽くしてあげること。  “まっくろくろのオニさん”がどんな風に、どんなことを言って当時3歳の雪夜に思い込ませていたのかはわからないが、実際、雪夜は「ねぇね」を殺してなどいない。  その事実を雪夜がちゃんと受け入れることが出来れば、少しは夢に出て来る姉の様子も変わるかもしれないのだが……  雪夜は毎回、翌朝目を覚ますと夢の内容は覚えておらず、うなされたことも覚えていないので、なかなかその話をするきっかけを掴めないのだ。   「……ごめ……っ……しゃぃ……っ」 「うん、いいんだよ。雪夜は悪くないからね――」 「ごめ……――」 「っ!?」  ……え?  いつものように雪夜を抱きしめてあやしていた夏樹は、雪夜がまた眠りに落ちる間際、涙交じりに呟いた言葉に自分の耳を疑った。   「……雪?……今……なんて?」  ――ごめ……しゃぃ……なつ……さん……  夏樹さんって言った……よね?「ねぇね」じゃなくて?  どういうことだ……?  てっきり姉の夢を見てうなされていると思っていたのに、まさかの自分の名前が出て来たので夏樹は混乱していた。  当の本人は、夏樹の腕の中で気持ち良さそうに寝息をたてている。  涙で濡れた雪夜の目元を指で拭って、しばらくそのままあやしつつ……頭の中では先ほどの雪夜の声がずっとリフレインしていた。    どうして俺に謝るの?  今日なにか雪夜が俺に謝るようなことってあった?  花火に関しては気にしなくていいって話しをして、雪夜も納得していたように見えたけど……やっぱり納得出来てなかった?    思い当たることがないと言えばないし、あると言えばある。  はっきりとコレ!というものがなく、考え方ひとつでどちらにもなり得るようなことばかり浮かんでくる。  結局夏樹は、雪夜の言葉の真意をはかりかねて、悶々としながら朝までずっと考え込んでいた…… ***

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