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夜明けの星 9-66(夏樹)

 雪夜がタブレットの芸術的な吹っ飛ばし方を披露してから数日後、別荘の桜が五~七分咲きになった。  いつもは満開になる時を狙って花見をしているが、天気予報によると今年はちょうど満開になる頃には天気が崩れてしまいそうだったので、少し早めに花見をすることになった。 「わぁ~~!キレイですね~!」  満開ではないにしても、もうほとんど咲いているため遠目から見ると庭一面桜に覆われている。  お花見をするには十分で、雪夜は大喜びだった。  雪夜は朝からテンションが高く、みんなと桜の下で写真を撮ったり、花見弁当を食べたりして愉しそうに過ごしていた。  そう……みんなに囲まれている時の雪夜は本当に嬉しそうで、心底楽しんでいるように見えた。  だが、夏樹は雪夜が時々ひとりでぼんやりと桜を見上げたり、賑やかなみんなの様子を少し他人事のような顔で眺めたりしているのが気になった……  案の定、その日の夜はかなりうなされて、あまり眠ることが出来ず、翌日は軽く熱を出した。 ***  桜が散る頃になると晴れの日が続き、春というよりも初夏のような陽気になる日が増えた。  気温的には外遊びにちょうどいいが、花粉や埃にアレルギーのある雪夜はマスクが手放せない。  マスクをした状態でそんな陽気の中激しい運動をするのは危険なので、春はストレッチや、太極拳のようなゆっくりした動きでのトレーニングが主になった。  実はゆっくりした動きの方が難しくかなりキツイ。  だが、雪夜はゆっくりした動きが気に入ったらしく、アレルギーと戦いつつも外遊びを楽しんでいた。  梅雨に入ったある日、いつものように公園で遊んでいると、すぐ近くを親子連れが通った。  ボールなどを使って広がって遊んでいる時と違って、ストレッチなどをしている場合はわりと近くを他人が横切ることがある。  公園に行く時は人が少ない時を狙っているが、貸し切りにしているわけではないので、多少はそうやって他の人とすれ違うことはある。  雪夜は最初は知らない人が近寄ってくると怖がっていたが、それらはみんなただの通りすがりの人で、接触してくるわけでも、話しかけて来るわけでもない。  そのため、最近では知らない人が近くを通ってもあまり気にしなくなっていた。    だから、夏樹たちも油断していたのだと思う……  雪夜の様子がおかしいと気付いたのは、帰宅してからだ。  抜け殻のような目でぼんやりと一点を見つめていたり、急にテンションが上がって喋りまくったり……明らかに情緒が不安定だ。  だが、その時点では、まだ夏樹たちには何が原因なのかわからなかった。  気温差が激しいから風邪でもひいたかな……?  梅雨の低気圧の影響かな……?  疲れて眠たいのかな……?――  雪夜の情緒が不安定になる原因は多く、すぐに判断出来ないことも珍しくない。  ひとまず雪夜を休ませて様子を見ることになった。   *** 「――っっ!!」  その夜、雪夜はいつにも増してうなされていた。  夏樹が抱きしめていてもダメで、数時間起きに目を覚ます。  数回目に雪夜が叫んで飛び起きた時、夏樹はすぐに起き上がらずに寝たフリをしてみた。   「……なつ……さん?……ごめんなさぃ……ごめ……っ……もうすこし……だけ……――」  全力疾走でもしたのかと思うくらい呼吸が乱れていた雪夜は、眠っている夏樹に向かって、涙声でポツリと呟いた。  もう少しだけ……?  「ごめんなさい」の次は「もう少しだけ」?  わからない……  もう少しだけ、なぁに?  もう少ししたら、どうするつもりなの?  それとも、もう少しだけ俺に何かして欲しいことがあるの?    寝たフリをしていれば続きの言葉が聞けるかとしばらく粘ってみたが、その日は結局それ以上は何も言わず……雪夜は自分でまた横になると、遠慮がちに夏樹の背中にそっと額をくっつけてきた。    んん゛~~~っ!!どうせならもっとガバッと抱きついてきてくれていいんだよ!?  夏樹は寝ぼけたフリをして寝返りを打ち、雪夜を抱き寄せ強く抱きしめた。  今は抱きしめてあやすことしか出来ないから……  夏樹が雪夜の頭にグリグリと頬ずりをすると、雪夜は小さく鼻をすすって「ふふっ」と笑い、夏樹の服をキュッと握りしめた。  雪夜がどんな夢を見ているのか、何に怯えているのか、どうして俺に謝るのか……  こんなに近くにいるのに全然わからない……    夏樹は腕の中で眠る雪夜のこめかみに口付けて、その夜何回目かのやるせないため息を飲み込んだ。 ***

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