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夜明けの星 9-75(夏樹)

「雪夜、おいで」  夏樹はドライヤーを片付けてソファーに座ると雪夜を呼んだ。 「え?……あ、えと……はいっ!」  座ったままソファーの横のマガジンラックから目的のものを取って戻ると、夏樹の膝の上に雪夜が向かい合って座っていた。 「……ん?」 「……え?」  雪夜が、ちょっと驚いている夏樹を見て小首を傾げる。   「……あ……れ?えっと……あの……間違っ」 「ってないよ。大正解!」 「ひゃんっ!?」  慌てて下りようとする雪夜ににっこり笑いかけるとギュっと抱きしめた。  うんうん、大正解!  そうだよね、ソファーで「おいで」って言ったらいつも俺の膝に抱っこだもんね!  っていうか、「ひゃんっ」って何!?可愛っ……!!  さっきまで夏樹が上半身裸だから直視出来ない!と大騒ぎをしていたので、雪夜が自分から膝に来てくれるとは思わなかった。  ちょっと驚いたが、嬉しくて顔が綻ぶ。  ただ…… 「ギュッてするのはこれが正解!……なんだけど、今は逆の方がいいかな。ちょっとごめんね」  夏樹は思う存分雪夜を抱きしめると、雪夜をくるりと回して前向きに座らせた。   「わっ、え?」 「あのね、雪夜に見せたいものがあるんだ」  雪夜を背後から抱きしめて、耳元で囁く。 「ふぁっ!?……ぇ、お、俺に見せたいもの……ですか?」 「うん、これなんだけど……」  夏樹は雪夜に紙袋を渡した。  数か月前に佐々木から譲り受けたものだ。 「……本?ですか?」 「中見ていいよ」 「あ、はい……」  雪夜は、はてなマークを飛ばしつつ紙袋から取り出すと、首を傾げてゆっくりページをめくり始めた。   「……あれ……?」  何かに気付いた雪夜が、ふと、めくるのを止めてページについている付箋を指でなぞった。 「これって……もしかして……」 「覚えてる?」 「あの……えっと……夏樹さんと初めて花火に行った時の……?」  雪夜が記憶を探るように視線を泳がせ、ちょっと自信なさげに答える。  ちょこちょこ記憶の一部が抜け落ちているせいで、大学生時代の自分の記憶にも自信がなくなってきている……  研究所から出た時の雪夜もこんな風に少しのことがいくつも積み重なって自分に自信をなくして行ったのかもしれないな…… 「うん、そうだよ。俺と初めて花火に行った時に――」  雪夜に見せたのは数年前の近隣の観光地のガイドブックだ。  佐々木たちと一緒に初めての花火でダブルデートをしようと決まった日、ちゃんとデートするのが初めてでどうすればいいのかわからなかった雪夜は、佐々木たちに相談して、夏樹と二人で出かけたい場所をこのガイドブックを見ながら考えていたのだ。 「わぁ~……懐かしいですね!俺、夏樹さんや相川たちと一緒に行ってみたい場所に付箋貼ってたら、付箋だらけになっちゃって……佐々木がそれをまとめてくれて……だって俺は……行ったことのない場所ばっかりだったから……」 「うんうん、そう言ってたね」  雪夜はほとんどの観光地に付箋を貼ったため、ガイドブックが付箋だらけですごいことになってしまったらしい。  佐々木がそれを整理してくれて夏樹と二人で行く方がいい場所だけ選んで夏樹にその情報を連絡してくれたのだった。   「でも俺あの日……熱出しちゃって……」 「そうだね。熱があったから、あの日の午前中はお出かけは出来なかったんだよね……」 「……はぃ……」  そう、あの日は雪夜が熱を出してしまったので、午前中は出かけられず……二人っきりでデートすることは出来なかった……  日を改めてデートはしたものの、花火の日にデート出来なかったことが雪夜にとってはかなりショックだったらしい。  その後、夏樹は雪夜がこのガイドブックで行きたいと言っていた場所を中心に、いろんな所でデートをしようとした。  だけど……お互いの休みが合わなかったり……雪夜の体調の関係で中止になったり……そうこうしているうちに豪華客船の件で入院してそれどころじゃなくなったりで……結局二人で出かけられたのはほんの数回だけだった。 *** 「――ねぇ、雪夜。二人でこの本に載ってる場所、制覇してみない?」  夏樹は感慨深げにページをめくる雪夜を抱きしめて、そっと囁いた。 「……せいは?」 「うん、この本に載ってる観光地を全部回ってみようよ!」 「ぜ、全部……?……ええっ!?いやいやいや、全部なんて無理ですよ!!だって……だって、そもそも俺まだ……外には……」  夏樹の言葉に驚いた雪夜が慌てて振り向いて顔を横に振った。  夏樹はそんな雪夜の頬を軽く撫でて微笑んだ。 「今すぐじゃなくていいんだ。雪夜の体調が良くなって、他の人がいるところに出かけられるようになったら……そうしたら、少しずつ回ってみようよ」 「で、でも……そんなのいつになるか……」 「いつになってもいいんだよ。人生は長いんだから。俺は雪夜と出かけたい場所がいっぱいあるんだ。本当はね、世界一周してみたいんだよね」 「せ、世界一周!?」  雪夜があんぐりと口を開けた。 「そう。でもその前にまずは身近なところからね。だってさ、この本に載ってるのはこの地域の観光地ばかりだよ?それでも二人で行ったことのない場所だらけでしょ?日本全国だと、もっといろんな観光地があるし、世界だとそれこそ数えきれないくらい……」 「そ、そんなの絶対無理ですよっ!?回り切れるわけないですって……!!」 「かもしれないね。だけど、やってみなきゃわからないでしょ?夢はでっかくってね!」 「夢……?」  いたずらっぽく笑う夏樹とは裏腹に、雪夜の顔から一瞬表情が消えた。 「世界一周は夢に近いかもしれないね。だけど、この本に載ってる場所なら、雪夜が出かけられるようになれば1~2年で回れるよ。ほら見て?ここなんて行こうと思えばすぐに行けちゃうし、ここも……」 「……俺が……出かけられるようになれば……」  雪夜が曖昧な表情を浮かべて呟く。 「うん。今すぐじゃなくて大丈夫。観光地は逃げないからね。だから、いつか絶対二人で行こう!」 「いつか……?」 「1年後でも、3年後でも、10年後でも……いつでもいい。何年かかってもいい。だけど、絶対に二人で行こう」 「そんなの……おじいちゃんになっちゃうかも……」 「それでもいいよ。それでもいい。……俺はおじいちゃんになっても雪夜にカッコいいって思われるようなイケてるおじいちゃんになるからね!だから……約束」 「約束……?」  夏樹は雪夜と小指を絡めると、コツンと額をくっつけた。 「必ず二人で行く。俺が雪夜を連れて行く。……何歳になっても、二人で一緒にデートしよう?」 「……っ……はい」  雪夜はしばらく俯いていたが、やがて大きく息を吸うと、夏樹の目を見てはにかみ笑顔を浮かべ、涙交じりに返事をした。  その涙はうれし涙?それとも……  夏樹は複雑な想いを抑え込んで微笑むと「約束だよ」ともう一度囁いて口唇を重ねた―― ***  数時間後。  ベッドの上でぐったりと横たわる雪夜の後処理を済ませた夏樹は、ヘッドボードにもたれて雪夜の頭を撫でながら、しばらくガイドブックを眺めていた。  佐々木にもらってから、もう何度も読んだ。  付箋の貼ってある場所は、所在地も交通アクセスも時間も……全部調べてある。    ……今じゃなくていい……でも……  小さくため息を吐くと、ガイドブックを置いて横になった。  ほんのり熱を持った雪夜の身体を抱きしめて、頭に顔を埋める。  ――ねぇ雪夜。約束だよ……忘れないで?  の話しだけど、これは決定事項だから。  「行けたらいいね」じゃなくて「行く」んだよ。  必ず叶えるから。  だから……ずっと……――     ***

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