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夜明けの星 9-81(夏樹)
「ただいま~!」
夏樹たちが娯楽棟のリビングに入ると、斎とソファーに座って何やら真剣な顔をしていた雪夜がパッと顔を上げた。
「あ!おかえりなさい!おちゅか……ぁっ!えと、おつかれさまです!」
雪夜が急いで立ち上がり夏樹に向かって両手を広げて走って……いるつもりの早歩きでやってきた。
「た~だいま~!勉強してたの?」
夏樹は雪夜を抱き上げると、ちょっと力を込めて抱きしめた。
うん、キッチン以外ではこうやって来てくれるんだよな~……
「はい!斎さんに英語を教えてもらってました」
「あぁ、なるほど」
子どもの頃、研究所で大量の知識を詰めこまれた雪夜だが、国語や英語は苦手だ。
漢字などは、読めるけど書けない。
英語もヒアリングは出来るし、意味はわかるけど、アルファベットが書けないしスペルがわからない。
そして、喋るのが苦手。
体育や音楽が苦手なのと同じ理由で、実際に書いたり喋ったりしていないせいだ。
書き順も適当で、文字は図形として捉えている感覚だったらしい。
研究所を出た後、達也と慎也が必死に教えてくれたので国語の学習レベルは何とか年相応になったが、英語に関してはまだ苦手なようだ。
「もうだいぶ単語覚えたぞ?な、雪ちゃん!」
斎が自分のことのように自慢気に言うと、雪夜に笑いかけた。
「そうなんですか?すごいね雪夜!」
「雪ちゃんすごいじゃないか~!」
「すごいすご~い!」
浩二と裕也も一緒になって「すごい!」と褒めまくる。
「ふふ、ありがとうございます!でも簡単な単語ばっかりですけどね……」
ちょっと照れくさそうに浩二たちに答えていた雪夜は、斎がテーブルの上を片付け始めたのを見て慌てた。
「あ、斎さん、ごめんなさい!俺が片付けますっ!!……って、あっ!あああの、夏樹さん!?ちょっと下ろしてください!」
急に雪夜が真っ赤になって手足をバタバタさせた。
ようやく夏樹に抱っこされていることに気付いたらしい。
チッ!……気付いちゃったか……
子ども雪夜から戻ったばかりだと、無意識に抱っこされているというのはよくあることだ。
でも……
「ん?なんで?」
別に兄さん連中の前で抱っこされるのなんて今更だし……このままで良くない?
「なんでって、だからテーブルの上を片付け……」
「もう斎さんが片付けてくれたよ?」
「ええっ!?」
「片付けるっつーか、普通にまとめただけだぞ?」
テーブルに広げていたノートとプリント用紙をまとめて雪夜に「ほい」と渡し、斎が笑った。
「すみません、ありがとうございます!」
雪夜は夏樹に抱っこされたまま手を伸ばして受け取ると、斎にペコリと頭を下げた。
「ところで……雪夜、何かいい匂いするね」
夏樹は雪夜の首筋に顔を埋めて、軽く匂いを嗅いだ。
先ほどから雪夜の全身からやけに甘ったるい匂いがしていた。
雪夜はこの数日、夏樹が戻ってくるといつもこの匂いをさせている。
「えっ!?あ、えっと……」
夏樹の言葉に雪夜がちょっと慌てた。
「あぁ、そりゃおやつにホットケーキ焼いたからだな。お前らもいるか?」
斎がパンッと手を叩いて立ち上がった。
「ホットケーキ!?食う!」
「僕も~!いっちゃん、僕のやつホイップクリームつけて!」
「はいよ~」
夏樹よりも先に浩二と裕也が反応して、斎が笑いながらキッチンに入った。
ホットケーキ……ねぇ……?
昨日はカップケーキで、その前はプリン……
たしかに、どれも甘ったるい匂いがするけれども……
斎や隆が来ている時は、たいていおやつの時間に雪夜にいろいろとスイーツを作ってくれる。
だから今回が特別というわけではない……ただ……
この匂いはちょっと違う気がするんだよな~……
っていうか、雪夜も一緒に作ったのかな?
だって、座って待ってるだけでここまで匂いが沁みつかないよな?
雪夜は、髪からも服からも、何なら雪夜の身体からも甘ったるい匂いがしているのだ。
「……夏樹さん?」
「ん?なぁに?」
夏樹が首を傾げていると、雪夜が夏樹の目の前で手を振った。
「あの、えっと……夏樹さんは食べないですか?あのね、甘くないのもあるんですよ?えっと、じゃがいもとかウインナーとかを入れるんですけど……」
「あぁ、ジャーマンポテトのパンケーキか。いいね、美味しそう!俺はそれにしようかな」
甘いのはそんなに得意ではなかったが、雪夜と付き合い始めてから慣れた。
でも、甘さ控えめのがあるならそっちの方がいい。
「じゃあ、俺はノートとか片付けてきます!」
雪夜が暗に下ろせと言ってきたので、渋々下ろす。
「すぐに戻るので夏樹さんは座って待っててください!」
「は~い!」
「あ!斎さ~ん!夏樹さんのパンケーキはまだ焼かないでくださいねっ!」
「はいよ~!」
雪夜は大きな声で斎にお願いすると、慌てて寝室に向かった。
ん?これは……もしかして雪夜が焼いてくれるのかな?
以前、ホットプレートでパンケーキを焼いた時、雪夜がひっくり返そうとして全然ひっくり返せずに真っ黒に焦がしたり、勢いよくひっくり返そうとしてパイ投げかと思うくらい華麗にホットプレートの外に吹っ飛ばしたりといろいろ面白エピソードを作ってくれたことを思い出した。
夏樹はちょっと口元を綻ばせつつ、浩二たちの隣に座った――
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