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夜明けの星 9-82(夏樹)
マダムのパーティー案件が終わって、兄さん連中は一旦家に帰った。
それから数日後――
「雨すごい……」
雪夜がひとり言のように呟いた。
「そうだね、進路が変わったみたいだから、こっちにも影響が出て来たみたいだね」
パソコンでリアルタイムの台風情報を調べていた夏樹は、画面を見ながら軽くため息を吐いた。
大型で強い台風が来ているのは知っていたが、当初の進路予想ではあまりこちらには影響がないはずだった。
ところが、明け方から急に進路が変わり、昼前から強風域に入ったのだ。
バケツをひっくり返したような大粒の雨が暴風によって別荘の壁に叩きつけられるせいで、先ほどからバラバラッ!!という耳障りな音と、唸るような風の音が微かに聞こえていた。
風の向きや強さによって、風雨の音が波のように大きくなったり小さくなったりする。
別荘の壁は防音になっているので、室内外の騒音を防いでくれるようになっている。
だから、ちょっとくらいの風雨ならほぼ聞こえない。
それでもこれだけ聞こえているということは、だいぶ強く吹きつけているのだろう。
今でこんな状態なら……暴風域に入ったらもっとひどくなるな……
「雪夜、おいで」
夏樹は、雪夜に手を差し出した。
雨や雷にもトラウマがある雪夜は、先ほどからソファーで落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返していた。
「え?……えっと、もうお仕事終わりましたか?」
「ん?あぁ、これはお仕事じゃないよ。台風情報を調べてたんだ。だから、大丈夫だよ」
「台風情報……?」
「うん」
いつも雨の日は夏樹の傍を離れないのに、今日はなかなか近寄って来ないから珍しいなと思っていたのだが、どうやら雪夜は夏樹が仕事をしていると思っていたらしい。
夏樹は慌てて雪夜にパソコンの画面を見せ、両手を広げて雪夜を抱き寄せた。
「ごめんね。お仕事してると思って我慢してくれてたんだね」
「……だって……邪魔しちゃいけないと思って……」
「そっか、そうだよね。ありがとね」
夏樹の肩に顔を埋める雪夜をぎゅっと抱きしめて、背中を軽く撫でた。
夏樹に抱きついて安堵の息を吐いた雪夜だったが、風雨の音が激しくなると身体がビクッとなって、夏樹に抱きつく腕に力が入る。
「大丈夫、俺がいるからね。そうだ!音楽でも流そうか!ずっとこんな雨の音ばかり聞いてると気が滅入っちゃうよね――」
雨の日はいつも雪夜の気を逸らすために普段よりも大きめに音楽を流す。
雪夜もうんうんと頷いた。
「何の曲にする?雪夜の好きなやつ選んでいいよ」
夏樹は雪夜に携帯を渡した。
「……えっと……これと……これも……えっと、これはどんな曲だったっけ……」
意外にも雪夜はすぐに曲選びに夢中になった。
タイトルだけでは曲がわからないからと、軽く流しては「これ!……ん~、これは違う……こっちにしよう……」と楽しそうに選んでいた。
一時的にでも不安を忘れられたならいいか……
夏樹は曲選びをする雪夜を優しく微笑んで見守っていた。
***
「すまんな、今回はそっちに行けそうにない」
昼食を食べている夏樹と雪夜に向かって、斎がタブレットの画面の向こうで申し訳なさそうな顔をした。
当初の予定では、斎は今日の夕方頃にこちらに来ることになっていた。
だが、別荘に来るまでの道路が一部冠水しているとの情報が入ったので来られないとのことだった。
「仕方ないですよ。この雨では……」
夏樹は天窓を見上げながらちょっと肩を竦めた。
風雨の勢いは強くなる一方で、音楽を流していても時折雨の音に気を取られるくらい激しく打ち付けていた。
「それに、なお姉も具合悪いんでしょ?こっちは大丈夫ですから、家でゆっくりして下さい」
「でも、学ちゃんもいねぇんだろ?二人だけで大丈夫か?」
学島は学生時代の友人に会うために昨日から泊りがけで出かけていた。
身に覚えのないスキャンダルのせいで仕事を失い他人との接触を極力避けて引きこもっていた学島が、友人に会いに行くというのは珍しい。
別荘で雪夜や兄さん連中と接することで、何か心境の変化があったのかもしれない。
予定では今日の昼過ぎには帰って来るということだったが、学島も「今日は帰れそうにない」と先ほど連絡があった。
だから、今別荘には夏樹と雪夜の二人しかいないのだ。
「まぁ、大丈夫……だと思います。あれから裕也さんがちゃんと停電対策をしてくれましたから真っ暗になることはないでしょうし……もし崖崩れがあって道が通れなくなったとしても、数日分の食料はありますから何とかなりますよ」
二年程前、今回のような嵐の日に兄さん連中が副業の方が忙しくて別荘に来ることが出来ず、雪夜と学島と三人だけで過ごしたことがあった。
その時たまたま停電になり、予備電源に切り替わるまでのおよそ一分間雪夜がひとりになってしまったせいで、しばらくお風呂どころか洗面所にも近寄ることが出来なくて大変だった時期があった。
そのことがあってから、停電時に予備電源に切り替わるまでの間も電気が落ちないようにと、裕也が無停電電源を取りつけてくれた。
あれ以来、別荘で停電は起きていないので効果のほどはわからないが、恐らく真っ暗になることはないはずだ。
食料品も、ちょうど昨日別荘の管理人さんが届けてくれたので、冷蔵庫の中身はいっぱいだ。
まぁ、前回は梅雨の長雨でいつ止むかわからない状態だったが、今回は台風なので長くてもせいぜい明日の朝までには行き過ぎるはずだ。
今日一日くらい何とかなる。……たぶん!
「そうか。まぁ、何かあったら連絡してこいよ?あ、それからナツ」
「はい?」
「……ん……ょ……め……」
「え?何ですか?電波が悪くて聞こえないです。……あ、切れた」
急に電波が悪くなって映像が乱れ、通話が切れた。
「切れちゃった……」
「切れちゃったねぇ。まぁ、重要なことならまた連絡してくるだろ。それより昼ご飯食べようか!」
斎とテレビ通話をしていたので、二人ともご飯を食べる手が止まっていた。
「あ、はい!いただきます!」
雪夜が二回目のいただきますを言って慌てて食べ始めた。
「慌てなくていいからね。よく噛んで食べて」
「ふぁ~い!」
夏樹は雪夜に苦笑しつつ、自分も残りのご飯を口に放り込んだ。
***
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