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夜明けの星 9-88(夏樹)
「お待たせしました!」
雪夜は、ちょっとぎこちなく笑いながら夏樹にお皿を差し出した。
お皿には、この数時間、雪夜が珍しく「上手に出来ない」と弱音を吐きつつも頑張って作っていた、クッキーが盛りつけられている。
お?上手に焼けて……
「あの、おおお誕生日おめでとうございます!夏……じゃなくて、えっと……り……りりり凜……さん!!」
もっとよく見ようとお皿を覗き込もうとした夏樹に、雪夜が若干緊張した声で叫んだ。
「……え?」
夏樹は驚きすぎて思わずマヌケな顔で雪夜を見上げた。
「え?あの……あれ?えっと……今日……ですよね?」
夏樹の反応を見て、雪夜が不安そうにちょっと後ろに下がった。
誕生日……?誰の?
今日……って8月の……あ゛!
「あ~……うん……今日……」
そうだ……俺の誕生日だ……
え、じゃあ、雪夜が今日にこだわったのって……
俺のため……?
夏樹はちょっと俯いて、熱くなった顔を両手で覆った。
うわ~……何で忘れてたんだろ……
「うん、今日だね。そっか……今日って俺の誕生日だ……はは、完全に忘れてたよ。そうだよね……俺の誕生日だね……」
「で、ですよね!?良かったぁ~!あの、これ……あのね、ちょっと失敗しちゃったのもあるけど、でもあの、これは大丈夫なやつばかりだから……でもちょっとだけ失敗して……」
雪夜がほっとしたように笑って、もう一度お皿を差し出してくれた。
緊張しているのか、早口で一生懸命クッキーの説明をしてくれる。
夏樹は誕生日を忘れていた自分に苦笑いをして、赤くなっている顔を片手で隠しながらお皿を受け取った。
「うん……うん……上手に焼けてるね。ありが……っ!?」
雪夜にお礼を言おうとして、お皿の上のクッキーを見た夏樹は言葉を途中で飲み込んだ。
ちょっ……これっ……雪夜、これはダメだって……!!
ただ並べて盛り付けてあるだけだと思っていた小さなハート型のクッキーには、チョコペンで一個につき一文字ずつ書かれており……「おたんじょうびおめでとう」「だいすき♡」と並んでいた。
チョコペンは力加減が難しい。
それに、涼しい室内だとチョコがすぐに固まるので温めながら使わないとうまく中身が出てくれない。
まだ指先の力が弱い雪夜には、かなり大変だったと思う。
線はほとんどがぐにゃぐにゃで、太さもバラバラだ。
夏樹が読めたのは、何となくだ。
誕生日のプレゼントだから、きっとそう書いてあるのだろうと思って見れば、何となくそう読める。
お世辞にも上手に書けているとは言えないが、作り始めてからの時間や、オーブンの使用回数を考えると、きっと、失敗作はこれの何倍もあるはずだ。
夏樹がアドバイスをしたのはクッキー生地の作り方や焼き方についてだったが、雪夜が苦戦していたのは本当はクッキー本体というよりもこの文字の方だったのかも……
ん?これも文字か?
よく見ると、まだ文字らしきものが書かれているクッキーがあった。
「おたんじょうびおめでとう」「だいすき♡」の他に何かあるっけ?
この文字の形だと……あれ?そういえば、さっき雪夜……
「雪夜、さっきのもう一回言って!!」
夏樹はパッと顔を上げて、雪夜の手を掴んだ。
「……え!?あの、さっきって……えっと、お、お誕生日おめでとうございま……す?」
「うん……その後は?」
「え?その後……?あっ!!あの……えっと……り……りり……りり……」
雪夜が視線を泳がせながら「り」を連呼しつつ自信なさげに俯く。
段々と声が小さくなり、「り」がフェードアウトした。
「肝心なところが聞こえな~い。鈴虫の鳴き真似はしなくていいから!もう一回!」
「ええっ!?す、鈴虫!?」
「いや、それは忘れていい。そうじゃなくて……もう一回だけでいいから!お願い!」
夏樹が頭を下げて頼みこむと、雪夜が大きく深呼吸をした。
「えっと……り……りんさん……凜さん、お誕生日おめでとうございます!」
雪夜がはにかみながら、今度はしっかりと夏樹の名前を呼んだ。
「……――っ!」
あ~……これヤバい……
夏樹はソファーの横にあるサイドテーブルにお皿を置いて、雪夜を抱き寄せた。
「ぅわっ!え、夏樹さん!?」
「っ……ぁりがと……」
雪夜の肩に顔を埋めた夏樹は、喉元に込み上げて来る熱い塊を何とか飲み込んで、辛うじて声を絞り出した。
雪夜に名前を呼ばれるのは……何年ぶりだろう……
夏樹が自分の誕生日を意識したのは、雪夜が昏睡状態だった時……兄さん連中が病院に集まってくれて、雪夜のスマイル動画をプレゼントしてくれた時以来だ。
雪夜が目を覚ましてからは、目まぐるしくも穏やかに過ぎていく日々の中、雪夜が元気になってくれることばかり考えて自分の誕生日なんて思い出す暇もなかった。
でも……
あの時と同じだ……
数年前に一度呼んでくれただけなのに、雪夜の声は鮮明に覚えていた。
忘れるはずがない。
嫌いになりかけていた自分の名前を、もう一度好きにさせてくれた声だ。
柔らかく包み込むようなトーンで、ちょっとはにかみながら……
「あの、あのね?前に夏樹さんの誕生日にオムライスを作ったでしょ?失敗しちゃったけど……」
「……ぅん」
初めて雪夜が誕生日を祝ってくれたあの日。
あの日もこんな天気で……停電になったせいで雪夜はパニックになっていた。
……だから、まさかあんなサプライズがあるだなんて思ってもなくて……
冷蔵庫でちょっと焦げたオムライスもどきを見つけた時の俺がどれだけ衝撃を受けたか……
どれだけ嬉しかったか……
雪夜には想像もつかないだろうね……
「――だからね?あの、今度こそちゃんとふわとろオムライスをリベンジしようと思ったんですけど、斎さんたちに教えてもらってもどうしてもふわとろにならなくてね?それで、今回はクッキーにしてみない?って言われて……クッキーだとチョコペンでメッセージも書けるよって教えてもらって……でもあの、何回も練習したのに、ひとりだとうまく出来なくて……――」
「ぅん……ぅん……」
「あああの、だから……えっと……クッキー……嫌いでしたか?」
夏樹の様子に困惑して雪夜が不安そうに呟く。
「ううん……好きだよ……大好き……」
夏樹は慌てて顔をあげて雪夜に微笑んだ。
「そか……なら良かった……」
「うん……雪夜、大好きだよ。ありがとね」
「え?あ、いえ……あの、えっと、お、俺も大好きですよ!クッキー美味しいですよね!!」
「うん、美味しいよね、雪夜も!」
「……んぇ?」
夏樹はにっこり笑うと、首を傾げている雪夜の口唇をスッと撫でて軽くキスをした。
「大好きだよ」
「えっ!?あの、えっと……だ、大好きってクッキーのことじゃなくて……?」
雪夜が口元を両手で押さえて真っ赤になった。
「雪夜が作ってくれたクッキーも好きだよ。でも、どうせなら両方食べたいな~」
「りょ……両方って……ああああの、えっと、食べ過ぎはよくないとおおお思います!!」
「じゃあ、今はこっちだけにする」
「……んんっ……っぁ――!」
夏樹は雪夜に口唇を重ねると、今度は濃厚で甘いキスをした――
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