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夜明けの星 9-98(夏樹)
「あのね、雪夜は幸せになっていいんだよ」
「ダメなの!」
「どうして?」
「ねぇねが……ゆきやばっかりズルいって……しあわせでズルいって……ゆきやはしんじゃえって……」
――ゆきやばっかりズルい……しんじゃえ……
たぶん、それらは姉に本当に言われた言葉。
姉が雪夜をオニから守ろうとしてくれたのは真実だ……と思う。(推測でしかないが……)
でも、オニが来る前に雪夜に罵詈雑言を浴びせて雪夜の存在を全否定してきたのも姉なのだ。
他人に悪意を向けられることがほとんどなかった雪夜にとっては、初めて会う姉の暴言の数々は衝撃的で、そんな姉の姿はオニと同じくらい……もしかすると、オニよりも怖かったのかもしれない。
だからこそ、その後、犯人に植え付けられた“ねぇねの言葉”が効力を発揮しているわけで……
「そかぁ……ねぇねがそんなこと言ったんだ?」
「ぅん……」
「あのね、さっき……ねぇねは雪夜を助けてくれたんだよってお話したでしょ?――」
しんじゃえと言ったり助けようとしたりと姉の言動は矛盾点も多い。
いくら夏樹が「ねぇねは守ってくれたんだよ。助けてくれたんだよ」と言っても、雪夜がなかなか信じられないのはその矛盾のせいでもある。
が、当時はまだ姉も子どもだ。
姉の暴言の内容に意味はなく、母親と離れていた間に積もり積もった寂しさや鬱憤をぶつけるために、思いつく限りの暴言を吐いただけ……という可能性が高い。
ただ……そんな姉の複雑な胸の内を3歳の雪夜に理解しろと言うのは無理があるわけで……
雪夜は姉がむやみやたらに発した“言葉”をそのまま素直に受け取ってしまったので、雪夜の中で姉の言葉は言霊 になって「幸せになっちゃダメ、しななきゃダメ……」となってしまっているのだ。
何気なく口にしただけの言葉でも、言われた側にとっては……ずっと心の傷になっていることもあるからね……
夏樹は自分が雪夜にやらかした過去を思い出し顔をしかめた。
***
「――あのね、雪夜が生まれた時にねぇねは弟ができたって大喜びしてたんだってさ」
「……ねぇねが?」
初めて聞く話に、雪夜が意外そうな表情で夏樹を見た。
「うん」
これは裕也情報だから間違いない。
雪夜が生まれた産院で当時のことを知っている助産師に話を聞いてくれていたのだ。
「ねぇねは雪夜のことをとっても可愛がっていてね、赤ちゃんだった雪夜のお世話もしてくれてたんだって。だけど……事情があってしばらく会えなかったから、その間にね、雪夜たちに会えない寂しさがいっぱいになっちゃって、心の中がぐちゃぐちゃになって、どうすればいいのかわからなくなって、それで雪夜に意地悪なことを言っちゃったんだよ――」
「ねぇねは……ねぇねはゆきやのこと、きらいじゃないの?」
「うん、嫌いじゃないよ。大好きなんだよ」
「……そ……そか……きらいじゃないのかぁ~……」
雪夜が何とも言えない微妙な表情で考え込んだ。
うん、そりゃそんな顔になるよね。
夏樹は、いくら子どもだったから、姉も可哀想な境遇だったから、と言われても、カッとなって感情的に暴言を吐いてこんなに雪夜を苦しめている姉に同情する気にはこれっぽっちもなれない。
ただ……
姉の暴言によって自分を責めてしまっている雪夜の心を少しでも軽くできればと思って、姉の暴言の裏にあったものを雪夜に話しているだけだ。
「雪夜、ねぇねの意地悪な言葉はショックだったよね。イヤな気持ちになったと思うし、怖かったと思う。だけどね……ねぇねは本当は雪夜にしんでほしいなんて思ってない。ズルいって思う気持ちはあったと思うけど、だからって雪夜は幸せになっちゃダメなんて思ってないよ。もしそう思ってるとしたら雪夜をオニさんから助けようとはしないでしょ?」
「……ぅん……」
「ねぇねは雪夜のことが大好きだったんだよ。大好きだから生きて欲しくて、助けてくれたんだよ。だから……雪夜は幸せになっていいんだよ。生きてていいんだよ」
「……いいの?」
「いいんだよ」
「……そか……いいんだ……」
雪夜がしんみりと呟いた。
いいに決まってるでしょ……?
雪夜にとって、姉の言葉と犯人の言葉は強力な言霊 だ。
でもね……
ねぇねの言葉になんか縛られなくていい。
犯人の言葉になんか囚われなくていい。
雪夜には、自分を否定する人じゃなくて、自分を愛して認めてくれる人を信じて欲しい……
雪夜のことを愛して心配してくれている人達がたくさんいることを思い出して。
雪夜はひとりじゃないんだ。
誰よりも雪夜のことを愛してる俺がここにいるんだよ?
雪夜と生きて行きたいって思ってる俺が……
雪夜と幸せになりたいって思ってる俺が……
目の前にいるんだよ……?
そろそろ……嘘つきなねぇねやオニさんじゃなくて、夏樹さんを信じて欲しいな……
***
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