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SS6【水の中の天使 7(夏樹)】
夏樹の目の前に横たわる子どもは、血の気の引いた青白い肌に濡れた髪や服がへばりついていてもなお美しかった。
だが……夏樹と斎はそれどころではなかった。
「――頑張れっ!戻って来い!」
心肺蘇生をしながら子どもに声をかける。
おかしいな……俺、加減間違えた?もうちょっと強めの方がいいのか?思ったよりも水飲んでるのかな……やっぱり斎さんの方が……
夏樹が不安になりつつもう一度息を吹き込んだ瞬間、子どもはケポッと水を吐きだし、きれいに整った顔をぎゅっと顰めて咳き込んだ。
「よし!」
夏樹は思わず一瞬小さくガッツポーズをして斎と顔を見合わせた。
夏樹の予想よりは時間がかかったが、子どもが水に投げ入れられてからの時間で言えばほんの数分の出来事だった。
遠巻きに見守っていた他の利用客からも安堵の声があがり、野次馬の輪が少し崩れ始める。
斎と夏樹は、ホテルのスタッフが持ってきてくれたバスタオルで手早く子どもの身体を拭いて、タオルケットで全身を包み込んだ。
身体が温まってくると、子どもはゆっくりと瞳を開けた。
「お、気が付いたか?俺の顔見える?」
夏樹は自分の頭をタオルで拭きつつ子どもを覗き込んだ。
虚ろな瞳で夏樹を捉えた子どもは、怯えたように小さく震え、視線を泳がせながら小刻みに瞬きをした。
あれ、もしかして……水に投げ入れた奴らの仲間だと思われてる?
「ちょ、俺はあいつらとは違うぞ!?」
あんな奴らと一緒にされてたまるか!
「っ!?」
夏樹の声に驚いて、子どもの全身がピクッと小さく跳ねた。
「こら、怖がらせてどうすんだ!」
斎がすかさず夏樹の背中を小突いて小声で𠮟りつける。
「痛っ!……すみません」
怖がらせようとしたわけじゃ……っていうか……
考えてみたら俺こんな小さい子の相手なんて……したことがない!
バイトによってはたまに小さい子の相手をすることもあるが、それは形式的な対応をしているだけだ。
普段は子どもと接する機会などほとんどないし、あったとしても、なんだかんだ理由をつけて逃げていた。
夏樹は基本的に子どもが苦手なのだ……
「あ~……えっと、俺はホテルの従業員 だよ。ほら、ね?わかるかな?これ、制服!おれ、きみ、たすけた。こわくないよ?ね?きみに酷い事した奴らはそこに転がってるからね、もう大丈夫だよ――」
テンパった夏樹が謎のカタコトで話しかけながら制服の名札 を見せ、ぎこちない笑顔で無害な人アピールをすると、子どもは大きな瞳を潤ませながらも安心したようにフフッと笑った。
――あ……
青白い頬に少し赤みがさして、作り物みたいだった顔に華が開くようにふんわりと笑顔が広がるのを見た瞬間、夏樹は無意識に子どもを抱きしめていた。
「よしよし、もう大丈夫だよ。怖かったよね、よく頑張ったね!――」
そうか、俺……
いつもみたいに斎さんに任せてしまえばいいのに、どうしても自分の手で助けたいと思ったのは……
この子の笑った顔が見てみたかったんだ……
だって、この子は……――
「……ふぇっ……っく……ひんっ……っ」
夏樹が抱きしめるとすぐに腕の中から押し殺した泣き声が聞こえてきた。
ええっ!?やばっ!泣かせちゃった!?
ん?……って、なに抱きしめてんの俺ぇええええええ!?これじゃただの変態じゃねぇか!!
「ご、ごめっ……ん?」
慌てて子どもから離れようとしたのだが、子どもは小さな手でぎゅっと夏樹に抱きついて離れようとしなかった。
「あ~……えっと~……?」
予想外の子どもの仕草に思わず真顔になったが、内心は大騒ぎだった。
なんだこの可愛い生き物……!?
もうこれ絶対確実に天使だろ!!
見た目だけじゃなくて存在自体が天使!!
超癒し!!癒しを超えてもはや……萌えっ!!――
夏樹はこの日、人生で初めて“萌え”という感情を知った。
「……っく……っ……ふぇっ……っ」
って、まだ泣いてる?なんで?ちょっと斎さ……
「ナツ、ちゃんと責任とって泣き止ませろよ」
泣き止まない子どもに戸惑い、助けを求めようとした夏樹の耳元で、斎がボソリと呟いた。
「な、え、ちょ!?」
え、これ、俺のせい!?
いやいや、俺のせいじゃないよな?
だって、この子の方からひっついてるし。
だいたい、泣き止ませろって言われても……どうやって!?
こういう時って子どもにはどういう言葉をかけるんだ……?
俺、言葉なんて……
「――……大丈夫だよ……大丈夫……怖くないよ……頑張ったね――」
夏樹は小さな身体を精一杯優しく抱きしめながら、同じ言葉を呪文のように何度も唱えた。
それは……両親が亡くなった後、親戚の家を転々としていた夏樹が無意識に自分自身に言い聞かせていた言葉でもあった……――
***
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