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SS6【水の中の天使 12(斎)】
長兄の話によると、兄弟の父親は医師で今日はこの近くの会場で行われている学会に出席しているらしい。
父親が休憩と準備のために部屋を借りていたのがこのホテル……ではなく、隣のホテルだった。
隣のホテルにはプール付きの部屋があり、父親が学会に行っている間、3人はその部屋でプール遊びを楽しむはずだったのだとか。
「雪夜は……幼い頃から身体が弱く、ずっと入院していたので、プール遊びや海水浴をしたことがないんです。だから、今日は初めてのプール遊びをとても楽しみにしていて……それに、この機会に万が一水に落ちた時のため、泳ぎ方や浮き方を教えておこうと思って……」
結局間に合わなかったけど……と、長兄がボソリと呟いて、顔をしかめた。
楽しい思い出になるはずだった初めてのプール遊びが、あのバカ共のせいで最悪の思い出になってしまったわけだ……
「え、でも隣のホテルにいたのにどうして“ユキくん”はあんなところに……?」
「それが……私は午前中用事があったので別行動をとっていて、慎也と雪夜が先にホテルに着いたんですが……慎也がフロントで鍵を受け取っている時に、海外からの団体客が入ってきて雪夜が囲まれてしまったらしくて……パニックになった雪夜が外に飛び出してしまったんです」
もちろんすぐに追いかけたが、雪夜は身体が小さい。
団体客をかき分けて慎也が外に出た時にはもう人混みに紛れてしまい右に行ったのか左に行ったのかもわからなくなっていた。
「僕がちゃんと手を繋いでいれば……」と慎也は自分を責めつつも、急いで兄に連絡を入れて、必死に周辺を捜索していたらしい。
「慎也からの連絡を受けて慌てて来たものの、私も慎也もまさか雪夜がすぐ隣のこのホテルにいるとは思わず……」
プールでの騒ぎを見ていた利用客が、ホテルの近くで弟を探し回っていた兄たちに気付いて声をかけてくれたおかげでようやくここに辿り着いたのだとか。
「そうだったんですか。だからユキくんはひとりで……」
実は隣のホテルとこのホテル、建物は色も形も全然違うのだが玄関の雰囲気や扉がよく似ているのだ。
大人でも初めて来る人は間違えることがあるくらいなので、子どもで、しかもパニックになっている状態なら、間違えたとしても仕方ない……
この子がひとりでプールサイドをふらふらしていた理由はわかった。
が、この兄弟、言葉の端々に何やら気になる部分が多い。
少しでも怪しい所があれば気になってしまうのは、斎の職業病のようなものだ。
一応探りを入れておくか……
「それで……」
「兄さん!雪くん熱が出て来た!」
斎がもう少し話を聞こうとしていると、張り詰めた次男の声が割り込んで来た。
***
「何!?高いのか?」
「いや、まだそこまでは高くなさそうだけど……」
「ちょっと頬が熱いな……」
「あちゅくない!おねちゅない!」
「雪くん、ちょっと触らせてね~」
兄たちが慣れた手付きで弟の顔や首元に触れていく。
兄たちに会って安心したのか、それとも、兄たちを宥めるのに疲れたのか……
「フロントに連絡して体温計を持って来るように頼みましょうか?」
斎がフロントに連絡しようとすると、次兄が手を振った。
「いえ、大丈夫です!体温計なら僕の鞄に……って、あれ?……ああっ!どうしよう兄さん……僕らの荷物、隣のホテルのロビーに置きっぱなしだ……誰かに盗られてるかも!」
「荷物なら、たぶんフロントで預かってくれているとは思うが……いつまでも預けておくわけにはいかないし、荷物を取りに戻ってそのままうちの病院に連れて行くか」
「そうだね。あ、それと――……」
あっという間に話しがまとまり、兄たちは頬を火照 らせてぼんやりしている弟に優しく笑いかけた。
「よし、雪くん。お熱診てもらいに行こうか!」
「……ぬ~いん……?」
「いや、入院はしなくても大丈夫だろう」
「お熱を診てもらったらみんなでお家に帰ろうね!」
「おうち……かえろ?」
「うんうん、帰ろ!」
「……っ!」
“ユキくん”は兄たちの話を聞いてうんうんと頷いた後、ちょっと考え込んで誰かを探すようにキョロキョロと室内を見回した。
「ん?どうしたの?」
「にぃに、いないの……まちゅの!」
「ここにいるよ?」
「ううん!ちがうのよ!あのね、しゅぐ、くるね~って……ゆちくん、まちゅねって……よちよちって……」
「えっと……?」
“ユキくん”が身振り手振りで一生懸命兄たちに説明するが、兄たちは何のことかわからず困惑するばかりだ。
だが、斎には心当たりがあった。
もしかして……
「ユキくん、それってプールで助けてくれたお兄ちゃんのことかな?」
斎が携帯で夏樹の写真を見せると、“ユキくん”は「にぃに!!」と嬉しそうに指差し、うんうんと頷いた。
へぇ~、ナツのやつ随分と懐かれたもんだなぁ……
「そかそか。実は、彼が弟さんを助けた私の知り合いで……――」
斎が、“ユキくん”と夏樹との別れ際のやり取りを話すと、兄たちは何とも言えない複雑な表情になった。
人見知りで怖がりな弟が自分たち以外の男を「にぃに」と呼んで懐いているのが信じられないという様子だ。
「あの~……雪夜の恩人だから私たちも直接会ってお礼を伝えたいのですが……」
夏樹は今、逃げた犯人を捕まえている真っ最中だ。
そんなに遅くはならないと思うが、あとどれくらいで戻るとはっきり口にすることはできない。
「お礼なら私から伝えて置くので大丈夫ですよ。それより、少量とはいえプールの水も飲んでますし、熱が出て来たのなら早めに病院に連れて行ってあげた方がいいかと……」
斎が視線を“ユキくん”に向けると、兄たちは顔を見合わせて頷いた。
「そうですね、それではお礼はまた後日に……」
「雪くんあのね、このお兄ちゃんはまだ帰って来られないんだってさ。だからね――……」
***
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