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SS8【ハローベイビー♪7(雪夜)】
『ある朝、目覚めると……恋人が赤ちゃんになっていた――』
そんな漫画みたいなことが現実に起こってから1週間が過ぎた……
雪夜の恋人は、まだ“ちっちゃい夏樹さん”のままだった。
それというのも、浩二のせいだ。
あの日、お寺に連絡した後、奇跡的に祓い屋にもすぐ連絡がついた。
斎が「すぐにお祓いしてくれるかは祓い屋の気分次第だ」と言っていたので心配していたが、夏樹の状況を説明すると、「そっちの方が面白そうだからすぐに向かう」と言ってくれた。どうやら祓い屋の興味を惹くのには十分な内容だったらしい。
ところが……
気まぐれな祓い屋曰く、お祓いをするには「呪われている品物」「呪われた本人」「呪われている品物を購入した人」が揃っているのが条件らしいのだが、浩二は次の仕事の関係ですでに空の上にいたため連絡が取れなかった。
つまり「呪われている品物を購入した人(=浩二)」がいないので、浩二が出張から戻って来るまではお祓いが出来ないというわけだ。
ちなみに……夏樹は、この1週間で3歳前後くらいにまで成長している。
兄さん連中によると「これは時間の経過で解けていくタイプの呪いっぽいな」とのことだが、一晩にどの程度成長してどれくらいの期間で戻るのかはわからない上に、3歳前後からは成長が止まっているようなので、あまり楽観視はできない。
実は呪いの種類によっては、おとぎ話でよくある『王子様のキス』『12時の鐘』『呪文』などのように、何かのきっかけで解けるようになっているものもあるらしく、雪夜も兄さん連中に手伝ってもらって、思いつく限りのことは試してみた。
だが、残念ながら特に大きな変化は見られなかった。
素人の雪夜たちに出来ることはもうないので、あとは祓い屋に任せるしかない。
キスでポンっと元に戻ってくれたらロマンチックなのにな~……俺の下手くそなキスじゃダメですか……そうですか……ぅわぁあああん!夏樹さぁああああん!!
はぁ~……こんなことならもっと真面目にキスの練習しておけば良かった……
***
「――……んチュ~~~~!」
「ぅ゛~~~ん゛……なちゅしゃ……たしゅけてぇ~……」
雪夜は“吸引力のすごい掃除機のオバケ”に吸い込まれる夢にうなされて目を覚ました。
目を開けると、ほっぺに吸い付いていた何かが“ちゅっぽん”と音をたてて離れて、クリクリの大きな瞳が雪夜の顔を覗き込んできた。
「ゆ~ちたん!」
寝惚け眼の雪夜と目が合うと、幼くも整った顔がくしゃっと崩れて嬉しそうに笑った。
「ぅふふ、なちゅ……じゃなくて、りんくん、おはよ~ごじゃぃましゅ……」
雪夜は『夏樹さん』と言いかけて慌てて『りんくん』と言い直した。
成長してお喋りが出来るようになった夏樹が、周りに影響されて自分のことを「なちゅ」と言い出したため、このままではいけないとみんなで話し合って「凜」と名前を呼ぶことにしたのだ。
自分のことを名前で呼ぶのは子どもにはよくあるけど、自分を名字で呼ぶのはさすがに違和感があるからね。
そして、小さい夏樹は雪夜のことを兄さん連中の真似をして「ゆきちゃん」と呼ぶ。
否、「ゆちたん」と呼ぶ。
「ゆちたん、おはよ~!あしゃ よ~!」
夏樹が雪夜の耳元に手を当てて少し舌ったらずに囁く。
雪夜がよく知っている声よりも高めで幼い声なのに、微かに混じる聴き慣れた甘い響きに頬が緩んだ。
「……う~ん……」
伸びをしながらベッドサイドに置いてある時計をチラッと見る。
「ごじぃ~……?ふぁぁ~~……!けしゃも早いれしゅね……」
大人の夏樹も朝は早かったが、小さい夏樹も4時頃には起きているらしい。
雪夜を起こさないようにと斎たちが相手をしてくれているようだが、小さい夏樹は結局待ちきれなくて5時には雪夜を起こしに来る。
「ゆちたん、いっしょね、あしゃめしくぅよ~!」
「ふぇ~?あ~い、朝ご飯でしゅね。一緒に食べましょうね~」
雪夜はちゃんと答えているつもりだが、実際にはムニャムニャ言っているだけだ。
起き上がったものの、寝ぼけてまた眠りそうになっている雪夜の横で、夏樹はせっせと着替えを用意していた。
菜穂子が段ボール箱で作ってくれた“小さい夏樹専用”の可愛い衣装ケースから服を選んだあとは、雪夜の服も選んで持って来てくれる。(ベッドの上がり下りは斎たちが用意してくれた台を使っている)
幼くても、夏樹のセンスは抜群だ。
「りんくん、これ!ゆちたん、これ!」
「あ~ぃ……ありがとでしゅ。着替えましゅね~……」
「ゆちたん、ばんじゃい!ぬぎぬぎぃ~!」
「お~い、雪ちゃん起きたか?」
夏樹が雪夜の服を脱がそうと四苦八苦していると、斎が寝室を覗きに来た。
「まだ眠そうだな。とりあえず朝飯食って薬飲んで、それから二度寝しような」
いくらしっかりしていても、今の夏樹に雪夜の薬の管理は難しい。
そのため、今は夏樹の代わりに、兄さん連中が薬の管理をしてくれている。
「もぅおきてましゅよ~……」
「ハハハ、目が開いてないけどな。あ!凜坊、おまえまた雪ちゃんのほっぺ食ったな!?赤くなってるじゃねぇか!雪ちゃん大丈夫か?」
斎が夏樹に吸い付かれて赤くなっている雪夜の頬を撫でた。
「ほぇ~?大丈夫でしゅよ~」
「そうか?でも後でちょっと冷やそうな。まったく……いいか、凜坊 。美味しそうに見えてもほっぺは食べちゃダメだぞ!?ガブガブしちゃダメ!もう歯も生えてるんだから、雪ちゃんが痛いだろう?」
「チュウチュウよ?」
「チュウチュウも!こんなに赤くなるくらい吸い付いちゃダメ!軽くチュッ!くらいにしとけ!」
「あい!」
「返事だけはいいんだよなぁ~……ほら、ふたりともばんざ~い!」
斎が呆れ笑いをしながらも手早く夏樹と雪夜を着替えさせた。
夏樹は自分でしたかったようでちょっと不満気な顔をしていたが、「早くしないと朝飯が冷たくなっちまうぞ?」と言われると、「ゆちたん、あしゃめし、いこ!」と慌てて雪夜の手を引いてリビングへと向かった。
***
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