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Act.4名前-2
散歩の後にカフェに行った。ちょうどランチの時間だったのもあり、ランチを注文すると、山中のカフェ独特の自然食材を使ったオーガニック料理が出された。一緒に頼んだコーヒーも近くの川を流れる水だとかで美味しく、二人はしばし緩やかな空間で食事を楽しんだ。
その帰りにはカフェで販売していたテイクアウトの焼き菓子やコーヒーをスミレの為に購入して帰宅した。スミレは帰ってきた二人に笑顔で「楽しかった?」と聞いてきたので、「楽しかったです」と少し恥ずかしがりながら優は答え、テイクアウトしてきたものをスミレに渡した。
スミレはそれを大変喜んでくれ、優も心ではほほ笑んだ。それが表情に出ないだけで、優自身も今日の出来事は素直に喜べたのだ。
その感情はこれまで感じたことのないような温かさだ。かつて自分はこんな些細なやりとりで喜んだ事があっただろうか?
「優君。お風呂湧いてるから先に入りなよ」
「あ、うん……」
夕食後に部屋で本を読んでいた優の所へ大地がやって来た。
「今日は寒かったからね。しっかりお湯に浸かって温まるんだよ」
「わ、わかってる……」
照れくさそうに言う優の頭を大地がポンポンと叩いた。
あぁ、まただ……――
大地に頭を撫でられると、何故か心が落ち着くような気分がすると優は思った。大きな手は優を安心させてくる。
「どうしてだろうな?」
「ん?どうかしたの?」
「あんたにそうやって頭撫でられるの……嫌いじゃない」
「えっ?」
「落ち着くんだ。心が……なんかガキみたいって思うんだけど、それでも心の中が温かくなる」
ぽつりと答えた優だったが、自分で何を言っているのかわからなくなって、身体中から熱が上がってくる感覚がした。
「な、なんでもない!俺風呂に入ってくるから」
タタッと早足で脱衣所のある場所に行き脱衣所に入ると、優はその場に座り込んだ。
「俺何言ってるんだ?」
自分がおかしい。なにもないはずの感情が、今まで知らなかった何かが自分の中に生まれてくる感覚だ。こんなのは自分じゃない。どうしてあんな事を言ってしまったのだろうか?後でどんな顔して会えばいいのだろうか?
優の中で様々な感情がせめぎ合っていた。
「なんなんだ……これ?」
胸に手を当てるとトクトクと鼓動が早鐘を打っていた。こんな事は今までになかった。そう思いながらも優は風呂に入る事にした。
風呂から上がった優は、上がった事を大地に言う為、大地の部屋の前で立ち止まった。
すぅっと息を吸い、吐き出して落ち着かせ、襖の扉をこんこんと叩いた。
「風呂上がったから」
そう言ったのに返事はない。言ったからもう部屋に戻ってもいいだろうと思ったのだが、気になってしまった。
「お、おい……開けるぞ」
勝手に入るのは悪いとは思いつつも、優はそっと襖を開けた。すると大地は部屋にあるベッドで横になっていた。畳にベッドもいかがなものかな?と思いながらも、優は大地の眠る場所へと吸い寄せられるようにして向かった。
大地の部屋は机と椅子、カラーボックスと、とてもシンプルで、机にはノートパソコンが一台置いてあった。壁にはスーツもかけてある。本だらけの雑多な祖父の部屋とは全然違った。
「おい、起きろよ」
「ん……」
一瞬眉をしかめてくすぶっていたが、どうやら深い眠りのようでなかなか起きない。よほど今日は疲れてたかもしれない。このまま眠らせておけばいいのだろうが、それは出来なかった。何故なら今日は寒いし、日中とはいえ外にいたのだ。大地が優を気遣うように、優もまた大地を気遣った。
「このまま寝ると風邪引くだろ?起きろって……」
そう何度も言っているのにまったく起きない。
「おい!大地!」
すると何かに反応したのか、大地の目がパチッと目を開けた。
「優君?」
「風呂も入らず寝たら風邪引くだろ?俺は入ったからさっさと入れよ」
ふぅっと一息つき、優は立ち上がろうとした。すると大地の手が優の手をぎゅっと握る。
「な、何だよ……」
「さっき優君。僕の名呼んだよね?」
「あ、あぁ……それがどうしたんだよ?」
「うぅん。嬉しい。優君が初めて僕の名前呼んでくれて」
そうだったか?と頭の中で思い出す。だがたしかにこれまで大地の名前で呼んだことなどなかったかもしれない。
「名前なんてどうでもいいだろ?早く風呂入れよ」
「いやとっても嬉しいよ。ちゃんと呼んでもらえるって嬉しいよ」
「そんなに喜ばれてもな……それに名前くらいいつでも呼んでやるから、さっさと風呂入れ」
「うん」
大地は本当に嬉しそうな顔をしている。そんなに名前を呼ぶって特別な事なのか?大地の思考がよくわからない。だがそれが当たり前で、むしろ優の方がおかしいのかもしれないと考えた。
「優君」
「何?」
「ありがとね」
それは何に対してのありがとうなのだろうか?よくわからないが、やっぱり大地は変な奴だと優は改めて思った。
「あっ!」
「今度は何だよ!」
「いや、今優君笑った」
「へっ?」
笑ったつもりはないのだが、大地にはそう見えたらしい。能天気でお人よしの大地は、ついに何か見えないフィルターでもかかったのかもしれない。そんな事を考えていると、また大地は優の頭をポンポンと撫でた。
「そうやって笑ってる優君が可愛いよ」
「か、可愛いって!あのなぁ……」
「僕はそっちの顔の方が好きだな。やっぱり優君は笑ってる方が似合ってるよ」
優しいほほ笑みに優の顔が熱くなるのを感じた。そして大地の言った「好き」と言う単語は、優の心をまたドクドクとさせる。
「い、いいから風呂行けって!」
「そうだね」
そのまま部屋を出た大地。優はへなへなと座り込んで両手で頬を挟む。風呂上りなのに冷たい手は、頬の熱さをじんわりと伝えていく。
「な、なんだよ……俺、なんかおかしい……」
自分の中で芽生える感情の意味が優にはわからない。もしかしたらスミレや大地は知っているのかもしれないが、それを聞くのはなんだか恥ずかしいと思った。
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