10 / 14

Act.5感情-1

 一緒にドライブをしに行った夜以降、優は大地の事をちゃんと「大地」と名前で呼ぶようになった。誰にでも当たり前に出来る事。その人を表す名をどうして今まで呼ばなかったのかわからない。けれど、大地は優に名前を呼ばれる度に微笑む。  おかしな奴。変な奴。そうは思いながらも、ほほ笑まれるとドキンと胸が弾むし、あの大きな手で頭を撫でられると胸の奥がトクトクと鼓動を鳴らした。  誰かに触れられる事がひどく不快だったはずなのに、大地に触れられても不快と思わない。むしろもっと触れてほしいという欲求が出るくらいだ。そんな自分はおかしい。これまでにこんな事はなかった。  それに、こうも不規則に心臓が高鳴ると不整脈なのかと思ってしまうが、別に病気のような気がしないので違うと優は判断はした。もしひどい様ならば病院に行った方がいいかもしれないが、出来る事なら行きたくない。医者は嫌いだ。  優の心はぎゅっと締め付けられたり、高揚を覚えたりと、今までにないような感覚と感情がない交ぜになっていた。 『どうしてこうも胸が高鳴るのかわからない?』 『わからないかな?』 『私には理解できません』 『それは君が僕と同じ感情だから』 『どういう事ですか?』 『僕も君もお互いに想いあってえるからだよ』  祖父の部屋にある小説を読んでいると、そんな主人公とヒロインの会話が刻まれていた。話はよくある身分違いの恋愛もので、時代は明治だったか大正だったか……  だがその文章の、ヒロインの心情がどこか優と重なる感じがした。 「お互いに想いあってる……か……」  恋愛ものによくあるチープな展開だなと思いながらも、自分と大地の場合はどうかと考えたが、そもそも物語のように男女間の話ではない。これは男女間の話だからこそ成立している。自分達は男同士だ。だから自分にはこれは該当しない。なら自分の今の感情はどうなのか……それは物語には書かれていなかった。 「優君ちょっといいかしら?」  コンコンと襖を叩き、スミレの声が聞こえたので「はい」と返事をした。 「キヨさんからおもちいただいたから、今から食べようと思うんだけど、優君もどうかしら?」 「あっ、じゃあ行きます。俺、お茶煎れるよ」 「ホントに?ありがとね」  キヨさんは隣に住むスミレの話し相手で、よくこの家に来ては話し込んでいる、はつらつとしたとても元気のいいおばあちゃんだ。優も何度も会っているので、決して初対面でもない。そして最近ではこうしてお茶を用意するのも優の仕事となっていた。  台所で急須に茶葉を入れ、湯を入れると、茶葉の香ばしい匂いがしてきた。  おぼんに茶碗と急須を乗せ、#炬燵__こたつ__#で談笑中のスミレとキヨの元に向かった。炬燵の上には近所の人からもらったみかんと、キヨの持ってきたおもちがあり、おもちにはきな粉がまぶしてあった。 「はいお茶。熱いから気を付けて」 「ありがとね優君!いやぁ、うちにもこんな別嬪(べっぴん)の子がいたらいいのに」  茶碗をキヨの元に置くと、キヨはいつもそんな事を言ってくれる。どうやら夫は十年前に他界し、息子も孫も都会の方にいるらしく、優はキヨにとって孫のような存在になるらしい。 「キヨさんったら本当に優君の事が好きなんですね」 「あら、女はいくつになったって綺麗で可愛い男が好きなものよ!それよりも優君も座って座って」 「あ、はい……」  大人しく炬燵に腰を落とした優は、差し出されたきな粉もちを箸でつつきながら食した。ほんのりと甘い砂糖と大豆の香りするきな粉が絶妙な感じでもちに絡み、口いっぱいに染み渡った。 「優君って本当にアイドル事務所とかモデルさんとかやってないの?」 「やってませんよ。だって俺、大地みたいに背も高くないし筋肉もないから」 「そうかしら?でも応募したら普通に審査通りそうだけどね」  キヨは饒舌(じょうぜつ)ミーハーな感じがあるが、優は別に嫌ではない。キヨはスミレや大地とはまた違った感じで気を使い、いろいろと話をしてくれる。  ここの人達は誰も優を蔑む事をしない。ともて大らかで温かい印象がとても強いので、優も警戒する事なく安心して話をする事が出来る。 「あっ、そうそう!大ちゃんと言えば!この前綺麗な女の人と一緒にいるの見たわよ!」  何気なく出されたキヨの話に優はドキッとした。  大地が綺麗な女の人といた……  たしかに大地はいい年齢だし彼女の一人二人はいてもおかしくないだろう。だがどうしてか、それを聞いた瞬間、優の心がズキリと釘を打たれたように痛くなった。 「キヨさんそれ本当?大地ったら何も言わないから……」 「本当よ!なんだか活発そうなお嬢さんで、大人しい大ちゃんにはちょうどいい感じがしたわよ」 「それは帰ってから聞いてみないといけないわね。ねぇ優君」 「えっ、あぁ……はい」  突然そんなフリが来るとも思ってなかったので、優は返事を詰まらせてしまった。  大地が誰かと一緒にいた。それが優の心のどこかに引っかかった。そして同時に嫌だという感情が芽生えた。  夕方になって大地が帰宅すると、スミレはニコニコしながら大地にあの質問をした。 「ねぇ大地?今日キヨさんから聞いたんだけど、あなたお付き合いしてる人いるんでしょ?」  スミレの問いに大地は「えっ?」と驚き、苦笑しながらスミレに答えた。 「何、唐突(とうとつ)に?別にそんな人いないよ」 「あら、だってキヨさんが見たって言ってたわよ。綺麗な女の人と歩いてるの」 「あー……」  何かを考え始めた大地。それを黙ったまま見ていた優は、なぜか自分もドキドキしていた。 「それたぶん同僚の子だよ。有貴ちゃんって言うんだけど、僕にとっても向こうにとっても友達みたいなもんだよ」 「えぇ?でもねぇ……あやしいと思うわよね?優君」 「そ、そうですね……」  どうして今日はこんなにも唐突なフリが来るのだろうか?しかもその度に優は言葉を詰まらせてしまっている。それにその有貴って子はもしかしたら友達とは思ってないかもしれないじゃないかと、優は心の中で意を唱えた。 「残念だけど、有貴ちゃんは彼氏いるよ。僕の場合はよく話聞いてもらったりしてるだけだし」 「そうなの?残念ねぇ……」  本当に残念そうなスミレだが、優はそれを聞いてなぜかホッとした。こんな感情は初めてだ。そしてそれは何と言うのか……読んでいた小説にもこんな場面あった気がする。  そう……この感情は「嫉妬」というものだと優はその時理解した。  嫉妬。どうしてそんな想いを大地に抱くのだろうか?

ともだちにシェアしよう!