11 / 14

第11話

 相当体力を消耗したらしい直貴は、21:00頃には眠りについた。  僕は和泉と、小声で話している。 「しかしまあ、分かんねえよなあ見た目じゃ」 「うん。夜中に繁華街をフラついてるような子には見えないでしょ?」 「露骨にグレてくれてた方が、正常な反応って感じ。真面目そうなとこに闇を感じる」  和泉は麦茶を一気飲みし、ジトッとした目で僕を見た。 「引きはがせないのか? 親に直接、要らねえんならこっち寄越せって言っちゃえばいいだろ」 「そういう親に限って全力で取り戻しに来るんだって」 「勝手だなあ」  和泉の発言を、噛み砕いて考える。  竹本さんから色々な事例を聞いて、虐待する親の飛んだ思考を知れば知るほど、いまの『触らぬ神に祟りなし』の現状維持が、最善策なように思っていた。  しかし和泉の言う通り、何か不測の事態が起きたら?  親という絶対権力に、僕は勝てるのか?  難しい顔をしていたらしい。  和泉はバンッと僕の背中を叩いた。 「よく考えろ、これはチャンスだぞ。前後関係まで含めてくわーしく診断書書いたら、保護する理由になる」 「少し盛ってくれる? 死ぬ寸前だったとか」 「盛るっつうか、実際そうだし。死んでたって不思議はない状態だった。ここまでたどりついたのが奇跡」  ベッドサイドへ移動し、直貴の顔のすぐ横にしゃがんだ。  すうすうと寝息を立てる直貴の顔を見ながら、ゾッとする。  自分の落ち度で、この子を死なせてしまっていたら―― 「せんせい」  直貴がつぶやいた。  うっすら目は開いているが、寝ぼけているように見える。 「ごめん、起こしちゃったね」 「すてないで」 「え?」 「めいわくかけてごめんなさい」  否定しようとしたが、それより先に、夢の世界に戻っていったらしい。  呼びかけても反応はなく、ぐっすりと眠っている。 「はー、やっぱトラウマの根は深そうだな」 「捨てるわけないのに……。どうやったら安心してくれるんだろう」 「無理無理。お前、優しすぎるから」  目を見開いて和泉の顔を見た。  和泉は苦笑いで頬を掻く。 「幸せに慣れてない人間が木下の全身優しいオーラを急に浴びたら、まあ、持て余すわな。幸せすぎて、この幸せが急に壊れたらどうしようって、不安を自家発電」  僕は何も言えず、口をつぐむ。  和泉は直貴を見下ろし、目を細めて笑った。 「好きなんだろうなあ、木下先生のこと」 「え……うん、まあ。慕ってくれてはいると思うけど」  後ろめたすぎて、心臓がうるさい。  もちろん発言に他意がないのは分かっているが、色々見透かす和泉に、軽い恐怖を覚える。 「やっぱり、無理やりにでも親から引きはがした方がいいんだろうか」 「さあな。専門家じゃねえし分かんないけど。でも、単純に直貴の立場になって考えたら、そんなクソ親に怯えて暮らすより、優しい先生の家でのびのび過ごせるならその方がいいだろ? っていう」  僕自身、平日はどうにもできない、家に居る時は何もしてあげられない現状が、もどかしい。  ずっと手元に置いて、危なくないように、管理下においておきたくなってしまう。  でもそれが果たして、本当にこの子の安全につながる行動なのかどうか。  かえって親を刺激してしまうのではないか。  押しつけがましい優しさは、直貴の自力で生きる力を奪う、毒ではないのか?  和泉は思案する僕の顔を覗き込み、眉根を寄せて笑った。 「診断書作るから、いままでの経緯とか詳しく書いてメールくれ。あしたの朝、出勤前にポストに突っ込んどくから」 「ありがとう、何から何まで」 「ひとりで抱え込むなよ」  和泉は雑に僕の背中を叩き、もう一度直貴の様子を確認して、帰っていった。  僕は、嫌な汗でべったりの体を、シャワーで洗い流すことにした。  滝行のように頭からシャワーを浴びながら、考える。  先ほどの和泉の発言。  僕の優しいオーラを浴びたら、持て余すとか何とか。  僕はてっきり、こう言われるのかと思った。  ――木下の全身優しいオーラを急に浴びたら、まあ、『毒だわな』  いや、直接そう言われなくたって、実際不安を増幅させて傷つけているのだから、毒なのかも知れない。  浴室から出て諸々寝る準備を済ませ、起こさないよう注意しながら直貴の隣に寝そべる。 「ん……」  直貴は目をつぶったまま軽く手を伸ばし、布団の上をさまよわせたあと、僕の手を見つけて重ねた。  眠っている。  そっと握り返すと、直貴はころんと寝返りを打って僕の鎖骨の辺りに顔を埋めた。  髪をなでながら、僕は決意した。  要らないなら寄越せと、言ってしまおう。 「……朋之さん」 「起きちゃった?」 「キスしたい。して」  腫れた頬に触らないよう、そっと口づける。 「あのね、直貴。君をさらいたいんだ。いいかな」 「……? さらう? って?」 「ご両親と話して、もう家に帰らなくていいようにしたい。いいかな」  直貴は眉をひそめ、口をつぐんだ。 「……あのね、気持ちはすごくうれしいし、そうしたいんだけど……。でも、酷いことされても、やっぱり親は親なんだよね。一生のお別れでさよならぽいってされるのは、悲しい。見捨てられたくない」  多分、理屈ではなく本能のようなものなのだと思う。  実の親に見捨てられる恐怖は、自分自身の存在価値に影響してしまう。  誰だって、お前は要らない人間だなどと、真っ正面から告げられたくはない。  だから、どんな仕打ちに遭っても耐えてきたのだろう。 「親、嫌いだし嫌われてるのも分かってるけど、お母さんが優しくしてくれたらいいのにって、いまだに思ったりする。中3にもなってさ」  自嘲気味に笑う直貴の頭をなでる。 「変じゃないよ。当たり前だと思う。でもね、僕は君のご両親に、要らないなら僕にくださいって言おうと思ってる。直貴の命が粗末にされるのを見ているのは、辛い」  抱き寄せて、つぶやいた。 「僕にさらわれるのは嫌?」  直貴は僕の服をぎゅっと掴んで、首を横に振った。 「嫌じゃないよ。家でびくびくしてるより、ここにいる方が安心できるし。でも、親に要らないって言われて、それで朋之さんともあとでお別れとかなったら悲しいな。ひとりぼっちになっちゃう。そうなるくらいなら、現状で我慢する」 「お別れはしない。約束する。おじいちゃんになって先に死んじゃうのはごめんだけど、居られる間はずっと一緒に。ね?」  直貴は僕のTシャツのえり元を掴み、無理やりキスしてきた。  僕は応えるより上回って、激しく舌を絡ませる。 「ん……っ、は、ぁ……っ」 「すきだよ、なおき」 「はぁ、ん、ん……っ」  そっと顔を離すと、直貴はかすれ声で言った。 「俺のこと、さらってください。あんな人間のゴミみたいな親、こっちから捨てる」 「うん。でも、泣いていいよ」  澄んだ瞳から、ぼろ、ぼろ、と、大粒の涙がシーツに落ちた。

ともだちにシェアしよう!