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第11話
相当体力を消耗したらしい直貴は、21:00頃には眠りについた。
僕は和泉と、小声で話している。
「しかしまあ、分かんねえよなあ見た目じゃ」
「うん。夜中に繁華街をフラついてるような子には見えないでしょ?」
「露骨にグレてくれてた方が、正常な反応って感じ。真面目そうなとこに闇を感じる」
和泉は麦茶を一気飲みし、ジトッとした目で僕を見た。
「引きはがせないのか? 親に直接、要らねえんならこっち寄越せって言っちゃえばいいだろ」
「そういう親に限って全力で取り戻しに来るんだって」
「勝手だなあ」
和泉の発言を、噛み砕いて考える。
竹本さんから色々な事例を聞いて、虐待する親の飛んだ思考を知れば知るほど、いまの『触らぬ神に祟りなし』の現状維持が、最善策なように思っていた。
しかし和泉の言う通り、何か不測の事態が起きたら?
親という絶対権力に、僕は勝てるのか?
難しい顔をしていたらしい。
和泉はバンッと僕の背中を叩いた。
「よく考えろ、これはチャンスだぞ。前後関係まで含めてくわーしく診断書書いたら、保護する理由になる」
「少し盛ってくれる? 死ぬ寸前だったとか」
「盛るっつうか、実際そうだし。死んでたって不思議はない状態だった。ここまでたどりついたのが奇跡」
ベッドサイドへ移動し、直貴の顔のすぐ横にしゃがんだ。
すうすうと寝息を立てる直貴の顔を見ながら、ゾッとする。
自分の落ち度で、この子を死なせてしまっていたら――
「せんせい」
直貴がつぶやいた。
うっすら目は開いているが、寝ぼけているように見える。
「ごめん、起こしちゃったね」
「すてないで」
「え?」
「めいわくかけてごめんなさい」
否定しようとしたが、それより先に、夢の世界に戻っていったらしい。
呼びかけても反応はなく、ぐっすりと眠っている。
「はー、やっぱトラウマの根は深そうだな」
「捨てるわけないのに……。どうやったら安心してくれるんだろう」
「無理無理。お前、優しすぎるから」
目を見開いて和泉の顔を見た。
和泉は苦笑いで頬を掻く。
「幸せに慣れてない人間が木下の全身優しいオーラを急に浴びたら、まあ、持て余すわな。幸せすぎて、この幸せが急に壊れたらどうしようって、不安を自家発電」
僕は何も言えず、口をつぐむ。
和泉は直貴を見下ろし、目を細めて笑った。
「好きなんだろうなあ、木下先生のこと」
「え……うん、まあ。慕ってくれてはいると思うけど」
後ろめたすぎて、心臓がうるさい。
もちろん発言に他意がないのは分かっているが、色々見透かす和泉に、軽い恐怖を覚える。
「やっぱり、無理やりにでも親から引きはがした方がいいんだろうか」
「さあな。専門家じゃねえし分かんないけど。でも、単純に直貴の立場になって考えたら、そんなクソ親に怯えて暮らすより、優しい先生の家でのびのび過ごせるならその方がいいだろ? っていう」
僕自身、平日はどうにもできない、家に居る時は何もしてあげられない現状が、もどかしい。
ずっと手元に置いて、危なくないように、管理下においておきたくなってしまう。
でもそれが果たして、本当にこの子の安全につながる行動なのかどうか。
かえって親を刺激してしまうのではないか。
押しつけがましい優しさは、直貴の自力で生きる力を奪う、毒ではないのか?
和泉は思案する僕の顔を覗き込み、眉根を寄せて笑った。
「診断書作るから、いままでの経緯とか詳しく書いてメールくれ。あしたの朝、出勤前にポストに突っ込んどくから」
「ありがとう、何から何まで」
「ひとりで抱え込むなよ」
和泉は雑に僕の背中を叩き、もう一度直貴の様子を確認して、帰っていった。
僕は、嫌な汗でべったりの体を、シャワーで洗い流すことにした。
滝行のように頭からシャワーを浴びながら、考える。
先ほどの和泉の発言。
僕の優しいオーラを浴びたら、持て余すとか何とか。
僕はてっきり、こう言われるのかと思った。
――木下の全身優しいオーラを急に浴びたら、まあ、『毒だわな』
いや、直接そう言われなくたって、実際不安を増幅させて傷つけているのだから、毒なのかも知れない。
浴室から出て諸々寝る準備を済ませ、起こさないよう注意しながら直貴の隣に寝そべる。
「ん……」
直貴は目をつぶったまま軽く手を伸ばし、布団の上をさまよわせたあと、僕の手を見つけて重ねた。
眠っている。
そっと握り返すと、直貴はころんと寝返りを打って僕の鎖骨の辺りに顔を埋めた。
髪をなでながら、僕は決意した。
要らないなら寄越せと、言ってしまおう。
「……朋之さん」
「起きちゃった?」
「キスしたい。して」
腫れた頬に触らないよう、そっと口づける。
「あのね、直貴。君をさらいたいんだ。いいかな」
「……? さらう? って?」
「ご両親と話して、もう家に帰らなくていいようにしたい。いいかな」
直貴は眉をひそめ、口をつぐんだ。
「……あのね、気持ちはすごくうれしいし、そうしたいんだけど……。でも、酷いことされても、やっぱり親は親なんだよね。一生のお別れでさよならぽいってされるのは、悲しい。見捨てられたくない」
多分、理屈ではなく本能のようなものなのだと思う。
実の親に見捨てられる恐怖は、自分自身の存在価値に影響してしまう。
誰だって、お前は要らない人間だなどと、真っ正面から告げられたくはない。
だから、どんな仕打ちに遭っても耐えてきたのだろう。
「親、嫌いだし嫌われてるのも分かってるけど、お母さんが優しくしてくれたらいいのにって、いまだに思ったりする。中3にもなってさ」
自嘲気味に笑う直貴の頭をなでる。
「変じゃないよ。当たり前だと思う。でもね、僕は君のご両親に、要らないなら僕にくださいって言おうと思ってる。直貴の命が粗末にされるのを見ているのは、辛い」
抱き寄せて、つぶやいた。
「僕にさらわれるのは嫌?」
直貴は僕の服をぎゅっと掴んで、首を横に振った。
「嫌じゃないよ。家でびくびくしてるより、ここにいる方が安心できるし。でも、親に要らないって言われて、それで朋之さんともあとでお別れとかなったら悲しいな。ひとりぼっちになっちゃう。そうなるくらいなら、現状で我慢する」
「お別れはしない。約束する。おじいちゃんになって先に死んじゃうのはごめんだけど、居られる間はずっと一緒に。ね?」
直貴は僕のTシャツのえり元を掴み、無理やりキスしてきた。
僕は応えるより上回って、激しく舌を絡ませる。
「ん……っ、は、ぁ……っ」
「すきだよ、なおき」
「はぁ、ん、ん……っ」
そっと顔を離すと、直貴はかすれ声で言った。
「俺のこと、さらってください。あんな人間のゴミみたいな親、こっちから捨てる」
「うん。でも、泣いていいよ」
澄んだ瞳から、ぼろ、ぼろ、と、大粒の涙がシーツに落ちた。
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