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Clapham Junction 12
悪党たちの密会に夜の地下駐車場が似合うという思い込みは、どこから生まれてきたのだろう。そうでなければ港のコンテナや倉庫街。外国映画のそういうシーンにもよく使われるから、オリジナリティに欠けるというよりも、日陰に咲く女に後ろ暗い過去があるのと同じパターンで、最早常識なのかもしれない。いずれにしても夜だ。闇に紛れてひっそりと行うのが常となる。
零時まであと十分ほどだ。グレッグは潰れたパッケージから煙草を取り出し、落ち着くための一服を始めた。ずっと気になっているものの正体について考えてたいた。導き出された答えが正しいのかどうか自信がなかった。
煙草が灰になってしまう前に、古いフォードが入ってきた。グレッグは緊張で身を固くする。車は奥の空きスペースに停められて、男がふたり降り立った。
マークはあの時点でヒントをくれていたのに、グレッグは他のことに気を取られていたのだった。彼が何者で、どうやって自分のことを調べたのかという謎が、グレッグの思考のより大きな面積をとらえていた。次に、彼が自分を見限ったということにショックを受けていた。彼の口調から、グレッグと二度と関わるつもりがないことは明白だったからだ。
マークは、警視庁上層部とともにグレッグが汚職特捜部の捜査対象になっていることを指摘した。デンビーがヤードの上層部と懇意で、パークロイヤル襲撃の捜査を打ち切らせたのであれば、潜入捜査官リストを怪しげなクラッカーから手に入れる必要はない。デンビーにとっては最初からこの取り引きは意味がなかった可能性に思い当たる。それこそが違和感の正体であり、マークが言った重要なことを、深く考える材料にできなかった自分の愚かさにうんざりする。
フォードから降りたネッドには見覚えがあった。そしてもうひとりはさらによく見知った顔だ。グレッグとネッドは、同じ場所で会っていたのだ。
「久しぶりだ、グレッグ。亡霊に会ったみたいな顔するんじゃねえよ」
「驚いた。無事だったのか」
「驚いたのは俺のほうだよ。お前が二重取り引きしてたなんて」
ウィリアムは火災を生き延びていたのだ。そして誤解をしている。
「違うんだ」
「言い訳は後で聞いてやる。それよりデンビーはどこだ?」
「知らない。ここには来てない」
「嘘ついたって、助からない。漢民族の制裁の厳しさを知ってるよな?お前のせいで、身内が何人も殺られたんだぜ」
「奴は来てない。それは本当だ」
華人ギャングに捕らえられて拷問を受けるくらいなら、マケインに一発で仕留められるほうが幸せだった。
「潜入リストの話は?」
「そんなもんあるわけないだろう。来いよ。いいところに連れて行ってやる」
「本当にないのか?」
背後からの声に、ウィリアムとネッドが振り向いた。エリート警部トバイアス嬢王の登場は、シネマトグラフ的で悪くなかった。ハーケンクロイツをあしらったナチス風のエナメル素材の衣装なら、もっと絵になったはずだ。
その隙をついて、グレッグはネッドにガバナーを押し当てた。トバイアスからもよく見える位置だ。
「お前ももう終わりだぞ!」
「心配すんな。録音も存在しない。お前にされたことは、誰にも言わない」
グレッグは、ネッドを引きずるようにして地上に出るドアを抜けた。
駐車場を出て車道を横切ろうとしたとき、黒い乗用車がものすごいスピードで突っ込んできた。幸いにしてグレッグは掠らずにすんだが、ネッドは避けきれずに跳ね飛ばされた。少し先で停まった車から人が降りて来るが、動けない人質には目もくれない。
相手が汚職警官でも、DPS-ACUはあんなことはしない。おそらくデンビーの使いの者たちだとグレッグは思う。部外者を呼んだことが知られたに違いない。グレッグは慌てて暗い横道に駆けこんだ。反対側からも複数の駆けてくる足音がする。ここで捕まるわけにはいかないのだ。威嚇のため、後ろを向いて何発か発砲さえしながら走った。
足がもつれ、肺が焼かれたみたいに苦しくて、心臓だって破れそうだ。それでもグレッグは逃げ切らなければならない。どこかに隠れてやり過ごせないだろうかと考えながら。しかし次に足を踏み入れた路地は、高いフェンスで大通りと仕切られていたのだ。
フェンスに体当たりをしたが、無駄だった。後頭部に衝撃があり、殴られたのだと知る。意識は途切れた。
冷たい手が頬を撫でる感触が心地よくて、目を開けたくない気がしていた。けれども耳の後ろを撫でられると、あまりの痛さに飛び起きた。金属の擦れる嫌な音がして、左手がベッドの鉄柵に手錠で繋がれていることが知れる。頭がうまく働かない。自分が置かれている状況がわからない。
窓のない倉庫のような場所だ。古い家具が乱雑に置かれていて、ドアではなくシャッターが見える。タングステン電球がひとつ天井から下がっている。寝かされているベッドはシーツが掛かっていない状態で、背中には古びたスプリングを感じた。
傍に身を寄せていたマークが、耳障りの良い声で言う。相変わらずスリーピースをきちんと着込んでおり、この場に似合わず美しかった。
「手荒なことはしたくなかったが、君が逃げるからだよ。事故の件も、轢き殺そうとしたわけじゃなく、君たちが飛び出したのが悪いんだ。手錠は外してあげられない。また罪を重ねたからね」
人質をとって逃亡し、住宅街でむやみに発砲したことを指摘される。
「逃げられないって言ったはずだよ」
ひどく喉が渇いていた。手渡された水を飲むとようやく落ち着く。
「わかってた」
「じゃあ、なぜ逃げたんだ?」
「あんたに電話しようと思ったんだ」
「私に電話を。そのあとは?」
「何も考えてなかった」
笑われるかと思ったが、マークは眉を上げただけだった。
「どうしても言いたいことがあったんだ。失望させて、悪かったって」
「せめてもの償いに、潜入捜査官リストの流出を防ごうとしたんだね?」
グレッグは肯定も否定もしない。
「取り引き自体フェイクだって、あいつは知ってたんだ」
「君たちが殺し合えば、手間が省けると思ってたんだろう」
自由になる右手をマークに伸ばし頬に触れてみた。彼は抵抗することもなく、そのままにさせていた。
「愚かしさのない日々には、色彩が乏しいものだね」
マークにしか似合わない台詞だと、また関心する。愚かしさしかない日々を生きるグレッグが言えば、単なる負け惜しみにしか聞こえない。
「デンビーが君を切ったのは、私が君への執着を捨てたからだ。彼の本当の狙いは私だからね」
「言ってる意味がわからない」
「わからなくて結構。君には縁のない話だからね。私はテムズハウス(MI5)で、何年も前からデンビーは宿敵だということだけは教えてやるよ」
マークは作り笑いをした。
「要約すれば、私の初恋が多少君に迷惑をかけたということだ。そういうわけなので、チャンスをあげようと思って、来てもらったんだよ」
「結局、俺はあんたらの痴話喧嘩に巻き込まれたってわけか?」
「痴話喧嘩ではないが、お詫びはする」
彼は立ち上がり、アンティークな箱型のスーツケースを運んできた。
「選択肢はふたつ。どちらを選んでも、君は自由になれる。手錠の鍵はここに置こう。ケースには現金が詰まってる」
それから、ナイトテーブル代わりのパイプ椅子に無造作に置かれたガバナーを取り、グレッグの腹に乗せた。シャツの布越しでも、その冷たさがわかる。
「これで私の頭を撃ち抜いたあと、手錠を外して金と共にここを去れば良い。私の遺書は手配済みだ。君はもう警官ではいられないが、別の街で新しい人生をやり直せる。潤沢な資金もあるからね。それがひとつめの選択肢だ」
「もうひとつは?」
「これで自分の頭を撃ち抜く。そうすればすべてのものから解放される」
「冗談だろ?」
「躊躇う理由はないはずだ。君の趣味は、脱出あるいは逃避だろう?」
「自首するよ」
「つまらないことを言って、また私を失望させるのかい?汚職警官が服役した場合、どんな悲惨な目に遭うか知らないわけはなかろうに」
「漢民族の制裁と似たようなもんだろう。死んだほうがマシかもな」
マークは満足そうに頷く。
「さあ、選びなさい。私か、君か」
グレッグは銃を手にしたまま、彼を抱き寄せようとした。繋がれた左手のせいで、思うようにいかなかったが、せめて別れのキスをと思ったのはマークに通じたようで、彼のほうから迎えにきた。
死ぬか殺すかの相手と恋人同士のような優しいキスをする、それがグレッグ・スカダーというどうしようもなくロマンティックな男だった。
名残惜しく唇を離すと、グレッグはまだ柔らかなマークの舌の感覚が残る口内に、短い銃身を突っ込んだ。鉄の塊はやっぱり冷たいなぁ、と間抜けなことを思いながら引き金を引いた。
物語はそこで終わっていた。
***
待ち合わせ場所だというモールの駐車場でシドニーを降ろしてやった。
建物に向かう細い後ろ姿には、思春期独特の無防備さが目立つ。エディは現時点のシドの無邪気な危うさが、どこまで社会で通用するだろうと訝しんだ。
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