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第2話 ミカエル
「どうかミカエル様を私にお渡し願えないでしょうか。」
白いドレスの少女達を後ろに従えた初老の男が片膝を付き男爵へ手を差し伸べる。
この茶番劇を見たのは何度目なのだろう。
この太った初老の男はシュミット伯爵、このパーティの主催者だ。
俺に大天使ミカエルの姿が見えたとか言って、しつこく譲渡を懇願している。
なぜか勝手に俺をミカエルと呼ぶ。
長らく愛玩動物をしている俺を天使の名で呼ぶのは神を冒涜しているんではないかと思う。
男爵がソファに踏ん反り返ったまま葉巻を燻らす。
「どうか、どうか、私にミカエル様のお世話をさせていただけないでしょうか。」
薄くなった頭を下げて懇願する伯爵をひとしきり眺めた後、葉巻を置いた。
顎髭を撫でながら困り顔を作る。
困った風な顔をしているが目が笑っている。少し間をおいて恭しく答えた。
「伯爵様からのたってのお願いをお応えしたいのは山々だが、私もこの子を大切にしている。お渡しするのなら相応の対価を頂きたい。」
この流れは何度も見た。
結末はもう分かっている。
なぜ不毛なやり取りを続けるのか。早く帰りたいのに。
いよいよ本気で寒くなってきた俺は男爵の腕に体を寄せた。
したり顔を向けられ体を離そうとしたら、膝に倒された。
悔しいことに顔にあたる膝と背中を撫でる手が温かい。
嫉妬と怒り、焦りが混じった顔の伯爵が上ずった声を上げる。
「私の宝石達をご覧になってください。一人とは言わず何人でも選んでください。」
伯爵の後ろに控える少女達がドレスの端を持ち頭を下げた。
肩とか首元は空いているが、白兎の毛皮をあしらったドレスが暖かそう。
寒さのあまりあちらの方が幸せなのではと考える。
男爵が俺に上着をかけて立ち上がった。
伯爵が体温が残る上着を羽織る俺と少女達に向かう男爵を交互に見る。
今日集められた少女達(少年かもしれないが)は皆、俺と似たような色合いをしていた。
金髪に青い目、年齢もさほど変わらないはず。
きっと俺より如才なく男爵を楽しませてくれるだろう。
地位が上の伯爵が媚びへつらう。
これが気持ちよくって男爵は毎回茶番にのっている。
俺はこの茶番の餌。悪趣味の片棒を担がされている。
「いかがでしょう?」
「皆、可愛らしいね。花に囲まれているようだ。」
わさとらしく腕を広げ嬉しさを表現する。
その気もないのに条件を飲むような言葉を吐く。
「何人でもいいんだっけ?」
「全員でも。」
「うーん。」
良い答えを期待する伯爵の前で髭を撫でながら悩むような素振りする。
すごく悩んでいる風に天を仰ぎ見てから残念そうにに答える。
「大変素敵なお申し出だけど、今日はお断りするよ。」
伯爵に背を向け振り返った男爵は今にも大声で笑いだしそうだった。
上着を羽織っていても寒くて震えている俺の肩を抱く。
「これから、この子を暖めないといけないんでね。」
茶番の見物客から若干の笑い声が漏れた。
絶望と落胆の表情を見せる伯爵の前で、さも嬉しそうと俺を抱きかかえる。
どさくさに紛れて頬にキスもされる。
いつもなら抗う所だけど、寒くて早く帰りたい。
男爵が茶番の見物客達にうれしそうに頭を下げる。
「ほら、もっと抱き着いて。」
早く帰りたい俺は促されるまま首に腕を回す。
客達の視線が注がれた所でまた頬にキスされた。
人前で本当にやめて欲しい。
客の間をすり抜けて痛快極まりないという顔で会場を後にする。
肩越しに見えるシュミット伯爵から激しい憎悪の色が見えた。
男爵の楽しみも終わりが近い気がする。
さすがに雇用主の身が心配になる。
「大丈夫なの?」
意志の強さが垣間見える黒い瞳が俺を見つめる。
耳元で囁かれた。
艶やかなバリトンの声が耳に入る。
「あんな豚より俺の方がいいだろう。」
伯爵の所も男爵の所も結局はやることは変わらない。
自分が望んでここにいる訳でもない。
ただ、男爵の声だけは良いなと思った。
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