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第16話 人外

初めて見た悪魔というモノはそれほど怖くはなかった。 極寒の冴え冴えとした三日月が美しい夜、皆で眠りに就こうとした時のこと。 俺達の部屋の扉が大きな音を立てて開かれた。 「お前達、すぐ支度をしなさい。全員、全員だ!」 伯爵付きの従者が慌てた様子で告げる。 もう結構な深夜、今からの時間では夜伽ではないはず。 しかも全員用意させるとは一体何があったのだろう。 従者の様子から、急を要する事があったとだけしか分からなかった。 レリエルとカシエルが中心になって皆の身支度を整えていく。 サンダルフォンに至っては眠くて行きたくないと騒ぐので俺が手を引いて連れて行った。 連れていかれたのは屋敷で一番豪華な客室。 俺達が入ることは滅多にない。 伯爵が大切な客人を招くときだけ使われる贅を尽くした豪奢な部屋。 立派な重い扉が開かれる前、従者の一人にお前は一番最後に入れと指示された。 何故なのかは聞けぬまま皆の後ろをついてく。 開かれた扉の向こうは異国から取り寄せたという深紅の絨毯が敷き詰められた豪華な空間。 壁には大きな絵画が飾られ、調度品も繊細で優美なものに埋め尽くされていた。 入ってすぐ異変を感じる。 伯爵が黒いローブを来た男と二人で床に膝まづいている。 二人の先には額から捻じれた大きな山羊の角を生やした男が椅子に座っていた。 若い青年のような男。豪奢な椅子に膝を組んで座る。 退屈で気怠そうな様子、肘掛けに腕を置き頬杖をついている。 男の前には贈り物と見られる金や銀で出来た美しい装飾品の数々。 目を奪われる品々のはずなのに全く興味がなさそうだった。 仲間達も異変を感じ不安の色を隠せない。 いつもは偉そうにしている伯爵が茶番以外で他者に平伏すことは無い。 なにより椅子に腰かける男の額から生えている大きな山羊の角は一体何? 従者に促されるまま、伯爵の後ろへ並ばされた。 伯爵が駆け寄り男に俺達を紹介した。 「どうぞご覧になって下さい、これが私の大切な宝石達でございます。」 小声で挨拶をしなさいと言われスカートの端をつまみ皆でお辞儀をした。 「いいがでしょう?お気に召す子はおられますか?」 伯爵の言葉から俺達の誰かが選ばれ連れて行かれることを知る。 雇用主が変わることはよくあること。伯爵の元も衣食住には困らないが待遇か良いとは言えない。 この若い青年が新しい主人になる可能性が高いので俺達は当然のように興味を持った。 「じゃあアンタの一番大切な子をいただくわ。誰?」 軽薄な口調で話す若い男。 間近で見ると瞳が金色で獣の様な虹彩をしている。 額から生えている大きな山羊の角は作りものではなかった。 端正な口元が開くとき牙が見え隠れする。 ここに居るのは人外の異形の者。 黒いローブを着た男は多分魔導士、悪魔を召喚している! 俺達は悪魔の贄として捧げられるために呼ばれたことに気づいた。 伯爵がなんの躊躇いもなくレリエルの腕を掴んだ。 「イブニングエメラルド・レリエルはいかかでしょうか。」 もう少しで誕生日を迎え、新しい生活を心待ちにしていた彼女を真っ先に捧げようとするとは。 憤って彼女の元へ踏み出そうとしたら従者に腕を掴まれた。 名指しされたレリエルが取り乱して泣き出し、カシエルが庇って抱き支えた。 面倒そうに椅子から降りて来た悪魔が俺達を品定めする。 金色の悪魔の瞳が一番後ろにいる俺を捕らえた。 良い物をみつけたという面持ちで俺を指さす。 ここに居ても声変わりがするまで嬲られる毎日。 暗澹とした日々を続けたその先に何があるかも分からない。 悪魔の供物になることも、ここに居続けることもさほど変わらない。 悪魔の元へ踏み出そうとしたら、レリエルのことは進んで捧げようとしたのに俺の事は庇ってきた。 「ブルーサファイア・ミカエルはご勘弁を。」 伯爵の慌てる様子を楽しそうに眺める悪魔。 横目で俺を見下ろす。 「いいじゃない。碧い瞳がきれいよ。」 「この子はダメです。愛想が全然ありません。面白くもなんともありません。」 伯爵の懇願する様子をとても楽しそうに見つめた後、ピシャリと厳しく言い切った。 「アタシむっつりした子好きよ。いい加減にして帰るわよ。」 人生最後にして、愛想がないとか面白くないとかむっつりしているとか悪口を言われる俺。 悪魔と二人きりになった室内。 見上げた背の高い悪魔と思しき青年は目と角が人外なだけで優しい顔立ちをしていた。 初めて見た悪魔というモノはそれほど怖くはなかった。 これからどうなるのかは分からない。 深紅の絨毯に膝まずき白いドレスの裾がふんわりと広がる。 椅子に座る悪魔に頭を垂れた。 悪魔の言葉を待つ為に。 こうして俺は悪魔の贄として捧げられることになった。

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