18 / 86

第17話 高揚

「アナタも災難ね。」 静まり返る室内。俺の頭に降ってきた声音には、憐憫と億劫さが混じっていた。 俺を選んだのは伯爵への嫌がらせ。俺を特段欲しいと思ったわけでもないようだ。 悪魔を召喚することは、自分の力では叶えられない願いが発生したということ。 願いを叶えてもらうには対価が必要。俺はその対価として差し出されただけ。 俺は雇用主の欲望を叶える為だけの存在、自分の感情など要らない。 感情など持つと苦しくなるだけ。 この状況は受け入れるけど、一つ問題がある。 俺は、寒いのも苦手だけど、痛いのも苦手。 肉体的苦痛に耐えられるのだろうか。 嬲殺して叫ぶ姿を見たいタイプなら俺は希望に添えるだろう。 頭を垂れている俺の手元にナイフが置かれた。 コツコツと足音を立てて悪魔が椅子に戻る音が聞こえる。 小さい溜息の後、億劫そうな声を掛けられた。 「瞳を頂戴。」 自分でやれと言われるとは思わなかった俺は困惑する。 手元に置かれているナイフで自身の瞳を抉り出せという指示。 うまく出来るのだろうか? 左目を選ぶことにした。 指先で眼球と眼球の周辺の骨を確認する。 目尻の横、骨と眼球の隙間にナイフを入れて…。 上に動かしたら…それとも横に引くのか…。 効率的な眼球の取り出し方考えていると頭の上から嘲るような笑い声が降って来た。 「ふふ。出来ないでしょ。怖いよね。泣いたら・・・」 怖くはない。痛いのは嫌だけど怖くはない。 取り出すのなら綺麗な方が良いだろうに、綺麗だと褒められていた碧い瞳なんだから。 言葉の感じから、たいして欲しくもないものを要求する悪魔に腹が立つ。 悩んでいてもしょうがない。ナイフを差し込んだ感触で動かす方向を決めよう。 身を屈めて、両手でナイフを掴んだ。 決めた通りに目尻の横、骨と眼球の隙間にナイフを差し込む。 体内に入った異物の感触に鳥肌がたった。 そんなに深くは入ってはいないはずなのに赤い血液が勢いよく吹き出して白いドレスを汚していく。 眼球の仕組みは分からないけど、もう少し深く差し込んだ方が綺麗に取り出せると思い、手を動かしたところで悪魔に掴まれた。 慌てた様子で悪魔が言う。 「ちょっとあんな豚の為に覚悟ありすぎよアンタ。」 豚…?伯爵の事か。 俺は伯爵の為に、こんなくだらないことをしているのだろうか? 伯爵の為じゃない。 仕事としてやっているだけ。 俺の仕事は『抗わない』こと。ただそれだけ。 瞳が欲しいならあげるだけ。 悪魔らしく黙って眺めていれば良いのに何を言っているんだろう。 客人との会話は禁じられているが返事をした。 「抗わないだけ。欲しいんだろ瞳。あげる。」 深く差し込んだことで流れ出る血液も多くなってきた。 入り込んでいる金属の異物の感触が気持ち悪く耐えられない。 早く終わらせなければ…。下に動かして眼骨の周りを一周させようと手を動かした所で、また止められた。 不機嫌と憐れみを含んだ表情を向けられる。 「いらないわよ。食べても美味しくないのよ。」 ここまで来て要らないとか…。腹が立つ。 生暖かい血が絶え間なくナイフを伝わり落ちていく。 白いドレスは鮮やかな赤に変わっている。 軽薄な口調で悪魔が言う。 「もういいから、抜こうか。」 悪魔に顔を持ち上げられナイフが抜かれ、異物が逆行する感触が気持ち悪くて叫び声が出た。 さきほどよりも多く溢れ出る血、手で押さえても漏れ出してくる。 膝まづいて顔を押さえる俺に悪魔が顔を寄せて来た。 若干うれし気に聞いてくる。 「痛い?」 痛いにきまっている。 無様な姿を晒して悪魔を喜ばせるのも癪なだけだから我慢しているだけ。 「もう、いいだろ?早く殺しなよ。」 俺の言葉に不思議そうな顔をした。 「殺す?どうして?」 痛みが増してきて語気が荒くなる。 「悪魔は人間を殺すものだろ?早くしろよ!」 痛いのを我慢している俺を見透かして悪魔がうれしそうに聞いて来た。 その人をからかっているような様子に俺は腹が立ってしょうがない。 「やっぱり、痛いんだ。」 「痛くない。」 「嘘。」 「嘘じゃない。」 軽い言い合いの末に悪魔が身震いして笑い出した。 「あは。気に入ったわ。すっごい可愛い。」 顔を近づけ、残った片方の瞳を覗き込んだ。 うれしそうに開けた口元から鋭い牙が覗く。 頬を赤くし、目を細めて俺を見る。 高揚した声が届いた。 「痛いなら痛いって言った方が可愛いのに。でも意地を張ってる所も可愛い…。」 多量の出血で意識がなくなったのか、悪魔の魔法のせいかは分からない。 気色悪い事を呟いているのが聞こえたのを最後に俺の意識は無くなった。

ともだちにシェアしよう!