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第26話 『カシエルの後悔』⑦ ダイオプサイド・カシエル
「ミカエル…っていうの?この子。生きてるよ、今はね。」
優しく揺れる銀髪。人を安心させる笑顔はあくまでも作られたものだった。
悪魔とミカエルだけを客室に残し全員退室した。
中で何が行われているのかは分からない。
伯爵が閉じられた扉に向かって小さくミカエルの名を何度か呟き続けた。
愛しているとは言い難いのに最愛の人を失った風の仕草が気持ち悪く誰も同情はしなかった。
そもそも悪魔を呼び出しその対価として愛妾を捧げたのは伯爵、悪魔が誰を選ぼうとも文句は言えないはず。
ミカエルはたまたま悪魔の目に止まっただけ、それを防ごうと庇った伯爵の姿が悪魔の嗜虐心をそそり今に至っている。伯爵は自分の行動がミカエルを失った原因だと気づいていない。
彼の歪んだ怒りの矛先が悪魔に選ばれなかった愛妾達に向いた。
醜い顔を歪め怒りを顕わにする。
「お前達が…、お前達が…、レリエル!!」
名前を呼ばれて前に出たレリエルを何度も平手で打ち付けた。
「お前が選ばれないから、ミカエルが死ぬことに!!この役立たずが!!」
理不尽に激高する伯爵の叱責と攻撃は止むことなく続き、ついには床へ倒された。
悪魔に捧げられそうになった時に涙を流していた彼女。
しかし、この理不尽な怒りをぶつけられている彼女は泣いてはいない。
されるがままに言われなき叱責と暴力を受けている。
助けたいカシエルだが、彼女の様子から伯爵の怒りが収まるまで耐える覚悟を感じた。
年下の自分に庇われたとなると彼女の性格から考えると押さえていた感情が爆発し激高してしまう。
このままやり過ごすのが最良の選択。
倒れている彼女を蹴ろうとする動きが見えた時、気づけば彼女の体に覆いかぶさっていた。
この後の策なんて考えていなかった彼。ただレリエルを守りたかっただけ。ただそれだけ。
伯爵の怒りの矛先がカシエルに変わる。
「どういことだカシエル。なぜ庇う。」
「悪魔に選ばれなったのは私も同じ。私にも罰をお与え下さい伯爵様。」
今までの寵愛を信じて、涙目で仲間を庇う健気な少女演じるカシエル。
しかし仲間を庇うという美しい行為が、主人への反抗と受け取られた。
怒り狂った伯爵の拳が振り下ろされようとした時、本邸付きの使用人と思われる男が間に入った。
「伯爵様、悪魔と言えど客人。扉越しに、この騒ぎが聞こえているかもしれません、どうか堪えて下さい。悪魔から返事は私がここで待機し受け取ります。受取次第、伯爵様へお伝えいたしますので、どうぞお休みになられてお待ちいただけますか。」
淀みなく理路整然と話す使用人の言葉に伯爵の理性が戻り他の使用人に支えられて扉の前を後にした。
伯爵の姿が見えなくなってから、間に入った男が「ふぅ…。」と小さく息をついた。
男がカシエルに一言。
「格好良いけど、死ぬよ。」
男に見下ろされるカシエル。助けられたけど苛ついた。
暫くして状況を見守っていた少女達が近寄って来た。
助けてくれた男に面識があるようでうれしそう。
「あっ、カシエルだ。カシエル!」
「ふふ、久しぶりだね、みんな。」
男にカシエルの名前を呼ぶ少女達。男も少女達に優しい笑顔を向ける。
彼に覆いかぶされたままのレリエルから不機嫌な声が出た。
「あれは、あんたの前のカシエルよ。どいて。」
不機嫌だけど泣いていないレリエルを見て彼は安心した。
同族嫌悪だが、『前のカシエル』の人を食ったような態度に苛つくカシエル。
『前のカシエル』の愛妾時の名前はダイオプサイド・カシエル。
銀髪でレリエルより濃い緑の瞳の彼は、愛妾の雇用期間を満了し本邸勤めの使用人になっていた。
声変わりも始まり少年から青年へ変わろうしている。
床に寄り添って座っているカシエルとレリエルにしゃがみ込んで話しかけて来た。
「レリエル、よく耐えたね。エライ、エライ。後、2日だよね誕生日。それまで何があっても耐えるんだよ。そうしたら、また僕と一緒に居られるんだからね。楽しみだねレリエル。」
彼女への馴れ馴れしい態度に苛つくカシエル。自分と性格が似ていて同族嫌悪が止まらない。
『前のカシエル』の相手をすることもなく、レリエルが立ち上がった。
「みんな部屋に戻るわよ、私達がここにいてもしょうがないわ。ミカエルには悪いけど…。」
キィィ…
客室の重い扉が開いた。
部屋へ戻ろうとした少女達の目に飛び込んできたのは、ぶらんと垂れ下がる腕と血に染まった白いドレス。
脱力した体を背の高い悪魔が抱きかかえている。
皆、ピクリとも動かなくなっている少女の姿から目を離せない。
『前のカシエル』が恐れることなく近づき悪魔の前で片膝を付き頭を垂れる。
「魔人セーレ様、どうぞご指示をお願いいたします。」
「この子を頼むわ。死ないと思うけど、死なせないで、死なせたら殺すと伝えておいて。」
「分かりました、しかと申し伝えます。恐縮でございますが、主の願いに対する対価に彼はなり得たのでしょうか。」
「対価…、ああ、この子はあの豚の対価だったわね。まあ、気に入ったわ。とてもね。」
「それでは、主の願いは叶えて頂けると解してよろしいのでしょうか。」
「面倒だけど、そうなるわね。でも、この子を死なせたら殺すわよ。」
「承知いたしました。」
『前のカシエル』がミカエルを受け取ろうと立ち上がる。
悪魔の胸に向けられていて見えなかったが手渡されて、ミカエル左目が激しく損傷していることに気づく彼。
脳に近い目の深い傷。その傷からは止まることなく血が溢れている。
扉の向こうで、どのような痛ましいことが起こったのか考え、手が震える。
大切な物を渡すように手渡されたミカエルに悪魔は「またね。」と優しく呟き溶けて消えた。
茫然とする『前のカシエル』に少女達が集まって来た。
「生きてるの?ミカエル生きてるの?」
少女達の問いに『前のカシエル』の思考が戻った。
気を失っているのか、眠らされているのか分からないが抱きかかえた腕からは体温が伝わってくる。
今は生きてはいるが、このまま回復するのだろうか。
何があったのかは分からないが、悪魔の様子からこの子に対する執着が感じられる。
もし、この子が命を落としたなら伯爵は間違いなく殺されるだろう。
まあ、伯爵は死んでも僕は困らない。
困らないが、後輩ともいえる少女達の行く末が心配。
銀髪が優しく揺れて少女達を安心させる笑顔が作られた。
「ミカエル…っていうの?この子。生きてるよ、今はね。」
この後、眠りの魔法が解けたミカエルが強烈な痛みで半狂乱になる。
安静にさせようと使用した麻薬の量が多かったのか彼は意識不明に陥った。
このまま目を覚まさなくなる可能性を告げられ伯爵も半狂乱になる。
ミカエルの死は自身の死に直結している伯爵。
苛立ちが弱い立場のものへ向けられた。
少女達が居住する西の端の別邸、鬼のような形相で現れた。
その日はレリエルの誕生日だった。
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