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第27話 『カシエルの後悔』⑧ 躊躇
「こんな穢れた体はもう、要らないのよ。」
彼女の言葉に涙が止まらなくなり、俺は彼女の望みを叶えようかと躊躇った。
西の端の別邸に本邸付のメイドが何人か現れ、レリエルに支度をさせている。
今日で彼女は長く続けていた愛妾を卒業し本邸付のメイドになる。
暫くして、メイドにしては凛々しいレリエルが現れた。
黒いメイド服と白いエプロン、頭には白いカチューシャが載っている。
いつもとは違う姿に関心を持った少女達が彼女を囲む。
「かっこいい」「かわいい」と口々に言われ照れるレリエル。
その姿を遠目に見ていたカシエル。そばに行って軽口を叩きたいけど、今日でお別れなので泣いてしまいそうなので我慢していた。
悪魔が去ってからは伯爵のお呼びがかかることもなく、平穏に過ごしていた少女達。
仲間のミカエルは容体が悪いようで西の端の別邸にはまだ戻っていない。
心配しながらも、今は長い間お世話をしてくれたレリエルの門出を自分のことの様に喜んでいた。
バァアァァン!!
突然乱暴に開けられた少女達の待機所の扉。
振り向いた視線の先には手にナイフを持った怒り狂った伯爵の姿。
薄くなった頭に残っている毛を逆立てて怒声を上げる。
「貴様ら…!!この役立たず共めがっ…!!」
ミカエルの容態が良くならず、自身の命が危うくなっている伯爵。
強くもないのに酒をのみ正体を無くしていた。
「ミカエルが気に入った」と言い残し姿を消した悪魔。
自身の願いの成就は約束されたが「ミカエルが死ねば、お前を殺す」という責任が与えられた。
そのミカエルの容態が悪い、ミカエルじゃない別の者が選ばれていたら自分の命が危ぶまれることはなかったのに。選ばれなかった愛妾達に怒りが向いて現在に至っている。
その恐ろしく醜い形相に怯えた少女達が悲鳴を上げ部屋の隅に逃げ込んだ。
ナイフを持って少女達に近づこうとする伯爵に、彼を追ってきた従者が止めようとした所、切りつけられた。
飛び散る鮮血、恐ろしさのあまり止まらない少女達の悲鳴。
狂った獣の様になっている男にどう対処すれば静まるのか、カシエルの思考がまとまらない。
誰かが犠牲になれば止まるのか?
第二寵姫の俺が懇願すれば…、いや、この間それも効かなかった。
『前のカシエル』の言葉が頭の中で再生された。
「格好良いけど、死ぬよ。」
分かっているけど、レリエルの前で格好の悪い所は見せられない。
効かないと分かっていても飛び出して、涙目で健気な少女演じた。
「悪魔に選ばれなったのは私も同じ。私が罰をお受けいたします伯爵様。」
躊躇いもなくナイフが振り下ろされて「やっぱり効かなかったな」と目を閉じる彼。
顔に生暖かい鮮血を感じる彼。
目を開けると艶やかな黒髪が彼の顔に当たった。
カシエルを刃から守ったのはレリエル。先ほど新調されたメイド服は右肩口から左腰の辺りまで一直線に切り開かれて、その隙間から見える白い肌からは赤い血が噴き出している。
カシエルの絶叫が響く。
「レリエル、レリエル!!!」
「うるさいわよ。カシエル。」
座り込んで抱き合う形になった二人に伯爵が近づいて来た。
卑下する言葉を彼女に発した。
「なぜ庇う、レリエル。この間、奴に抱かれたのがそんなに良かったのか。」
逆上するレリエルを必死に抱き抑えるカシエル。
「もう、やめて、これ以上彼女を傷つけないで!」と暴れるレリエル押さえる二人の元にナイフが置かれた。
突然、伯爵のいつもの芝居がかった口上が始まった。
「生きているとはいえ、ミカエルは左目を無くしてしまった。役立たずなお前達の代わりにあの綺麗な碧い瞳を…。どんなに恐ろしかっただろうな…誰か見せてくれぬか瞳を捧げる様を…。」
ぬるぬるとしたレリエル傷口を押さえながらカシエルが憤る。
十分血を見たであろうに…!!何を言っているんだこの豚はっ!!!
自身から体を離そうとしているレリエルに気づき、強く抱きしめた。
彼女の口から聞きたくない言葉が出た。
「離して、私がやる。」
彼女の言葉に「ダメ」と「嫌」を繰り返すカシエル。
至極楽しそうな声が醜い男から発せられた。
「役立たずが、役に立とうとしているだ、離しなさいカシエル。」
死んでも離さない勢いで絡ませていた腕は大人従者達に簡単に解かれてしまった。
そのまま、邪魔にならないようにとうつ伏せで組み伏せられてしまう。
「やめて!!」「お願い!!」彼の必死の懇願も空しく彼女に握られたナイフは左目に埋没した。
赤く血に染まった肉片らしきものとナイフが床に乱暴に投げ捨てられた時点で彼は解放された。
あまりの惨状に涙が止まらないカシエル。怖くて震えも止まらない。
左目を押さえているレリエルの手から大量の血がこぷこぷと漏れ出している。
カシエルの動悸が止まらない、止められなかった後悔、非力な自分のへの悔しさの中、一筋の安堵が彼に去来する。
なんということ…、でも彼女は生きている。
彼女に近寄ろうと震えながら這った時、醜い男からの非情な言葉が降り注いだ。
「馬鹿が…、今頃、役に立ってどうする。」
気が済んだのか部屋を背を向けて去ろうとする伯爵。
「助かった」と胸を撫でおろすカシエルをよそに、レリエルの怒りが収まらない。逆上を誘う言葉に震えが止まらない、彼女の激情を感じ「まずい!」と思いナイフに手を伸ばすが一歩遅れた。
ナイフを持った隻眼になった彼女がゆらりと立ち上がった。
残った緑の瞳から伯爵への強い憎悪が発せられる。
主へ刃物を向けた時点で死という罪を背負うことになる、まだ、持っただけ向けられてはいない。背を向けている伯爵には見られていない。
カシエルが「やめて!!」「お願い!!」と小声で何度いい、手にしているナイフを取り上げようした時、彼女の残忍かつサディスティックな緑の瞳が向けられた。
別れの言葉が彼女から伝えられる。
「こんな穢れた体はもう、要らないのよ。本当はもっと前に決断しておけば良かった。」
彼女の言葉に涙が止まらなくなり、カシエルは彼女の望みを叶えようかと躊躇った。
「良くない、俺のわがままかもしれないけど良くない」思い直し掴もうとした手は簡単に振りほどかれしまった。
「死ね、アルブレヒト」そう叫んで振り下ろされたナイフは掠りもせずに従者に撥ね退けられて、彼女は主に刃物を向けた罪で死を賜ることになった。
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