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第29話 約束
「またね、レリエル必ず会いに行くから。」
いつになるか分からない約束も出来ただけでうれしい時もある。
燭台の蝋燭に炎が灯る。
背中が切り裂かれたメイド服。
黒髪の少女が細い肢体を震わせて俯せに倒れている。
燭台を持つのは、少女の救出を依頼された『優しい悪魔』ことセーレ。
物置小屋に入る前、屋敷内の事情に詳しそうな者に催眠をかけて情報を聞き出している。
拷問の末の遺棄だが見た所、四肢の欠損は見当たらない。
一直線に切り裂かれた服の隙間から見える傷も腫れてはいるが出血は止まっている。
セーレがにっこりと微笑んだ。
まあ、衰弱はしているけど拷問された割に状態は良いわね。
助けてと言われたけど、この後どうしようかしら。
屋敷内には戻せないし、たまに呼ばれる魔導士の所にでも連れて行こうかしら。
「誰…。」
足元から声が上がり、視線を移した彼は驚き目を見開く。
左目が激しく損傷している。
衰弱しながらも残った意志の強さが現れている緑の瞳で睨みつけて来る彼女。
助けに来たのに、そんなに警戒しないでよと優しい顔を作り、彼女のそばにしゃがみこんだ。
「ふふ、酷くやられたものね、頼まれてアンタを助けに来たのよ。」
頬に触れようとした手が強く叩き落とされた。
「触らないで!!要らないわよ、放っておいて!!私はここで死ぬ!!」
少女の剣幕にと唖然とするセーレ。作った優しい顔が引きつる。
こんな展開は予想していなかったわ、死にたいってこと?、説得して連れ出す?、無理矢理連れて行く?、ああ、どれも面倒だわ、と思考を巡らす彼の手から燭台が奪い取られた。
火のついた蝋燭が床にばら撒かれ、燭台の針が彼女の喉元にあてがわれた。
助けに来たのに何故か死のうする少女。
生きていてもここで死なれては碧い瞳の少年に合わす顔がない。
面倒だなと思いながら燭台に手を伸ばすと少女が震える足で立ち上がり逃れようした。
ぽたぽたと白濁した男の体液が地面に落ちた。
これが投獄されながら生き長らえた理由と死にたい理由。
セーレが頭を掻いて溜息をついた。
この少女をどうするかを考える。
眠らせて連れ出すの簡単、でもその後は…?
…別に幸せにしてくれとは頼まれてないわよね。
連れ出すだけ連れ出すか。
彼の琥珀色の瞳が金色に変わり獣の虹彩が現れた。
薄暗い抜け道の中、人外に変わった瞳に驚き少女の喉に埋まる針が深くなろうとした時、足音が近づいて来た。
燭台を片手に息を切らせて汗だくで走って来た白いドレス姿の少年、カシエル。レリエルを見たとたんに飛びついた。
「生きてる…生きてるね、レリエル…。」
泣きじゃくる突然の来訪者に動きが止まる二人。
レリエルが我に返ってカシエルを剥がそうとする。
「何しに来たのよアンタはっ!!」
「一緒に死のうかと思って…うっ…ええぇぇ…」
「離しなさいよ!!独りで死ぬんだからっ!!」
「俺も死ぬぅ…うええぇぇ…」
出血と疲労で立っていられなくなった彼女、不本意ながらカシエルを膝に乗せる格好になる。
彼の涙でスカートが温かく湿っていく。
「疲れた」と小さく呟いて膝に乗るカシエルの背中に体を倒した。
落ちた蝋燭を燭台に立て直しセーレが聞いた。
「落ち着いたみたいね、どうするのよ、アタシは外に連れ出したいけど。」
「この子連れてってよ、邪魔だわ。」
「せっかく来てくれたのに酷いこと言うわね。」
「だって、私生きていたくないもの。」
「頑固ね、アンタ。」
面倒くさいわ…どうしてくれようこの子…と顔を引きつらせるセーレ。
一方、彼女の膝に納まっているカシエルは平常心を取り戻していた。
カシエルの思考が始まる。
頑固なレリエル…、まあいい…想定内。
どこかで見たことがあるような青年。
彼女を外に連れ出したいと言っている。
レリエルとここで一緒に死んでもいいけど、助かるなら助かった方がいい。
ちょっと俺が傷つくけど試してみるか。
カシエルがセーレに話かけた。
「すみません、どなたか知りませんが、帰って下さい。」
「あら、いいの?本当に帰っちゃうわよ。」
「彼女の最後は俺が見るんで大丈夫です。」
レリエルに背中を叩かれるが、いつもより力が弱い。
彼女に顔を向けていつものいたずら好きの笑顔をみせた。
「もう、動けないんでしょ。俺は追い払われてもここにいるし。でも追い払えないんじゃない?」
弱りながらもキレる彼女に琥珀色の瞳を輝かせながらうれしそうに言った。
「死んだら死んだで大人しくなったレリエルをゆっくり眺めることもできるしね。」
ひとしきり彼を叩いた彼女が力なく呟いた。
「どこでもいいから私を連れてって…。」
「俺も一緒に行っていい?」
「アンタはダメ…、他の子に迷惑掛かるから。」
「……そう。」
残念そうに呟いたカシエルがセーレに目配せをした。
彼的には結構傷ついたが、彼女の同意は得られた。
歩けないレリエルをセーレが腕に抱き元来た道を戻る。
途中で安心したのか疲れたのか彼女が寝てしまった。
燭台を持ち前を歩いていたカシエルが振り向き話しかける。
「彼女を何処に連れて行くの?」
「そうね…知り合いの魔導士の所かしら。」
「いい人?やさしい?」
「…どうかしら、アタシにはかしこまった姿しか見せてないから。」
「ふーん。お兄さんエライ人?」
「…まあ、そうかしら。心配しないで、この子を死なせたら殺すって脅しておくから。」
長身黒服の青年から、ミカエルを抱いて出て来た時に悪魔が言ったのと同じ言葉が出る。
彼はあの時の悪魔、何故彼女を助けるのだろうと疑問に思うカシエルだが、レリエルが助かるなら悪魔でも誰でも良いと思った。
抜け道の出口の物置小屋を出ると、冷たい風と澄んだ星空が三人を出迎えた。
悪魔に「ちょっと見せて」と言って、腕に抱かれて眠るレリエルを見せてもらうカシエル。
左目の痛ましい傷に心を痛めるも眠りに落ちた彼女は可愛いと思った。
眠る彼女の頬を撫でて優しく呟いた。
「またね、レリエル必ず会いに行くから。」
悪魔にお辞儀をして夜道を駆け出していくカシエル。
セーレが溜息を付き呟いた。
「こんな頑固で素直じゃない子にもったいないね、彼。」
自分が気に入っている子も同じ気質だとは全く思ってもいない悪魔だった。
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