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第45話 黒猫⑥ 供物
「おおお、ミカエルよ加減は良いのか?」
翌日の昼過ぎ、伯爵が殿医を伴って俺の居る寝室に現れた。
気持ち悪いほどの上機嫌で、すごく怖い。
ベタベタと体を触り、俺の顔を見つめてきた。
左目の包帯を外され残念そうな溜息をつき、殿医に聞いた。
「この左目の下の傷はどうにかならないのか?」
「時間が経てば、少しは赤味が薄くはなるとは思いますが傷跡は残ります。」
鏡で見たけどナイフで刺し縫い合わされた傷跡は目立つものだった。悪魔が治療をしている左目も今は白く濁っている。
美しさしか取り柄がないというのに、どうしたら良いのか。伯爵がここへ来た意味はなんだろう。
悪魔の捧げ物としての役目は果たしたし、俺はもう要らないのかもしれない。解雇されて売られるのか、それとも愛妾ではなく使用人として置いてくれるのだろうか。
まあ、俺の決めることではない。
「立てるのか」と言われて立って見せて、「こちらへ」と言われてそばに行った。
伯爵のいつくもの指輪のついた太い指が俺の頬や髪を撫でて優し気に話しかけてきた。
「少し傷はついてしまったがミカエルは私の碧い宝石で天使なことには変わりはない。」
通常なら喜んで抱き着く所なのかもしれないけど裏がありそうで気持ち悪い。
急に伯爵のぽっこり突き出た大きなお腹に抱き寄せられて、何故か感極まっている。
ふるふる震えポロポロと涙を流し俺に目線を合わせるようにし屈んで言う。
「私はミカエルをすごく大切にしている。お前が一番の宝物だよ。忘れないでおくれよ。」
…怖い、どうしたの伯爵?何かあった?
ケガしてから、すごくほっといていたのに…。
まあ、ほっとかれていても別に良かったんだけど。
また、夜伽に上がれってことかな?
何の茶番を演じてるのか分からないけど、そのまま抱き着かれて号泣された。
ひとしきり、号泣が終わったら同行している複数の使用人に指示をだした。
「私の宝物ブルーサファイア・ミカエルの美しさを最上にしておくれ、頼んだよ。」
そう言って肥えた体躯を揺らしノシノシと去っていった。
指示を受けた使用人に取り囲まれる俺、何されるのか分からなくてすごく怖い。
メイド姿の女性が俺の顔をすごく見てきた。
「さすが『伯爵の宝石』だわ、このままでもすっごい可愛い!!んーでも左目が残念ね、眼帯か仮面で隠した方がいいかしら?でもまずはお風呂よね、キレイにしましょ。」
女性達にキャアキャア取り囲まれ西の端の別館を後にした。
その後のことは余り言いたくない…。
俺の『美しさを最上』にする為に延々と洗われたり着替えさせられたり5時間以上かかってようやく仕上がったようだ。
窓の外を見ると西の端の別館を出たのが昼過ぎなのに外は夜の色に変わっている。
散々着替えさせられたあげく、ドーマー男爵にも無理矢理着せられたことがある異国の姫君が着る肌の露出が多い衣装になった。
布は胸部と腰から太ももの上部までしかない。後は薄く透けてるレースを羽織っているだけ。
後は真珠やら黄金の装飾品、傷が残る左目には女性達が急ごしらえで作ってくれた白い羽とレースをあしらった眼帯。
女性達が目をキラキラさせながら「きれい」「かわいい」と連呼してくれたけど、何度も言うが俺は男なのでうれしくない。
室内だけど春先なので、当然寒い。こんな衣装を着させて何をさせるつもりだろう。
椅子に座らせられて軽く化粧を施されている時に部屋の扉が開き伯爵が入ってきた。
俺の姿を見て歓喜の表情を浮かべ駆け寄ってきて「美しいぞ、美しいぞ」と言って俺の手を取り自身の頬に擦り付ける。
手の込んだ夜伽でも、させるつもりなのだろうか?と顔が曇った。
「歩けるか」と言われ立ち上がったら何故か外してはもらえなかった右足首の足枷にバランスを崩しグラつくと、屈強な護衛と見られる使用人に抱きかかえられることになった。
伯爵と数人の護衛と共に本邸の一番豪華な客室に連れていかれた。ここは悪魔と初めて会った場所。
屈強な護衛の腕から大事に床に降ろされて、伯爵と共に深紅の絨毯へ膝まづき頭を垂れるよう指示された。
室内にいるのは伯爵と俺と黒ローブを被った魔導士。悪魔召喚の儀式が始まり魔導士の低く情念の籠った声音が延々と呟かれ、床に描かれた円形の魔法陣が強烈な光を放ちだした。
目も眩むような強烈な光の中に出現したのは、水に濡れた後ろ姿の全裸の男、でも見覚えのある姿。
大きな山羊角、緩く波打つ黒髪、均整の取れた大きな体躯に長い手足、引き締まった臀部筋の上にある尾てい骨の辺りから生えている太く長い鞭のような尻尾が足元まで垂れ下がっている。
セーレ…、セーレ?お風呂でも入ってた?
あまり顔を上げてはいけないのだけど、驚きのあまり見てしまう。
後ろ姿のまま、プルプル震えるセーレがブチ切れして金切り声を上げた。
「アンタっ!!間が悪いのよっ!!なんで呼ばれたくない時に限って召喚するのよっ!!ブチ殺すわよっ!!」
セーレが水に濡れた全裸のまま伯爵に掴みかかり、殺意に燃えた金色の瞳で睨みつける。
プルプル震えた伯爵が俺が俺を指さしながら言う。
「すっすみませんっ!!セーレ様っ!!少し早いとは思ったのですが、御所望のブルーサファイア・ミカエルが美しく仕上がったもので早くお見せしたいと思った次第で…、どうかご勘弁をっ!!」
「あ゛あ゛っ?!」
この時点で、面白過ぎて笑いを堪えるのが必死でブルブルカタカタ震える俺。
ここは絶対笑っちゃいけない所なのに…。
面白過ぎて息が苦しい俺の目に濡れた黒い獣の爪を持った足が見えた。
「顔を見せて」と言われて、当然頭上げざるを得なくて、頭を上げると恥ずかしげもなく前を隠すこともしないセーレをがいて、いつもの上機嫌な調子で「すっごい、可愛いっ」って褒めるけど見ちゃいけないような場所も丸見えで…。
笑いを堪えてブルブルカタカタ震える俺に「怖がらないで」とか勘違いして言ってくるし、苦しくて死にそうになった。
今日のドタバタは、昨日セーレを召喚したのは伯爵で、その対価として俺が捧げられたということだった。
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