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第61話 〔長い夜の秘め事〕⑤ ザリタスの仕事

「リリィは、可愛いね。ずっと可愛いのかな?」 『調整士』ザリタスが僕の赤毛を撫でる時に、よく言ってた言葉。 その言葉の意味を知るのは、ずっと後の事。 2年間『調整士』ザリタスの助手をすることになったけど、特に助手らしい事はしていない。 彼と娼館の一室で寝食を共にして、体が育つのを待つ日々だった。 最初は警戒と緊張で話も出来なかったけど、ザリタスは軽薄な口調だけど優しく穏やかで、僕の頭をよく撫でてくれたので警戒心が薄れていった。 娼館にはたくさんのキャストはいるけど、皆忙しく誰も遊び相手になってくれない。 小柄で年若い姿のザリタスは、僕の目から見ると少し年の離れたお兄さんのよう、飛びついたりしても怒らないし、脈絡もオチもない話をしてもニコニコと聞いてくれる。 最後は縁の無い丸眼鏡の奥にある目を細めて「可愛いね」と頭を撫でてくれた。 「大好き」と「恋」の違いは分からなかったけど、彼といると心が満たされて幸せな気分になった。 そんな優しいザリタスだったけど、経営者のオッサンのアルドロスが来ると様子が一変し、語気も荒くなるし、感情の起伏も激しくなる。 月に何度か経営者のオッサンが不機嫌な顔をしながら調整が必要なキャストを連れて、僕達がいる調整室にやってくる。 調整が必要なキャストのほとんどは娼婦・男娼の身分に納得していない人達で、自身が陥ってしまった境遇を嘆き悲しみ精神が不安定になっていた。 境遇を嘆き悲しみ仕事が出来なくなったキャスト、キャストを働かせて金儲けがしたい経営者のオッサン、双方の気持ちに板挟みになる『調整士』ザリタス、その様子を隅から見守る僕。 ここは美しさを認められないと働くことが出来ない王都最大の高級娼館アンデルセン、華やかな伝説を作ったキャストもいるとはいえ、体を売る仕事に変わりはない。 娼婦も男娼も全てが納得して働いているワケでもない、不本意に働いている者もいる。 この国は人身売買は当たり前の様に横行している、娼館に売られてしまったら境遇に身を捧げるしかない、望もうが望まないが生きる為には仕方がない。 分かってはいるが心が悲鳴を上げて堪えられなくなる人もいる。 常に死を望む人、死を望み本懐を遂げる人もいる。 客に美しい夢を売る高級娼館の裏側は全く美しくない。 この日、経営者のオッサンに連れて来られたのは先週から働き始めたストロベリーブロンドの小柄な女性、床に転がりながら大声で喚き散らすから怖くなってザリタスの後ろにしがみ付いた。 何度か調整の様子を見たけど、大体は話しをよく聞いて心に寄り添ってあげて解決している事が多かったが、今日の女性の状態は正気を失っているとしか見えなく話せる状態ではない。 錯乱し半狂乱になっている女性を横目で見ながら、ザリタスが僕にコインを渡し小声で言う。 「リリィ、アルドロスと話があるから少し外で遊んできな。」 言われるがままにドアの外に出て、何を買おうかと考えているとザリタスの大きな怒鳴り声が聞こえて足が止まった。 優しいザリタスの激高する声に驚き、少しだけドアを開けて部屋の中を覗き見た。 小柄なザリタスが頭一つ大きい経営者のオッサンの襟元を掴み激しく詰め寄っている。 「アルドロスっ!こんな仕事は止めろ、十分満たされただろう。もう誰も君の事を馬鹿にしたりしないし、蔑んだりしない。他者の心を壊してまで金儲けがしたいのか?昔の君は、純真で可愛かっただろう?人の気持ちも分かって…。」 「君の説教は聞きたくないね、昔のことはとうに忘れた。今は今で求める物が違うだけだ。いつまでも変わらないザリタスが悪い。」 「ああ、変わらない、ボクは変わりようがない。変わらなくて何が悪い。」 睨みあう二人、暫く睨みあって経営者のオッサンがザリタスの胸を押し突き放した。 「レッド・リリィを調整に連れて来た時、店を辞めたいと言ってたね。辞めていいよ、終わりにしよう、言い争うのは飽きた。もうザリタスが居なくても困らない。」 「困らない、そうか!!じゃあ、この人はどうするんだ!狂ったままで客を取らせるのか!!」 ザリタスが指さす先の女性を口髭を撫でながら経営者のオッサンが見つめる。 「この子は、せっかく美しいのに残念だね。心が弱い、覚悟が足りない、前を向こうとしない、ここは伝説が作れるかもしれないチャンスもあると言うのに。君が調整しないのなら、麻薬でも使って心を失くさせるよ。従順な体があれば良いことだから。」 「麻薬は心を失くじゃない、心を殺すだ!!」 「この子の体は私が買ったものだ、どうしようが私の自由。」 冷酷な言葉にザリタスが再度激高し詰め寄った。 「アルドロスっ!いい加減にしろ!!」 「彼女を憐れに思うならザリタスが調整をすれば良いことじゃないか。」 「クソがっ!!」と吐き捨てて、ザリタスが床に座るストロベリーブロンドの女性のそばにしゃがみ込むと「私に触らないで!!」と大声を上げ、彼女の涙や鼻水で崩れている顔にザリタスが触れると「ヒぃっ!!」と悲鳴を出し、身を固くした。 暫くして異変が起きた。 自分を守るように身を固くしていた女性が徐々に顔を上げて、頬を撫でるザリタスをうっとりした眼で見つめ出した。 彼女の体も唇も吸い込まれるようにザリタスに近づいて行く。 唇と唇が重なる頃にはストロベリーブロンドの女性の様子は、ザリタスが恋人ではないのかと思うほどの情熱的で蕩けた顔になっていた。 小柄で年若い姿のザリタスが彼より少し大人の女性に求められるままに口づけを交わして情交を始めようしている。 その様子を満足気に眺める経営者アルドロスが、手を叩きながら嬉しそうに言った。 「さすが、女には効果覿面だなインキュバスの力は、麻薬なんかよりよっぽど良い。」 ザリタスが女性を抱きながら「クソがっ!!出て行け!!」と言うと「あまり淫乱に仕上げるなよ。」と言い残し経営者アルドロスがドアの外に出てきた。 ドアの前に居た僕と目が合い気まずい。 経営者アルドロスが顔を近づけて僕に聞く。 「もしかして聞いてたり、見てたりした?」 嘘をつくワケにもいかないからコクンと頷くと、頭をワシワシ撫でられて「正直で良い子。でも内緒だよ。」と言い残して去って行った。 ドアを通して聞こえてくる男女の情交の音、ザリタスがストロベリーブロンドの女性としている。 顔が赤くなる、あのザリタスが? これがザリタスの仕事? この時の僕はインキュバスの意味がよく分からなかったから、いつもと違うザリタスの行為に驚きと衝撃を受けるだけだった。

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