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第63話 〔長い夜の秘め事〕⑦ 曖昧な世界の中で

「ザリタス仕事だ、喜べ依頼者は私だ。」 珍しく上機嫌で現れたアルドロスにザリタスは嬉しそうで悲しそうな顔を見せた。 土砂降りの大雨の日に昏倒した僕は、暫くの間ベッドの上で過ごす事になった。 一人にはしておけないようで、日中は調整室の隅にある仮眠用のベッドに横たわる僕。 僕が寂しくならないように気遣ってか、ベッド傍に椅子を持って来て座り、時折頭を撫でてくれた。 体がダルくて起き上がれない、目を開けていてもすぐに意識が途切れて世界が曖昧になる。 夢なのか現実なのかが曖昧な僕の目に映るのは泣きそうな顔のザリタスで、「リリィ、ごめんね」と言って僕の頭を撫でてくれる。 大雨の日に見た彼の赤色の瞳は夢だったのか、経営者アルドロスに愛して欲しいと懇願したのは本当にザリタスだったのか、狂おしいまでに彼を欲しいと願ったのは本当に僕だったのか。 世界も思考も曖昧に混濁する。 今の彼はブラウンの優しい瞳、彼の事は大好きだけど、あの時の焼きつけるような高揚感は今は無い。 不思議で不可解なザリタス、でも優しくて大好きな人。 手を動かすことも出来ないけど「大好き」と言うことは出来るのではないかと思い声を発しようとした時、経営者アルドロスが勢いよく調整室に入ってきた。 本性を出しているのかザリタスだけには優しくない、でも、この日は笑顔でザリタスに話しかけた。 「ザリタス仕事だ!喜べ依頼者はこの私だ。」 40代に入ってると思われる経営者アルドロスの緑の瞳はキラキラと輝いていて、すごく嬉しそうだった。 困惑気味のザリタスの背中をバシバシと叩いて気分が上がっている様子。 「どうしたの?」と聞くザリタスに高揚した面持ちで話し出した。 「この繁華街に王都貴族の視察が入ることになった。そして、王都貴族様方の視察拠点として選ばれたのが私の店なんだよ!」 「へぇ、この店は広くて大きいけど王都貴族様が売春宿を選ぶとは…。」 「売春宿じゃない、大人の社交場だよ、ここは。」 「そう思っているのはアルドロスだけじゃないか?」 「減らず口を叩いて私を怒らせるな、今日は口喧嘩をしに来たワケじゃない。久しぶりに私の願いを聞いて欲しい。」 「アルドロスのお願い…久しぶりだね。」 そう言ってアルドロスに向き合ったザリタスは嬉しそうで悲しそうな顔を見せた。 「お願いって何かな?」 「私を美しくして欲しい、誰もが欲しがるくらいに。」 「美しくって、君は周りに舐められたくないと言って、今の姿なったはずだろう。」 40代と見られる経営者アルドロス、背が高く恰幅が良い、短く整えられた黒髪と同じく整えられた口髭、包容力がありそうな面差し、野心が見え隠れする緑の瞳は覇気がある。 高そうな生地で作られた服を身に纏い、上流階級の大人の男の姿をしている。 そんなアルドロスが美しくとは…? アルドロスが自身の胸を叩きながら言う。 「経営者としては正しい姿だとは思うが、美しくはない。美しくなりたい。」 「美しくなってどうする。」 「王都貴族様方に気に入って貰いたい。」 「気に入って貰ったその先には何があるの?」 「生まれながらにして銀のスプーンを咥えて来た奴らが、この私を欲しくて群がるなんて考えるだけでゾクゾクすると思わないか?」 うっとりと身悶えしながら語るアルドロスにザリタスは冷めた調子、溜息まじりに答えた。 「アルドロスは…、相変わらず欲張りだね。」 「欲こそが生きる活力だよ、私が一番だと皆に認めて貰いたい。」 「まあ、いいよ。君の願いは何でも叶えたい。男?女?どんな風になりたいの?」 ザリタスの了承を聞いたアルドロスが子供の様にはしゃぎ、紙にペンを走らせる。 紙面に描かれたのは緩く波打つ黒髪の豊満な美女、妖しく麗しい姿を記していた。 渡された絵を暫く見つめてからザリタスが顔を上げた。 「この姿にしても良いけど、ずっとこのままか?店はどうする、辞めるのか。」 「視察の日だけでいい、貴族共を誑かして膝まづかせるだけつかしたら今の姿に戻る。」 「そう、分かった。視察の日は、いつ?」 「三日後だ、三日後の朝に変えてくれ。」 アルドロスがそう言うと「完璧な準備をしてお出迎えをしたい!これから忙しくなるぞ!」と勢いよく部屋を飛び出して行った。 紙に描かれた美女にアルドロスが変身するって言うコト? それをザリタスが叶えることが出来ると言うコト? 曖昧に霞む世界、夢か現実か分からない。 急に静かになった部屋にとり残された僕とザリタス、薄く目を開けている僕に気が付き、また頭を撫でてくれた。 ベッドに横たわる僕、ザリタスが椅子に座ったままで上半身をベッドに預ける。 彼が独り言のように僕に呟き始めた。 「初めて出会った頃のアルドロスは足りないモノだらけの少年だった。でも真っ直ぐで努力家、なりたい自分になる為に全身全霊をかける姿が清々しくとても美しかった。」 アルドロスが少年?ザリタスよりかなり年上に見えるのに。 昔を思い出してから嬉しそうな顔で続ける。 「それは今でも変わりないね、彼は常に目標を見つけ努力し達成しようとしている。ボクから見たら、もう十分ではないかと思えるのに彼の欲望は枯れることは無い。」 ザリタスのブラウンの瞳が憂いを含み僕に問いかける。 「全ての欲を満たした先には何があるのだろうね。」 僕に答えを求めている?答えられずにいる僕を責めるワケでもなく、また彼は言葉を紡いでいく。 「何も持たない少年、そばかすだらけの顔をして野心と向上心だけは一人前だったアルドロス。ボクが手助けして願いがなう都度に可愛らしい笑顔を見せてくれた。」 幸せそうな声音が悲し気な声音に変わった。 「その笑顔が好きで、心惹かれるままに彼に着いてきたけど、彼の欲に終わりが見えない、可愛らしい笑顔も見せてくれない。アルドロス変わってしまった?ボクの心は変わらないのに。」 縁の無い丸眼鏡の奥にある目を細めて、いつもと同じ問いかけを僕にする。 「リリィは、可愛いね。ずっと可愛いのかな?」 ずっと可愛いい? ザリタスが望むなら可愛いままでいたい。 その方法は分からないけど…。 曖昧に混濁する意識の中、僕は彼と二人きりだけの世界でも構わないと思った。

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