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第64話 〔長い夜の秘め事〕⑧ 枯れない薔薇
「次に『枯れない薔薇』になるのは、おチビちゃんかしら?」
金髪と黒髪の女神達から問いかけられた。
『枯れない薔薇』とは何なのだろう?
なんとか起き上がれるようになったけど、王都貴族の視察準備の為か皆が忙しい。
ザリタスもお出迎えの準備に駆り出されている。
チビで病み上がりの僕は戦力外で、皆の邪魔にならないようにするのが仕事だった。
一応は手伝いたいと思い、長く伸びた赤毛を後ろに一本に結い、シャツとズボンを着て玄関のフロアへ向かう僕。
張り切る経営者アルドロスの指示をキャストと従業員がよく聞き、彼の理想とする美しさにお店が仕上がって行く。
ここは売春宿とザリタスが言っていたけど、そんな風には一片も見えない華麗な空間は下卑た心を持って入った客が恥を感じるほどに清浄に整えられている。
特に目を引くのが上階から伸びる幅広い階段とその上の舞台が玉座の様に豪勢に飾られている。
あの場所で王都最大の高級娼館のマスターとしてアルドロスは最高に美しい自分を王都貴族に見せつけるのかもしれない。
夢のような瞬間があの場所で演じられると思うと見上げる僕も胸が熱くなる。
チビで役には立てないけど、仲間の一員として何かをしたい僕。
たくさん運び込まれてくる芳香放つ生花、大きな花瓶へ花を活けているザリタスのそばに行き、飾られる花を手渡した。
ジャスミンの嫋やかな白い花弁から甘い香りが漂う。
大振りな白衣を着たザリタスが縁の無い丸眼鏡の奥にある目を細めて、花を手渡す僕に穏やかな口調で話す。
「良い香りだね、リリィ、幸せな気持ちになる。」
艶めく緑色の茎を受け取り、大きな花瓶へ丁寧に活けていく姿は幸せそう。
ザリタスが幸せなら僕も嬉しい、手渡す花を受け取ってくれる手も、香りを楽しんでいる姿も全部が全部、嬉しい。
久しぶりに訪れた幸せな時間を楽しんでいる僕の耳にアルドロスの声が聞こえてきた。
振り返ると今日はまだ美女に変身していない男の姿のアルドロス、彼の後ろには3名ほどの女性が控えている。
動きやすい白シャツから厚い胸板を覗かせ上機嫌な様子でザリタスに近づき、頭一つ背の低い彼の耳元に口を寄せヒソヒソと話す。
「ザリタス、明日の準備の為に女達から精力を補給しろ。殺さない程度にな。」
「…要らない、別に腹は空いてはいない。それより今回の報酬はアルドロスが払うのではないのか?」
「私は私で払うが、視察が終わった後だ。常人より精力に満ち溢れている私でも、お前に精力を吸われると流石に2.3日は調子が悪くなる。完璧に完全に、万全な体制で臨みたいんだよ。全身を変身させるには多大な精力が必要なのだろう?視察当日にお前に倒れられても困るからね、お前に見境が無くなった獣になられても困る。」
「見境が無くなった獣…。」
ザリタスの手からジャスミンが滑り落ち、白衣に包まれた肩が震えている。
「まあ、そんなに怒るなザリタス。お前には感謝はしている、ただ、今回は負けられないし負けたくない。悪い事が起こる可能性があるのなら事前に対策を取るだけの事、分かってくれるな。」
そう告げると力なく虚ろな目をしたザリタスの肩を抱き、女性達の所へ連れて行った。
彼の後を追おうしたら、後ろから襟首を掴まれ、振り向くとアルドロスが「邪魔しちゃダメだよ。」と片眼を閉じて言う。
アルドロスは自分の欲の為にザリタスを良い様に使っている、ザリタスはアルドロスが好きだから逆らえない、逆らえない事が分かっていて彼が望まない事を強いる。
アルドロスはザリタスを大切にしてあげれば良いのに、ザリタスは冷酷なアルドロスに執着するのを止めて自分を大切にしてくれる人を探せば良いのに…。
経営者にキャストが意見を言うなんて良くないけど怒りが口から溢れる。
「ザリタスは、嫌がってるし!嬉しくなさそう!」
「でも、これが彼の仕事だからね。」
「仕事でも可哀そう!」
「リリィはザリタスが好きなんだね、彼は優しいからね、好きになるよね。」
「…アルドロス…、マスターは、ザリタスを好きでは無いの?」
「好き?好きだよ、出会った頃とは違う好きだけどね。」
「好きなら、もっと…!」
「恋も愛も長くは続かない、続かないが情は残る。今の私は情で十分、いつまでも恋とか愛に拘る彼は可愛いと思うけどね。」
アルドロスの言葉の意味が分からない、長い時間は好きを変化させると言うコト?
困惑する僕の赤毛に指を埋めてクシャクシャと撫でた後、アルドロスが大きな背を向けてヒラヒラ手を振って去って行った。
納得がいかず怒れるままに落ちたジャスミンを拾い上げ、つま先立ちで大きな花瓶に花を活けていると白い手が目に入った。
「おチビちゃん。」「手伝うよ。」と優美な声音を発しているのは『アンデルセンの枯れない薔薇』と呼ばれている二人のキャスト。
一人は綺羅めく長い金髪が眩しく、もう一人は艶やかな黒髪が光を反射している、女神の様に美しい二人。
長らく働いているが美しさが衰えない彼女達は『アンデルセンの枯れない薔薇』と呼ばれ客からもキャスト達にも愛されている。
背が足りない僕の替わりに二人が手際よく花を花瓶に活けて行く。
花を手渡す僕を「良い子ね。」と微笑みながらジッと見つめ、美しき二人の会話が僕の頭の上で飛び交う。
「ふふ、次に『枯れない薔薇』になるのは、おチビちゃんかしら?」
「どうかかな?ザリタスは私達を『枯れない薔薇』にしたのを後悔しているよう、もう誰も『枯れない薔薇』にはしないのではないかな?」
「私は『枯れない薔薇』になった事に後悔はしてないわよ。」
「同じく全く後悔はしていない。後悔があるとすれば…。」
金髪と黒髪の女神が顔を見合わせて同時に言った。
「ザリタスが自分のモノにならなかったコト!!」
二人が女神のごとし顔を歪めブツブツと文句を言い出す。
「ザリタスは頭が悪い、幸せは目の前に手を広げて待っているのに、いつまでも性悪に執着してっ!私、何度アルドロスを殺そうとしたか分からないわよ。今でも殺したいわ。」
「同感だね、まあ、アルドロスを殺すともれなく彼に嫌われるから出来ないだけ。アルドロスが勝手に死んでくれるのを待つしかない、早く死なないかな?彼。」
「アルドロスは『枯れない薔薇』にはならないんでしょう?時間は掛かるけど待つしかないわね。」
「死せるアルドロスを抱きしめ泣き濡れるザリタスを慰めるのは私、そこから彼と私の恋が始まる…。」
「私の方が彼の恋人にふさわしいわよ!勝手に決めないでよっ!」
「勝手に決めているのは貴女でしょう!!」
仲良さげだった女神達が険悪にモメ始め五月蠅くて耳を塞ぎたくなった。
『枯れない薔薇』とは?
ザリタスの仕事の一つかな?
僕が『枯れない薔薇』になったら何かが変わるのだろうか?
最終的に取っ組み合いまでし始めた女神達、ザリタスがモテている事実が意外だったけど、他にも彼を大好きな人ががいて嬉しかった。
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