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第69話〔長い夜の秘め事〕⑬ フォーマルハウト
「こういう何もない、何もしなくて良いと言うのも、たまには良いね。」
夕日が波に反射して綺羅綺羅と煌めく海辺、水平線の少し上に輝くのは南の一つ星と言われるフォーマルハウト。
貝殻が多く流れ着く砂浜に立ち、少し寂し気に呟くのは、そばかすだらけの少年の姿に変貌したアルドロスだった。
娼館アンデルセンは巨大な悪鬼が現れた日に無くなった。
正確に言うと悪魔崇拝の容疑で逮捕されそうになっていたキャストと従業員が全員逃げ出し、店のマスターは巨大な悪鬼と共に空へ消えて建物だけ残された形になった。
一夜にして王都最大の娼館は、もぬけの殻で煌びやかな伝説と多くの謎を残して消滅した。
「リリィ、行くところが無ければ君もボク達と来るかい?」とザリタスが言ってくれたので僕も皆について行くことになった。
王都から遥か南西にある小さな漁村に辿り着き、僕はザリタスとアルドロス、枯れない薔薇のロザリーとエルダと共に小さな家で暮らすことになった。
傾国の美女に変身していたアルドロスは、着いてすぐに「この姿の方がボクは好きだな。」と言うザリタスの意向で、彼らが最初に出会った頃の容姿、そばかすだらけの少年の姿に変身させられた。
アルドロスはものすごく不満そう、鏡を見ながら文句が止まらない。
「クソが…、こんな金にならない姿に変身させやがって…、最悪だ、一番嫌いだった頃の姿に変身させるなんて…!!」
「そうかな?ボクは可愛いと思うよ、皆もそう思うよね?」
怒りで震えるアルドロスを横目にザリタスが嬉しそうに同意を求めて来たのでコクコクと頷いた。
今のアルドロスはザリタスより少し背が高い健康で快活な少年の姿、鼻や頬に広がる薄茶色のそばかすは可愛らしく見えるのに気に入らないようでゴシゴシと擦っている。
緩く波打つ黒髪と意志の強そうな緑色の瞳は以前のオッサンだった時の面影を残している。
「ああっ!!気に入らないっ!!」とギャンギャンと吠えるアルドロスにザリタスは「この姿の方がボクは好きだな。」と言うだけで別に姿に変身させることは無かった。
小さな漁村に暮らし始めた美女二人と少年が三人、当然の様に村の人達から何者かと好奇の目で見られたけど暫くすると落ち着き、ごく普通に朝晩を過ごす。
穏やかで大人しいザリタスに嬉しそうにかしずくロザリーとエルダ、アルドロスは暇を持て余し僕を子分の様に従えて毎日海辺の散策に連れて行く。
盛夏の濃く青い空、海も空の色を映して青い、水平線の先にぼんやりと見える建物らしきものは蜃気楼だと教えてくれた。
少年の姿をしていても元々は怖いオッサンだったと知っている僕は一緒に居てもあまり話すことが出来ない。
「リリィ、退屈だから何か話せよ。」と小突かれてもモジモジするだけしか出来なかった。
足元に転がる大きな貝殻を海へボチャンと投げ込み顔を顰めた。
「退屈、退屈、無意味、無駄、こんな何もない所は居ても時間の無駄、人生の無駄使いだ。人間ってさ目標を持って努力するのが正しいと思うんだよ私は、ただ生きるだけなんて人間として正しくない。」
全てを失ってもアルドロスは目標を持ち、自身が思う正しさに身を捧げようとしている。
僕はといえば、このまま穏やかに過ごすのも悪くは無いと思っている。
何も無くとも好きな人達と楽しく暮らせることが幸福なのではないのだろうか?
僕にとっては幸福で穏やかな日々なのに、アルドロスからは焦燥と苛立ちしか感じられない、何故に安寧を享受しないのだろうか、僕は人間として間違っている?
苛立つままに幾つもの貝殻を海に投げ込みアルドロスが叫んだ!
「つまらない!、つまらない!、明日にでも、ここを出て行く!」
家に戻ったアルドロスは大きめの皮鞄の中に衣服をブチ込み出て行く準備を始めた。
アルドロスは本気で出て行こうとしている!
僕は慌ててザリタスを呼びに行った。
嬉しそうに荷造りするアルドロスにザリタスが静かに言う。
「アルドロスは、ここを出て行くことは出来ないよ。」
「何故?私は、こんなつまらない所には居たくはないっ!!」
「…もう少し、もう少しでアルドロスは死んでしまうから。」
「私が死ぬ?こんなに元気なのに?」
「君とボクが出会ってから何年過ぎたか覚えているかい?」
「…分からない、数えてはいない。」
「変身をさせてしまうと、自分がいくつになったのかが分からなくなる、年老いて死期が迫っていることも。」
「私が年老いていると言うのか?こんなに気力溢れているというのにっ!」
「気力ではなく肉体的な事だ、変身は仮初の姿、人間の肉体は時間と共に終わりを告げる。」
「私は、まだやりたい事がある、死にたくはないっ!」
「死にたくなければ『枯れない薔薇』になって、ボクのそばで生きれば良いよ。」
「…、『枯れない薔薇』には私はならないっ!」
そう言うと「出て行け!」とアルドロスは叫んで部屋から皆を追い出して閉じこもった。
数日後、皆が心配する中、部屋から出てきたアルドロスが僕を海辺への散策に誘った。
浜辺を裸足で歩く僕達、貝殻がたくさん流れ着く浜辺なので少し足裏が痛い。
夕暮れ時なので青い空は赤紫色に変貌している、海風が僕の前髪を揺らしアルドロスの黒髪もたなびいている。
水平線の少し上に見える輝く白い星を指さし、空高くは昇ることは出来ない星だけど明るく輝いていて好きだと言う。
南の一つ星と言われるフォーマルハウトを見つめアルドロス呟く。
「こういう何もない、何もしなくて良いと言うのも、たまには良いね。」
彼の野心に溢れた緑色の瞳が穏やかになっていて、見ていて心が軋む。
ザリタスは、もう少しでアルドロスは死ぬと言っていた。
そばかすを散らした面差しは健やかな少年なので死期が迫っているとは信じられない。
心配で涙が零れて来る僕の頭に手を置きクシャクシャと撫でながら言う。
「私は高くは昇れなかった、ここまでのよう、後悔はたくさんある、たくさんあるけど終わりを受け入れようと思う。」
「やりたいことがあるならザリタスが言った『枯れない薔薇』になればいいんじゃない?」
「人間ではなくなってしまうからね、私は人間でいたい。」
「『枯れない薔薇』になると人間ではなくなるの?」
「簡単に言うとザリタスのそばから離れられなくなるかな。」
「ザリタスは優しいから離れなくても良いよね?ずっと一緒で良いよね?」
「ふふ、リリィはザリタスが好きなんだね、良い子だね、ずっと彼を好きでいてあげてよ。」
「アルドロスはザリタスが好きじゃないの?」僕の問いかけに曖昧に微笑まれて家に戻った数日後、アルドロスは昏睡状態に陥った。
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