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第81話 木綿のヴェール⑥ 優しい人

「ここでは無い、何処かに行こうか?、君が輝ける場所は私が作るよ。」 陽が落ちても暑さが収まらない空気の中で、そう僕に声を掛けてくれたのは先生だった。 イルハン王国の北部を襲った疫病は多数の死者を出し夏が終わる頃に終息した。 二番目の姉と弟が死に、その後に三番目姉も死んだ、七人家族だった僕の家は父母と一番目の姉の四人になった。 家族が少なくなった事で父母の僕に対する風当たりは少しだけ和らいだが、親が望むような男手には成れない僕は劣等感に苛まれる事が多くなった、そんな日々の中、村にザザデルド教会からの慰問団が訪れた。 村の小さな教会の広場で亡くなった人々、残された人々の悲しみを癒す為の聖歌隊の美しい声が夏の空に響き渡った、聖歌隊の歌声に皆が涙する中、僕は姉の木綿のヴェールを深く被り、顔を上げられずにいた。 国で一番の聖歌隊を率いるザザデルド教会が寒村にいらっしゃるとのことで村人の総出を強いられた、強い日差しの中で肌を晒せない僕は夏であるのに冬の様な衣服を着こみフラフラになりながら参列、聖歌隊の美しい歌声も朦朧とした意識の向こうだが父母に恥をかかす分けにはいけないので立ち続けた、拍手喝采と共に歌が終わり解散の運びになった時、晴れていた空が突然暗くなり強い風が吹き荒れた、姉の木綿のヴェールは高く高く吹き飛び教会横にある大木の杉の頂上近くへ引っ掛かってしまった。 「何故、しっかりと掴んでいないんだ!」と父母に強く叱責され、ヴェールを取り返す迄、家に帰って来るなと言われ、僕はその場に残る事になった。 姉は「気にしなくても良い、一緒に帰ろう」と言ってくれたが、木に引っ掛かっている木綿のヴェールは姉の大切な物で貧しい僕の家ではおいそれと買える物ではなかった、「もう一度、風が吹けば落ちてくるよ」と告げて大木の杉を見つめ落ちて来るのを待つことにした。 誰も居なくなった広場の端で日差しを避けながら見上げるも、風は吹くことも無く時間だけが過ぎて行った。 「君は、何をしているんだい?」 厚着で止まらない汗を拭う僕に声を掛けて来たのは、にこやかな笑みを浮かべる青年で服装からしてザザデルド教会の人だと分かった、汗だくで小汚い僕に声を掛けるとは、聖職者とは心優しいものなんだなと驚いた、「木に引っ掛かっているヴェールが落ちて来るのを待っているのです」と言うと首を真後ろに倒して暫く見つめ「あんな高い所に引っ掛かったヴェールは、いつ落ちて来るか分からないよ?、諦めて帰ったら?」とサラリと言ってきた。 「いえ…、父母に取り戻すまで帰って来るなと言われていて…、姉様の大切なヴェールなので落ちて来るのを待たないといけないのです。」 「そう、でも、時間の無駄だと思うね、今日落ちて来る確証も無いしね、帰って明日になってから見に来た方が良いよ。」 「…叱られてしまうので、しっかりと掴んでいなかった僕が悪いのだから…」 「うーん、強い風が吹いたのが悪いのであって君のせいじゃないよ。」 「でも…」 「ふふ、ちょっと待っててくれるかな?、身軽なヤツがいるんだ、木に登れないか連れて来るよ。」 そう言うと、白いガウンを翻して教会の方へ走って行き褐色の肌の少年を連れて戻って来た。 聖職者の青年がヴェールを指差した。 「リオン、あのヴェールを取って来てくれないか?」 「えっ?、先生、かなり上ですぜ?、木登りは得意だけど、うっかり落ちたら、おいらが死んじまうよ?」 「危ないと感じたら止めて良いよ、取り返すのに挑戦したという事実を作りたいだけだよ。」 「事実ね…、はいはい、事実作り協力しますよ。」 そう言うと褐色の肌の少年はスルスルと大木を登り出したが頂上付近までは登る事は難しい様で、真ん中あたりで「これ以上は無理っ!!」と叫ぶと降りて来た。 ヴェールを取り戻してくれるのでは?と期待していた僕は残念そうな顔をしていたらしい、そんな僕を見て息を切らせて戻って来た少年が「一応は頑張っんだから、ありがとうだろ?」と言ってきたのでお礼を言った。 知らない人達に手間を掛けてもらったのに木の上に引っ掛かったままのヴェールを見つめていると少年に先生と呼ばれている青年が笑顔を向けて来た。 「ヴェールを取り戻そうとした事実も出来た事だし、君の家に一緒に行こうか?、私が家に戻れるように謝ってあげるよ。」 「えっ?、いいです、人に迷惑を掛けたら僕が増々叱られてしまいます。」 「迷惑?、困っているから助けようとしただけだよ?、私は迷惑は被っていないよ。」 「…僕は役立たずで価値が無い人間なのです、役に立たないのに人に手間を掛けさせたと父母が知ったら強く叱られてしまいます。」 「君は銀の髪で紫の瞳の綺麗な姿をしているの価値が無いとは、不思議なものだね。」 「父母が求めているのは力の強い丈夫な男なのです、弱く役に立たない僕ではないのです、だから僕はせめて人には迷惑を掛けないでいたいのです。」 「君は後ろ向きだね、大切にされていないからなのかな?、生きていて楽しいかい?」 「楽しくは無いですけど…、僕はここで生きていくしか…」 そう言うと自分が惨めで涙が溢れた、姉達は「ドルナードは立派な大人になれるわよ。」と励ましてくれるが弱い体はいつまで経っても弱いままだ、村人達とは違う容姿も奇異の目で見られる、疫病で息を止めるのは僕で良かったのにと考えなかった日は無い、涙で歪む視界の中に跪いて僕と目線を合わせる先生の顔が見えた。 泣き顔を見られたくないと涙を袖口で顔を拭う僕に一つの提案がされた。 「ここでは無い、何処かに行こうか?、君が輝ける場所は私が作るよ。」 出会ってから一時も経っていない、分かっているのはザザデルド教会の人である事だけ、何故この小汚い僕に優しい言葉を掛けるのか? 疑問はあったけど、陽が落ちても暑さが収まらない空気の中、誰とも知らない人の優しい言葉に僕は頷いた。

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