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第84話 木綿のヴェール⑨ 朝の光の中で

「ふふ、ベッドだらけの部屋になってしまったね。」 悠長に笑いながら先生はリオンと僕の頭を撫でた。 窓から少しだけ涼しい朝の風が入り込み目が覚めた僕、寝相の悪いリオンは枕があった場所の反対方向に頭を向けて寝ていた、衝立を挟んだ向こう側にある先生のベッドは空で、先生が帰って来たのか、それとも、もう朝の仕事をしているかも分からなかった。 修道士達が起き始めたのか扉の向こうにある廊下からは歩く音が聞こえて来る、ぐっすりと眠るリオンを起こして良いのか躊躇ったが「起きなくていいの?」と耳元で囁くと「うああっ!!」と大声で飛び起き、その衝動で左目の義眼が転げ落ちた。 カンカンと音を立てて床板に転がる義眼、追いかけ体温残る白水晶をリオンに手渡すと不思議そうな顔をして口を開いた。 「お前、これが気持ち悪くねえのか?」 「リオンの目なんだろう、気持ち悪くないよ。」 「そうか!、目って言っても見えねえけどな、体が大きくなったから近頃はポロポロ落ちて来ちまう、おいらの目が落ちたら拾うのがお前の仕事な、えーと…ド、ル…」 「ドルナードだよ、僕はリオンの目を拾えば良いんだね。」 「そうっ!、おいらが先輩だからドルナードが子分だからな!、しかし真っ白で弱っちい感じなのに強そうな名前だよな、ドルナードって!」 「…、僕は…、強い男になるよう望まれて…、強くなるように…うう…」 「うあ!、なんで泣くんだよぉぉ!、ちょっと軽口叩いただけなのにぃぃ!!」 強くは成れず親に愛されなかった自分が悔しくて涙が零れて来た、年下に見えるリオンの前で泣くなんて恥ずかしい、服の袖でゴシゴシ涙を拭っていると眼窩に義眼を押し込んだリオンが突如歌い出した。 甘く伸びやかな高音の歌声で聖書の一節を歌い上げ、どこからこんな声が出ているかと驚く僕に笑顔を向けた。 「ふふん、驚いた?、おいらの歌声は人を幸せにするって先生が言ってくれたんだ、おいらの目を拾ってもらう変わりにドルナードが泣きそうになった時にはおいらが歌って幸せにしてやるよ、ほら、涙も止まっただろう?」 「うん…(驚いて止まっただけだけど)」 「あれ?、先生帰って来てない?、まだ司祭の所かな…、全くもうあのオッちゃんは!、ドルナード、先生を迎えに行くぞ!」 夜着を着替えた僕達は修道院の奥にある庭園を構えた館に向かった、リオンが急げと言うから陽が出ているのに頭に布を被る事を忘れてしまった、大きなザザデルド教会の最上位に君臨する司祭の館は質素な修道院とは違い貴族の館かと思うほどに贅をつくされた建物だった、手入れが行き届いた庭園には色鮮やかな夏の花が揺らめいている。 先生を呼びに行くというのだから館の扉を叩くのか思っていたら、邸内に入るとリオンが身を屈めて庭園の庭木に隠れる様に向かった先、硝子のテラス扉の向こうに先生と司祭様の姿が見えた。 陽が明るくなって僕の目からは眩し過ぎて少し見えずらい、先生が司祭様の身支度を手伝っている様に見えた刹那、膝元に傅いている先生に覆いかぶさり唇を重ねた。 驚いて跳び上がりそうになった僕の腕をリオンが掴み「静かにしろって!」と庭木の影に引きずり込んだ。 心臓がドキドキする、先生は美しい人ではあるけど男だったはず、無骨な体躯では無いにしても女性よりは背が高い、声も優しくはあるが女性の声音とは違う、でも艶やかな肩まである金髪と毛深くない肌は女性と言えなくもない。 朝の明るい光の中、袖口が広い司祭服に包まれる様に口づけを受けている姿は嫋やかな女性の様にも見えた。 ジャリ… 砂を踏む音に目を向けるとリオンが小石を窓に投げつけ「コン!」と当たり、「リオン?、硝子が割れちゃうよ!」と慌てる僕をよそに二個、三個と小石を投げて行く、白髪が目立つ司祭の口づけは熱情を漂わせ先生を深く貪っている、投げた小石に気が付かない事に腹を立てたリオンが拳大の石を掴むと「さすがに、それは硝子が割れちゃうって!!!」とリオンを押さえていると、先生の青い瞳が僕達の方を見据えた。 気まずい僕を他所にリオンは少し立ち上がり「早く戻って来い!」の身振りをする、僕達に片目瞑り目配せをした先生が司祭の首元に腕を回し恋人の様な抱擁をすると、やっと唇が離れ上気した司祭の耳元に何かを囁くと機嫌よく司祭が部屋を出て行った。 後ろ頭をバリバリと掻きながら先生がテラス窓を開けると、リオンが勢いよく飛び出し怒りだした。 「先生、朝には帰って来るって約束だろう?、誰にでも良い顔をすんなよ!!、体壊すぞっ!!!、本当にバカぁっっ!!!」 ギャアギャア喚きたてるリオンに困り顔を見せながら微笑む先生、言いたいことを言い切ったのか肩で息するリオンの頭をゴシゴシ撫でた。 「リオンは心細かった?、済まないね、今夜は早くに戻るからね。」 「今夜って…!、なんだよ!」 「司祭が離してくれないからね、先ほど約束してしまった。」 「守んなくていいよ、そんなん約束っ!!」 「まあ、何か欲しい物があったら司祭にお願いするけどね。」 「あ、ドルナードのベッドが…」 翌日、狭い部屋なのに僕のベッドが運び込まれ、床よりもベッドが占める割合が多くなり「ドルナードのせいで部屋が狭いぞ!」と怒るリオンに謝る僕を先生がまとめて抱きしめた。 「ふふ、ベッドだらけの部屋になってしまったね、これはこれで楽しいね。」 悠長に笑いながら先生はリオンと僕の頭を撫で幸福そう、僕もフワフワと抱きしめられて幸せな気分になった、何も無かったように笑う先生に対して僕は少し後ろめたい気持ちが溢れていた、朝の出来事から先生は実は女の人ではないかと疑って着替えを盗み見た事だ、しかし胸は膨らんでおらず、同じ男であるはずの司祭様と口づけする意味が分からず困惑していた。

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