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第87話

 愛らしさと破壊力を併せ持つ笑顔を向けられた瞬間、当麻の胸中で海鳴りが轟いた。想定外中の想定外の出来事と言わざるをえないが、俺は(けが)れのない瞳を持つこの下級生にどうやら惚れてしまったらしい。  相手も男子なのはこのさい別にして、他者に想いを寄せるのはナルシストの真髄を究めんと、自分ひと筋を貫いてきた己に対する浮気にあたるのではないだろうか。 「先輩、先輩、起きてますかぁ?」  当麻は立ったまま眠る特技があるようで、ウンともスンとも言わなくなった。さすが先輩、と空良は思い、紙袋を大切に抱えなおした。  購買部の不動の一番人気、エビカツバーガーを巡る争奪戦は毎日、熾烈をきわめると聞く。たかが一下級生のために参戦するのは、当麻にとっては不本意に違いなくて、体力を無駄に消耗したぶんウトウトするのは無理はないが、 「胸の奥がきしきし言って……痛い」  間服(あいふく)のベストに鉤裂きができるくらい爪を立てる。沈黙が落ちるのが怖いなんて、いまだかつて当麻以外の誰に対しても思ったことはない。 「好きだ……」  うわ言めいたものが、ふたりの間をたゆたう。好きだ、と鸚鵡返(おうむがえ)しに呟くとピンときた。  当麻は、きっと空腹のあまりスイッチが切れた状態にあるのだ。エビカツバーガーをふたつに割って、いそいそと大きいほうを差し出す。  タルタルソースの香りに誘われたように小鼻がひくつくにつれて、切れ長の目の焦点がだんだん合っていく。そして当麻は眉根を寄せた。 「なんの真似だ、このバーガーをどうしろと」 「おなかがすいてるんでしょ。だから半分こ」 「違う! かねがね思っていたが、きみの思考回路には斜め上の答えをひねり出す得体の知れないものが巣食っているぞ。俺が好きなのは、好きなのは、つまり……」 「おまえら、さっきから何やってんの」  大和が、きっかり一メートル離れたところから話しかけきた。鋭い目つきで当麻を()めつけておいて半歩踏み出し、しかし空良との間にはワニがうじゃうじゃ泳ぐ川が存在すると言いたげに後ずさる。そのくせ見張り番を務めるふうに仁王立ちになった。

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